クリエーティブ・ビジネス塾42「ローエングリーン」(2019.10.15)塾長・大沢達男
『ローエングリーン』との不幸な出会い。ワグネリアンにはなれそうにもない。
1、エルザ
ついにリヒャルト・ワグナー(1813~1883)に挑戦する日がやってきました。『ローエングリーン』(ウォルデマール・ネルソン指揮バイロイト祝祭管弦楽団&合唱団 1982年バイロイト祝祭劇場にて収録 小学館)を見ました。もちろん準備に怠りはありません。この6ヶ月、アンドレ・クリュイタンス(1905~1967)の「ワーグナー・バイロイト・ライブ」で『ローエングリーン』を何十回となくおさらいしてきました。
『ローエングリーン』は、若いお姫さまエルザが謀略で抹殺されそうになったとき、白鳥の騎士ローエングリーンが助けにくる話です。悪と戦い、勝利したローエングリーンはエルザと結ばれます。しかしエルザが約束を守らなかったために、ローエングリーンはエルザの下を去ることになります。その代わりに行方不明だったエルザの弟が戻ってきて、平和が保たれるという話です。
音楽は想像力をふくらませますが、映像は残酷です。映像でエルザ(カラン・アームストロング)が現れたときに、違う!と思ってしまったのです。そしてローエングリーン(ペーター・ホフマン)が出てきたときにも、違う!と拒否してしまったのです。とくにペーター・ホフマンの歌唱にも不満をもちました。声の質が厭だったのです。私の鑑賞力のなさとはいえ、まったく不幸な出会いでした。
2、オルトルート
エルザとローエングリーンに対立した悪役側のオルトルート(エリザベス・コネル)とフリードリッヒ(レイフ・ロアル)には惹かれました。「かつての聴衆は、そのほとんど全員が、おそらく善のサイドを応援しながら『ローエングリーン』を観劇していたことだろう。しかし現代の観客の少なからぬ部分は、悪女オルトルートの怒りや絶望の方に、むしろシンパシーを抱き、そこから物語のパワーを感じ取るのではないだろうか」(村上春樹 「至るところにある妄想 バイロイト日記」p.305 『文芸春秋』2019.10)。
なかでもショッキングだったのはエルザがオルトルートに向かって説得する歌です。
「キリスト教に改宗なさい!お勧めするわ。後悔のない幸福があるのです」(2幕第2場)
何も知らない、素人は怖い。『ローエングリーン』はテーマは、ゲルマンの原始的な宗教の魔法使いオルトルートとキリスト教を信じるエルザそして白鳥の騎士・ローエングリーンの宗教戦争です。知らずに、私はゲルマンの原始的な宗教に加担し、キリスト教に異議を感じていました。
もうひとつ驚くことがあります。ハインリヒ王の歌です。
「敵の襲撃あらば勇敢に迎え撃とうぞ。(中略)ドイツ国のためにドイツの剣を振うのだ!」(第3幕第3場)。
3、バイロイト
20年ほど前、ミュンヘンに1週間いたことがあります。おばかさんでした。オクトバーフェストに3日も通い、ビールを飲んで馬鹿騒ぎをしていました。ザルツブルグには行きました。ミュンヘンからザルツブルグへの旅は天国でした。ウィーンに行く女子学生と一緒でした。なんと心ときめいたこと。そしてザルツブルグはモーツアルトの聖地、まさしく聖地でした。空も水も澄んでいました。
しかしバイロイトは心の片隅にもありませんでした。村上春樹の「バイロイト日記」を読んで後悔しました。ミュンヘンからザルツブルグへ行くように、反対方向のニュールンベルグへ向かえば、そこから乗り換え、すぐにバイロイトに行けるのです。そこにワーグナーが住んだ「ヴァーンフリート荘」があり、そしてたった2000席の「祝祭劇場」があります。劇場の窮屈な席に座ってみたかった。
1)世の中にはモーツアルト贔屓とワーグナー嫌いがいます。マルクスはバイロイト音楽祭を「馬鹿祭り」、ニーチェはワグネリアンを「精神なきスノップ」と言い、小林秀雄は「ワグネリアンという白痴」というニーチェの言葉を好んだワーグナー嫌いでした。
2)ヒットラーは少年時代に『ローエングリーン』に出会いワグネリアンになりました。バイロイトはナチスの聖地になり、1936年「民族の祭典」ベルリンオリンピックとバイロイト音楽祭は連続して開かれました。
3)『ニーンベルグの指輪』のジークフリートはドイツ救国の英雄、『マイスタージンガー』はドイツの職人、『ローエングリーン』はドイツの輝ける鎧の騎士。ワーグナーの楽劇はドイツ統合の精神的な象徴です(『ヴァーグナー家の人々』(清水多吉 中公新書)。
20年前にバイロイトではなくザルツブルグに行ったのは私の運命でした。しかし『ローエングリーン』との出会いは不幸でしたが、『ニーベルングの指輪』を征服するまで、戦いは続きます。