ヨージ・ヤマモトは、黒光りする爆弾を、心の奥に抱えています。

TED TIMES 2021-46「山本耀司」 11/22 編集長 大沢達男

 

ヨージ・ヤマモトは、黒光りする爆弾を、心の奥に抱えています。

 

1、A.A.R.

私は、世界的なファッション・デザイナー山本耀司さんと、お目にかかって仕事をしたことがあります。1992年にダーバンが立ち上げたメンズ・ファッション「A.A.R.」(aginst all risks=全危険負担)新発売のCM制作の時です。

思い出したくない思い出ですが、私はクリエイティブ・ディレクター、CMプランナーとして加わりました。変なプロデューサー、変なアートディレクターがいました(申し訳ありませんが、お名前すら忘れてしましました)。全く気が合わず、私は空回りのまま、仕事を終わりました。ですから、作った作品も全く覚えていません。もちろん、耀司さんには申し訳ないが、いい作品ではありませんでした。

ダーバンは「A.A.R.」の前に、「NUBRUD(ナブラッド)」というブランドを立ち上げ、なんらかの理由で撤退しています。思い出があります。私の先輩のアイディアで生まれたブランドだからです。ナブラッドとはダーバンを逆さに読んだものです。DURBUN→NUBRUDです。私はこのアイディアを早くから先輩から聞いていました。ですから実際のブランドとして立ち上がったときは、夢の実現に立ち会ったようで、感激しました。

しかし「NUBRUD」の後継ブランド「A.A.R.」の仕事で、私は惨敗しました。先輩に申し訳ない。恥ずかしい気持ちでいっぱいです。「A.A.R.」の日本のCMスタッフはバラバラでした。耀司さん(ヨウジ)はさぞ日本のクリエーターのレベルの低さにがっかりしたでしょう。

2、ヴィム・ヴェンダース

ヨウジは1980年代の後半に、ドイツ出身の映画監督ヴィム・ヴェンダースと『都市とモードのビデオノート』(89年公開)で仕事をしています(『私の履歴書山本耀司 日経9/22)。

「初対面なのに彼の目を見ただけでなぜか長年の親友のような気持ちがこみ上げてきた」。そして「ガード下の居酒屋で生ビールを飲んだり・・・・・・。2人は兄弟のよう固い絆で結ばれている」というのですから、どうしようもありません。

そしてヨウジは93年に、20世紀を代表する前衛劇作家ハイナー・ミューラーとバイロイト音楽祭で、楽劇『トリスタンとイゾルデ』の仕事をしています。ヴィム・ヴェンダースの紹介です。「私は衣装に幾何学的なデザインを取り入れ、人物の性格に合わせて正方形、台形、三角形に変化させた」というのですから、伝統を破壊し、新たな創造をしています。飛んできたのは熱烈な拍手、というのですから、大成功を納めています。

さらにヨウジは98年に前衛舞踏家ピナ・バウシュと仕事をしています。ブッパタール舞踏団の結成25周年記念祝祭に空手の提案をしています。「舞踏家と空手の肉体表現を即興で競演させたいんだ」。そして成功します。「コラボレーションの難しさは互いに気兼ねし、譲り合っていたら失敗すること。衝突を恐れぬ勇気と無心があってこそ初めて輝きを放つのだ」。ヨウジはどんな女性のために服を作るのかの質問に対して、「存在しない女性のために」の代わりに、「ピナのために」と答えるようになります。

映画、オペラ、舞踏。ヨウジは、ドイツの鬼才3人と仕事をし、創造の喜びを味わっています。日本でのCM制作は何だったのでしょうか。恥ずかしくて、逃げ出したくなります。

3、北野武

ヨウジは、映画『BROTHER』(2001年)、『ドールズ』(2002年)で、北野武と仕事をしています。『ドールズ』の衣装では1000万円の自腹を切った、男と男の友情、男気だと言います。そしてヨウジは77年ごろから写真家の操上和美と付き合っています。北野武と操上和美、ともに男を描く、男を撮る、のが得意のアーティストです。そして新宿・歌舞伎町に住んでいた少年・ヨウジは、ケンカに明け暮れていました。さらに、ヨウジの父・山本文雄は35歳で召集され、戦死しています。「『一億総玉砕』という軍や政府の無策に付き合わされたバカバカしさに無性に腹が立ってくる」。ヨウジは、黒光りする爆弾を心の奥にそっと忍ばせています。

「黒の衝撃」、「こじきルック」、「ボロルック」、「カラス族」は、ヨウジが軟弱なファッションデザイナーでない、ことの証明です。1992年五反田のダーバン本社で「A.A.R.」の発表会が開かれました。入り口の20体ほどのマネキンが、スーツ姿でドレスアップして、並べられていました。普通だけど、趣味がいい。「これだれが、コーディネイトしたんですか?」「ヨウジさん、ご本人がなさいました!」。脱帽、さすがでした。