映画『1987、ある闘いの真実』は、韓国映画の実力、いや韓国人の実力。

クリエーティブ・ビジネス塾42「1987、ある闘いの真実」(2018.10.8)塾長・大沢達男

 

映画『1987、ある闘いの真実』は、韓国映画の実力、いや韓国人の実力。

 

1、1987年

「シネアート新宿」は満員。最近の映画館では珍しく、立ち見の観客がいました。水曜日の午後2時半、集まっていた人のほとんどは、シニアでした。

映画『1987、ある闘いの真実』(チャン・ジュナン監督)は、実話に基づく韓国の政治映画です。2017年12月に韓国で公開され1ヶ月で700万人の観客を動員しました。韓国の人口は4000万人と考えると『千と千尋の神隠し』に相当するような大ヒット作です。そして驚くべきはその高度な政治的な内容です。

1987年1月、民主化運動の活動家、ソウル大学生のパク・ジョンチョルが警察の拷問による取り調べで殺されます。事実を隠すために警察は、検死せずに火葬しようとします。火葬の申請にサインを求められたチェ検事が不審の思い、上司からの命令に逆らい、司法解剖に回します。そして警察によるソウル大学生の拷問死が明らかになります。

1987年、それは全斗煥大統領の軍事独裁の時代でしたが、市民軍が全羅南道道庁を占拠した光州事件からの民主化の流れは、止めることができないところまで来ていました。新聞はスクープ合戦で騒ぎ、地下に潜行していた民主化の組織が動き、国家権力による拷問死の事実は白日の下にさらされます。権力の組織維持のために隠蔽体質、暴力による上意下逹、賄賂を使っての工作、映画は権力の悪のすべてを描き出します。衝撃的!韓国映画の底力。日本映画にはこの力がありません。

2、映画の発明

映画は現実を写したビデオ映像で始まりビデオ映像で終わります。ドキュメンタリー・ドラマあるいは、ドキュメンタリー・フィクションであることを、明らかにしています。

第1のこの映画の魅力は、脚本(キム・ギョンチャン)です。権力の横暴、人民の悲しみ、民衆の怒りが手加減なく、描かれています。

第2の魅力は、演技に優れた俳優たちです。ソウル大学生を殺したのは南営洞警察(治安本部対共分室捜査所長)のパク所長(パク・ユンソク)です。コワい、ホントに怖い。映画は後半でパク所長がなぜ、「アカ」に対してそれほどまでに厳しくなれるのか、その理由が明らかにされます。単なる権力の横暴では済まされない国家の事情を知らされます。パク所長の対するチェ検事(ハ・ジョンウ)がいいです。若いハンサムなのにアル中、いつも携帯用スキットル(ポケットビン)に韓国焼酎を持ち歩き、いざとなると一杯あおります。

キリッとした権力側、それを告発する検事が飲んだくれ、という面白い映画の構造があります。観客はしっかりせよ、と検事の応援をさせられます。

そして公務員でありながら刑務所の中の情報をもたらす看守(ユ・ヘジン)がいい。朴訥(ボクトツ)、こういう人が歴史を動かします。さらに看守の姪(キム・テリ)がいい。若い活動家との恋、フィクションであるこのプロットにも好感が持てます。

第3に、この映画の魅力は文句なしの映像技術です。ドキュメンタリー・タッチでさまざまなファクト(事実)が、積み重ねられます。目に焼き付いて忘れることができないのは、虐殺されたソウル大学生を失った父親が、息子の遺灰を撒くシーンです。息子の灰は、凍てついた氷の上に落ちます。父は冷たい川の流れをものともせずに川に入り「お前はこんなところに留まってはならない」と泣き叫び、灰を流れに落としてやります。

冷たく、空しく、切ない、叫びが虚空に響きます。

映画は、政治を描き、現実を告発し、人々が共感できる映画を、発明しています。

3、日本映画の限界

日本にこのような映画があったでしょうか。

60年安保で亡くなった樺美智子を、『青春の墓標』の奥浩平を、映画したでしょうか。「安保」、「学園紛争」、「ロッキード裁判」、「ホリエモン」、「検察の腐敗」、「官僚の汚職」を映画にしたでしょうか。ただひとつ60年安保を描いた『日本の夜と霧』(大島渚監督 1960年)があるだけです。松竹はこの映画を上映禁止にし、大島はこの映画で松竹を辞め、日本の政治映画は死にました。

韓国の音楽界は「BTS防弾少年団)」で世界のトップに立っています。「1987」は世界のトップに立てる映画ではありませんが、韓国が、音楽だけでなく映画でも、世界トップの実力があることを示しています