THE TED TIMES 2022-30「金田一春彦」 8/27 編集長 大沢達男
日本で一番有名な国語学者・金田一春彦(1913~2004)、実は「左翼」でした。
国語学の専門家でもなんでもない素人が、『日本語 新版 上下』(金田一春彦 岩波新書)を読んだだけで、金田一春彦を批判するのは、なんとも恥ずかしいことですが、勇気を持ってやります。
『日本語』を読んでいて、驚いたことがあります。第1に「皇室批判」をすること、第2にGHQと一緒に仕事をしていたこと、第3にルース・ベネディクトの『菊と刀』を評価していることです。
さらに素人の私が指摘するようなことではありませんが、金田一春彦が、古典をとりあげず、江戸そして明治以降の文献を中心に日本語を検討していることに、愕然としました。
1、『日本語』
『日本語』は、名著として知られています。
日本語を、世界の様々な言語と比較して、論じています。空間的広がりという点で出色の仕事です。
専門研究者を満足させるだけでなく、ユーモアをまじえた叙述で、私のような素人でも、面白く読めます。
しかし日本語成立が論じられていません。時間的広がりという点で、全くの期待外れです。
『古事記』、『日本書紀』はおろか、『万葉集』、『源氏物語』、『古今和歌集』も論じられていません。
古典を無視し、近世偏重で、議論を進めています。
なぜ古典を無視したか。古典に触れると皇室を問題にしなければならなくなるからです。
『万葉集』の巻頭には「籠(こ)もよ み籠持ち 掘串(ふくし)もよ み掘串(ぶくし)持ち この丘に 菜摘(なつ)ます児(こ) 家聞かな 名告(なの)らさね それみつ 大和(やまと)の国は おしなべて われこそ居(お)れ しきなべて われこそ坐(ま)せ われこそは 告(の)らめ 家も名も(雄略天皇)」があります。
皇室を語らなければ、日本語を語ることができません。
『源氏物語』も同じです。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いといやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」。
「さぶらひ(謙譲語)たまいける(尊敬語)」。敬語はここから生まれています。
皇室は、日本人ともに、日本語とともにありました。いいとか悪いとかではありません。好き嫌いでもありません。
これが、日本の歴史と伝統で、現実です。
2、皇室批判
金田一春彦は国語学者でもあるにもかかわらず、歴史学者・考古学者であるかのように、『日本語』(岩波新書)で「騎馬民族王朝征服説」を展開します。
神武天皇のモデルは、アジア大陸から朝鮮半島に渡ってきた騎馬民族で、彼らは文化的に高く武力に優れていてこの国の覇者になる、そういう人ではないか(上 p.57)。
日本語が朝鮮語を通じてアルタイ諸語と似ており、また東南アジアの諸言語、ポリネシア諸語と似た点をもっているのはその由来である( 上 p.57) 。
さらに『日本語』の上巻のエンディングでは、「『日本書紀』を読んでいると(中略)五の字のつく人が続々出てくる。古代朝鮮の民族の間では(中略)五が重んじられたことがうかがわれる。このことは、神武天皇のモデルが朝鮮半島から渡ってきたという想像をちょっと強めさせそうに思う。」(下 p.279)、と結んでいます。
なぜ金田一春彦が、「昭和の伝説」として消え去ろうとしている東洋史学者・江上波夫の言説を、わざわざ『日本語』で取り上げるのでしょうか。
万世一系、古事記、日本書記の天皇神話を打ち破りたいからです。マルクス主義歴史学の「天皇制ファッシズム」理論(後に再述)で書いているからです。
3、GHQ
さらに金田一春彦が、GHQに協力していたことを自慢げに記述するところにいたっては、驚きを超えています。
「終戦直後、占領軍が日本を支配していた時に、アメリカの文部省・日本支部ともいうべきCIE(民間情報教育局)では、日本語の表記法の難しさに驚き、日本人の幸せのために、日本人に漢字や仮名を捨てさせ、ローマ字を使わせようとして(下 p.1)」、日本人の学力を試験をします。
CIEで、金田一春彦は日本人学力試験の問題づくりをしています。
信じられません。いままでこんなことを告白した日本人はいません。恥ずかしくて言えない。裏切り者になるからです。
そのまえに金田一晴彦の間違いを指摘しておきます。
CIEは文部省ではありません。CIEは日本人の言論検閲し、言論統制するための組織です。
CIEは表向きの組織で、裏にはCCD(民間検閲支隊)がありました。GHQでは、検閲はないが、建前です。
CCDでは何千人もの日本人が検閲に従事していました。
何を検閲したか。1)日本国憲法のGHQ起草に触れない、2)日本の歴史伝統、皇室を評価しない、3)GHQの言論検閲に触れない、などです。
つまり戦後初めてGHQの言論検閲・言論統制を明らかにした『閉ざされた言語空間』(江藤淳 文春文庫 1994年)を、金田一春彦は、読んでいなかった(出版されていなかった)、としか思えません。
金田一春彦は、自らがGHQの手を貸した、手を汚した事の重大さに、全く気がついていません。
