THE TED TIMES 2022-41「すずめの取締り」 11/20編集長 大沢達男
1、ファザー・コンプレックス
映画『すずめの取締り』(新海誠監督)のエンディング近くで泣きました。自分で驚きました。ネタバレになりますが、映画の本質に気がつきました。映画をご覧になっていない方は、この文章を読まないでください。
どこで泣いたか。成人した自分が幼い頃の自分に出会う、というシーンです。
10歳で父を失った私は、幼い頃の私をかわいそうだったなと昔を振り返り、と自分で自分をなぐさめてきました。もちろんこれは、自分の最悪の部分だと考え、否定していたのですが、私はそういう人間でした。
その自分の最悪のシーンに映画で出会い、一も二もなく泣いてしまったのですから。
父を小学校の時に失った自分はどうなったのか。まず中学校の頃に成績優秀な委員長であったにもかかわらず、非行に走ります。
授業や学校の行事を妨害するようになり、そして生きていることはムダだと考えるようになり、大学に入学し、マルクス主義が主流の中で、実存主義を標榜するようになります。
<人生生きるの値しない><自殺こそ哲学の最大の問題である>。そして「自殺同好会」の結成を考えました。
<我が同好会は昨年度2名の自殺者を出した実績のある同好会です。春秋に富む新入生の皆さん、ぜひ我が同好会に入り、人生の無意味さを考え、行動しようではありませんか>
それでも私はときどきひそかに、幼かった頃の自分を出会いかわいそうだったね、と慰めていました。
父を失ったために、生きる目標を失った、典型的なファザー・コンプレックス。もしかしたら、新海誠さんも、何らかの理由で父を否定しなければならない、ファザー・コンプックスの一種、そうなのではないかしら・・・。
2、ナショナリズム
なんでこんなものを作り配ったのか、わかりません。映画館で配られた『新海誠本』です。映画の企画書が掲載されています。そして新海誠自身が詳しく作品を解説しています。
そして映画を見ていては気づかない部分に気付かされました。
まず主人公の「すずめ」という名は、日本の神話から来ていることです。
アマテラスオオミカミが天岩戸にお隠れになりこの世が闇になった時、岩戸を開かせるきっかけを作ったのが、アメノウズメノミコトです。スズメはウズメからきています。
つぎにこの映画は<場所を鎮(しず)める><場所を悼(いた)む>ことをテーマにしています。場所を悼むとは、結局、東日本大震災の追悼になっていきます。
さらに新海誠は言います。<日本という国自体が、ある種、青年期のようなものを過ぎて、老年期に差し掛かっているような感覚があった>。
映画は、日本が廃れていくことを、表現しています。日本という国自体がファザー・コンプレっクスに陥っていることを新海誠は言いたい・・・。
3、天皇
日本語は、古事記、日本書紀、万葉集、勅撰和歌集に見られるように、皇室を中心にして形成されてきたものです。そして私たちには、全国に10万に近い神社があり、皇祖である天照大神が祀ってあり、氏子としてお参りしています。
私たちは祭祀共同体の全体の中に分を持って存在し、行を通うじて全体との一体を保っています。行とは、世のために人のために働くこと、祭りに参加すること、神仏の祈ることです。
対して西欧の個人主義は、人間はバラバラな個体で各人が理性を持っている、アトム的(原子的)世界観です。かつてスタジオジブリの『竹取物語』(高畑勲監督)を観て、その教条的マルクス主義に驚きました。
日本がファザー・コンプレックスから脱出するためには、古典の中にある祭祀共同体を描くこと、自らの生を歴史と伝統の中に位置付けること、それしかありません。
<などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし>(『英霊の聲』三島由紀夫)
新海誠そして川村元気には、伝統を大切にしながら内向しない日本をリードする、宿命が課せられています。