日本人とは、「天照大神」、「紫式部」、「本居宣長」、である。

クリエーティブ・ビジネス塾43「6人の日本人①」(2018.10.15)塾長・大沢達男

 

日本人とは、「天照大神」、「紫式部」、「本居宣長」、である。

 

日本の悪口を言えばインテリ、日本の味方をすると国粋主義者。だけれども、日本人の精神には特質がある、それを現代の日本人は忘れている。そして、『日本人の忘れもの』(中西進 ウェッジ文庫1~3)が書かれました。『日本人の忘れもの』に登場する6人(正確には1人の神と5人の人間)が印象に残りました。その6人から日本人とは何かを学び、自らの生き方を問い質したいと思います。

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1、天照大神(あまてらすおおみのかみ)

日本は女性を大切にする母系社会です。どうして母系社会になったのかはわかりませんが、天照大神が女神あることが大きく作用していると思われます。

天照大神は、天皇家の皇祖神に位置づけられ、日本国民の総氏神です。

「男女の立場も古代社会ではみごとに平等だった。朝廷につかえる男女の任官は、かならず男女平等に行われた」(1-p.30)

「そもそも敬語は女性に対して発せられた。(中略)女性の扱いは、愛と尊敬にみちていた」(1-p.48)。

「日本人がかつての男女同権を忘れて、アメリカからの贈り物と勘違いしてしまうのは、(中略)徳川時代の男尊女卑があったからで、本音では日本人は、いつも平等に生きようとしていた」(3-p.264)。

なぜ天照大神はスサノウの乱暴に反抗し天岩戸に閉じこもったのでしょうか。男性への反抗です。いや、もっと大きく男性優位のキリスト教と西欧社会への日本の反抗を、読み取ってはいけないでしょうか。

平安末期の西行は、天照大神伊勢神宮に参り、その神々しさに胸を打たれました。

「なにごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる」(西行

2、紫式部(970年代~1019)

「むかし日本人は恋愛のことを『色恋(いろこい)」』といった。男も女も、恋愛をすると肉体が華やぎ、つややかに歓びにみちて美しい彩りを発する。それが『色恋』である。(中略)この日本人の人間主義の、なんというすばらしさ」(1-p.242)。

好色者(すきもの)とは『源氏物語』の主人公、源氏や薫のことです。彼らはだれでも愛しました。不倫、二股愛、三角関係、ロリコン、横恋慕・・・なんでもありで、色恋に熱中しました。「日本人の人間主義」とは、『源氏物語』のことです。紫式部律令制度の残存に反抗しました。そして好色者の伝統は、「紅旗制戎、吾が事に非ず」、平安、鎌倉の藤原定家に受け継がれました。

「かきやりし その黒髪の すじごとに うち臥すほどは 面影ぞ立つ」藤原定家

3、本居宣長(1730~1801)

『日本人の忘れもの』、そのハイライトが本居宣長にあります。

江戸時代の本居宣長は、当時主流の学問であった儒学に対して、国学で反抗しました。儒学とは孔子の教えを中心とする中国学、対する国学とは日本人の考え方や感じ方を主張したものです。

当時の儒学者は国立大学の教授のようなもので、大名に給料1万石の高給で召し抱えられていました。ほぼ大名の仲間です。対して本居宣長は松坂の木綿問屋の息子、紀州徳川家に雇われた時のサラリーは2~3石。儒学者国学者では、社会的にも経済的にも、比べることができない差がありました。

宣長の反抗は、「蟷螂の斧」(とうろうのおの=カマキリが大きなクルマへ向かうこと、ムダな抵抗)でした。

まず宣長は、儒学者の偽りを攻撃しました。儒学者は、清貧に甘んじ、金を欲しがらず、出世も望まない、というが、それは人情に反する、いつわりだとしました。

つぎに宣長は、男の好色心(すきごころ)で権威者を攻撃しました。儒学の虚偽を男女の情で暴こうとしました。儒教は「いみじきいつわりなり」。

ぞして宣長は「もののあわれ」。ものに向かって感動する、その心が万事の基本になっていると主張しました。「もののあわれ」は、人間ならだれでも抱く原初の感動です。「もののあわれ」に感動することを「やまとごころ」としました。中国人の心ー「からごころ」では、天と地とか理屈を重んじ、対して日本人の心ー「やまとごころ」では感動する心情を重んじます(2-p.86~92)。

宣長の提言は現代にも通用します。欧米の「理の哲学」に対して、日本の「情の哲学」が可能だからです。

「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂う 山桜かな」 宣長