さらに、金田一春彦は米国戦時情報局員のルース・ベネディクト・『菊と刀』(長谷川松治訳 講談社学芸文庫)を評価しています。
「ベネディクトは、日本人の精神を説明するために、『坊ちゃん』を引き(中略)このようなことはアメリカでは精神病理者の病歴録ぐらいにしか見られない」(上 p.240)。
要するにベネディクトは、夏目漱石そして日本文学を馬鹿にしているにもかかわらず、評価しています。
とんでも間違いです。
『菊と刀』は、米国が善・正義・文明で、日本が悪・誤り・未開の価値観で書かれた偏見の書です。
日本民族を見下しています。まず、花、月、菊、雪、虫・・・日本人は無邪気な楽しみをする未開人、つぎに日本人は好色で無節操な未開人、さらに日本は天皇を戴く、未開社会です。
占領政策の基本には、日本社会を見下した『菊と刀』があります。
4、などてすめろぎは人となりたまいし
天皇は、ある人には神であり、ある人にとっては崇拝できる権威でした。
東京のど真ん中にある皇居はその象徴です。
さらに姓を持たない天皇家は、言わずもがな日本人にとって総本家でした。
金田一春彦が親しくしていたマルクス歴史学者遠山茂樹、そしてその師・羽仁五郎は、コミンテルンの用語である「天皇制ファッシズム」を使い、日本の皇室伝統を全否定しました。
『日本語』(岩波新書)で著者・金田一春彦と編者・岩波書店は、「天皇制」理論を信奉し、日本語に占める皇室を位置を後退(ほとんど無視)させました。
そればかりでなく、皇室の権威をわざと貶(おとし)めました。
皇后が体重計に乗ったら、針は動かない(上 p.187~8)。
皇室報道で敬語を間違えれば、新聞記者はクビになる(下 p.196)。
その結果どうなったでしょうか。
日本人は民族の誇りを捨てました。
日本人は、平和と民主主義で豊かさの繁栄を築きましたが、アノミー(無規範、無規則)に陥りました。
そして子孫の繁栄を望まなくなりました。
少子化です。
金田一春彦は、日本語を使う人数は世界で6番目、日本語が話される地域の国民総生産では世界で4番目、日本語は堂々たる言語だと豪語します(p.74~5)。
しかしその繁栄は、『日本語』の影響で民族は誇りを捨て、やがて終焉します。
少子化で30世紀初頭に、日本人は、この地球上から姿を消します。
5、平泉澄
結論を言います。
『日本語 上』では開巻劈頭、いきなり平泉澄(ひらいずみきよし)元東京帝国教授を取り上げ、揶揄(やゆ=馬鹿にしてからかう)しています。
「日本には系統を同じくする言語がないと言うが、それは当り前だ。日本は神の国で、日本語は神の言葉の末裔であるから・・・・・・。」(p.1)
なぜこんなかたちでしか、平泉澄を論じることができないのでしょうか。
まず、前記の平泉の発言も、最後に、「(日本語は神の言葉の末裔である・・・)、と日本には記紀の伝説がある」と補えば、立派な日本語論になります。記紀と取り上げない金田一春彦の方が、はるかにおかしい。
そして、「平泉史観は、デモクラシー、マルクス主義の影響を受けた『近代史観』を排斥すること主要な目的とした」(「平泉澄博士の歴史観と西欧思想」 多田真鋤 p.8)ものです。
平泉澄は表層的な「皇国史観」(平泉自身はこの用語を使っていない)ではなく、フランス革命が英国革命に波及するのを阻止したE.バークを研究し、日本史を世界的なレベルにまで引き上げた人です。
さらに、平泉澄は、日本建国は「天壌無窮(永遠に続く)の神勅(天照大神がお授けになったお言葉)」によるものだとしました。そして天皇イデオロギーこそが日本史を貫き、明治維新を達成したことを明らかにしました(『論理の方法』小室直樹 東洋経済)。
加えて言えば、国語学者・金田一春彦は、歴史学者・平泉澄を上回っていたでしょうか。
平泉澄『物語日本史』のように、平仮名と「いろは歌」、片仮名と「五十音図」で、日本語の発生を論理的美しく、説明したでしょうか(『物語日本史 上』 平泉澄 講談社学芸文庫 p.187~199)。
『日本語』(金田一春彦)の新版「下」にエンディングで、金田一春彦はGHQへの忖度のし過ぎに反省したのか、日本国憲法の前文の文章のおかしさを指摘し、結んでいます。
しかしこれは「左翼」の見えすいた芝居でした。
日本国憲法はそのたどたどしい日本語でわかるようにGHQが、日本が米国に復讐ができなくなることを目的に、日本に与えたものです。
そして、日本国憲法は西欧近代の価値観で貫かれています。
基本的人権、自由、平等などは、人類の普遍的価値観ではなく、「白人帝国主義」の価値観です。
皇室は、西欧的なリベラリズムの価値観から見れば、明らかに不合理、当たり前です。近代西欧とは違う新しい価値観で、皇室の位置を書き改めなくてはなりません。
そして第3に、日本国憲法には、日本語を使う日本人そして日本の歴史と伝統について何も書いてありません。
日本国憲法、そして『日本語』という著作自体も、大幅に改めなくてはなりません。
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偉大な学者に対する素人の批判をお許しください。
金田一春彦先生はもういらっしゃいません。
ご遺族そして国語学の専門家のご批判をお待ちします。
(end)