映画z『ジョーカー』、いい映画だけど、好きになれない。

クリエーティブ・ビジネス塾43「ジョーカー」(2019.10.22)塾長・大沢達男

 

映画『ジョーカー』、いい映画だけど、好きになれない。

 

1、『Send in The Crown』

ドラマは、ニューヨークを思わせる架空都市「ゴッサム・シティ」の地下鉄で、始まります。

ウオール街の3人の若いエリートビジネスパースンが、前の席に座った女性にちょっかいを出しています。

多分酔っぱらっているんでしょう。よくあるシーンです。酔っぱらいたちは、それを快くなく目撃して映画の主人公、ピエロの化粧をしたジョーカー(名前はアーサー)にも、突っかかってきます。すったもんだ。そしてジョーカーは3人のエリートビジネスパースンを射殺してしまいます。

おふざけなのね/まちがいかしら/思い思われ 思ってたけど/ごめんなさい あなた/お笑いはどこに/

お笑いでしかない/じゃましないで/お笑いなんだから♫(訳は大沢、字幕とは違う)

酔っぱらいが口ずさんでいます。こんときに失恋の歌なんて。”Send in The Crown"です。

2、暴動

映画は現状への異議申し立てをするものです。

1)金持ち、エリートへの異議申し立てです。大貧民ジョーカーと大富豪ウオール街のビジネスパースン、貧富の拡大、経済格差です。

2)つぎは、政治、行政への不満です。ジョーカーは医療・福祉予算の削減のために、医療カウンセリングを打ち切りにされ、投薬も受けられなくなります。

3)そしてメディアへの不満です。選ばれた者たちだけが出演し悪ふざけをするテレビ番組への不満です。ジョーカーに出演できるチャンスはない。テレビは私たち市民も忘れ去っている。

ジョーカーの反抗が、市民の暴動を誘発します。この映画が話題になっているのは、市民の反抗を描いているからでしょう。なかにはマルクス主義流の暴力革命の実現だと喝采する観客もいるでしょう。しかしこの手の映画評価に賛同できません。

第1に、ジョーカーはコミックから生まれてヒーローの過ぎないからです。ジョーカーは、アメリカン・コミック『バットマン』に登場する極悪役( Supervillain)です。サイコパス(精神病質)で、犯罪の貴公子、虐殺の道化師、憎悪の道化者です。

第2に、現実世界にはジョーカーを上回るスパーヴィランがいるからです。トランプ大統領です。

1)政治家とエリート階級は儲かったが、仕事を失った人、工場を閉鎖された人がいる。忘れられた人々を、私は忘れない。

2)外国企業は儲けている。米国企業は犠牲にされている。米国は貿易、関税、移民で損をして、米国の労働者と米国の家庭は破壊されている。

3)巨額のドルが海外で使われ、米国のインフラ整備は犠牲にされた。米国は外国の国境を守ったが、自分たちの国境を守ることができなかった。

これが「アメリカファースト」。トランプ大統領はジョーカーより過激です。スーパーヴィラン扱いされていますが、破壊や暴動を奨励していません。政策で勝負しています。

第3に、映画『ジョーカー』は映画を発明してる芸術だからです。政治的な映画にしてしまったら、身もふたもないないからです。カメラワーク、編集を議論すべきです。

3、『White Room』

ドラマは、主人公のジョーカーが捕らえられパトカーで連行されることで、エンディングを迎えます。パトカーが走り抜ける「ゴッサム・シティ」は荒涼としています。若者たちが反乱を起こし、破壊され、火がつけられ、無政府状態になっています。

白い部屋 黒いカーテン/それは駅のそば(中略)/もうふたりはおしまいね/駅で君は言った/

入場券握りしめ 響くディーゼル/さよならの窓際/ぼくはとぼとぼプラットフォームを歩く

『ホワイトルーム』は、エリック・クラプトンが在籍していた「クリーム」(1966~68)の代表曲です。

ここからロックは始まりした。ジミも、ジャニスも、ジムもみんな27歳で亡くなったのに、エリックは生きている。だからインチキ・・・、でもクリームの存在は不滅です。

ニューヨークを思わせる架空都市に響き渡るクリームの「ホワイトルーム」は痛切です。

彼女はいない。街は燃えている。僕たちが住むべき世界はもはや存在しない。でも、ここしかない。