歴史学者ではない「歴史家」・井沢元彦の話を聞いてみましょう。

THE TED TIMES 2024-32「井沢元彦」 8/12 編集長 大沢達男

 

歴史学者ではない「歴史家」・井沢元彦の話を聞いてみましょう。

 

1、穢(けが)れと禊(みそぎ)

1)イザナギ

日本の天皇は穢れと禊から生まれました。

イザナギは亡くなったイザナミを求めて黄泉の国に行きます。

ところがイザナミの体には蛆虫がわき腐っていて、やむなくイザナギは地上に戻ります。

そしてイザナギは穢れを落とすために禊をします。

禊とは清らかな水につかることで、穢れを洗い流すことができます。

イザナギは筑紫野日向の清流に身を投じ禊をします。

そのとき左目をこすったときに生まれたのがアマテラスで、右目から生まれたのがツクヨミ、鼻をこすったときに生まれたのがスサノウです。

アマテラスの父はイザナギで母はイザナミです。

2)アマテラス

天皇の祖先であるアマテラスは、からだを交らわせることのない「神事=誓約(うけい)」によって誕生しました。

清らかなことは尊いことです。天皇家は神々の子孫の中で最も尊い血筋なのです。

重要なのは、穢れは悪であり、罪であり、過ちであり、不幸であることです。

穢れの発生は、人間の死、動物の死、それを連想させる「血」に関わるものからです。

お清めの塩が配られるのは、葬儀に参列した人は穢れているから、清めなければならないからです。

3)持統天皇

天皇であっても死ねば穢れをもたらす存在でした。穢れは全て捨てるの観点から、天皇が代替わりするたび、宮殿は捨てられ遷都をしていました。

藤原京以前の日本では天皇一代ごとに、一代の中でも複数回遷都がされていました。

さらに古代の古墳は堀に囲まれています。穢れを避けるためにです。

694年持統天皇藤原京に首都を固定します。持統天皇は自らの遺体を火葬することで、穢れ忌避信仰から逃れ、遷都は行われなくなります。

 

2、怨霊(おんりょう)

1)オオクニヌシ

怨霊とは、怨念を抱いたまま亡くなった人の死穢(しえ)から発生する穢れです。怨霊を鎮魂するために神として祀るのが「怨霊信仰」です。

日本最初の怨霊神は大国主命オオクニヌシ)です。出雲族と大和族の戦いで、先住民の出雲族であるオオクニヌシは亡くなります。

大和族はオオクニヌシが怨霊とならぬように出雲大社を造り祀りました。

2)崇徳天皇

崇徳天皇という怨霊神もあります。

崇徳天皇鳥羽天皇の子ですが、実は父の白河天皇鳥羽天皇の妻の藤原彰子(しょうし)に生ませた子でした

白河天皇の死後、鳥羽天皇は自分の子を天皇にしようと崇徳天皇をいじめ抜き、退位させ近衛天皇を誕生させます。

近衛天皇が早逝すると、崇徳天皇は自らの子を天皇にしようとします。

しかしまた鳥羽上皇が邪魔に、彰子の子である後白河を皇位につけようとします。そして後白河派と崇徳派の保元の乱が起こります。

敗れた崇徳上皇は島流、その息子は出家させれます。

太平記』に登場する崇徳天皇は日本で最強の怨霊です。

明治天皇は即位の前に、四国山中にある崇徳天皇の御陵に勅使を送り鎮魂しています。

あなたをここに流したことは間違いであった。お許しください。新しい朝廷を守ってください。この記述が宮内省(当時)に残っています。

3)菅原道真

平安時代菅原道真は、頭の良い人物で右大臣でしたが、藤原氏の陰謀により太宰府に左遷され失意のままに亡くなります。

道真の訃報の後、清涼殿に雷が落ち、公卿二人、藤原氏一人が亡くなります。

道真の怨霊を遅れた藤原氏は、道真を太政大臣正一位に昇進させ、さらに「天満大自在天」という神として祀ることにします。

4)諡(おくりな)

崇徳上皇」、「鳥羽天皇」、「後白河天皇」。すべて生前からの名前ではありません。諡です。死後にその業績に対して贈られた名前です。

 

3、和

1)話し合い絶対主義

聖徳太子が制定した憲法17条の第1条にあります。

「一に曰(いわ)く、和を以て貴しとなし・・・」。(おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ)。

聖徳太子は、仏教の教えより、天皇の命令に従うことよりも、和を保つことが大切だ、と言っています。

「話し合い絶対主義」です。

21世紀の今もそうです。「みんなで決めた」ことが大切で、反対意見は許されません。

ノーベル賞受賞の真鍋淑郎は同調圧力ために国を捨てました。

2)言霊(ことだま)

言霊とは言葉にすればその通りに現実が進むという信仰です。

たとえば、行き過ぎた差別語反対運動です。

卑弥呼(ひみこ)は、称号で、実名ではありません。それも「日御子(ひみこ)」か「日巫女(ひみこ)」だった思われます。中国人が「卑弥呼」の字をあてたのでしょう。

言霊信仰からすれば、言えば起きる、書けば現実に起きる、のです。

福島で「メルトダウン」の可能性は報道されませんでした。

日本は必ず勝つ、絶対に負けない、と信じて戦争は続けられました。

3)歌御会始

これは言霊のいい面です。歌御会始の起源は亀山天皇の1267年にあり、江戸時代もほぼ毎年開かれていました。

万葉集は世界の文化遺産と呼ぶにふさわしいものです。

「日本には和歌の前に平等があります」(渡部昇一)。

誰の言葉にも言葉には霊力がある「言霊信仰」があります。

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以上は、『真・日本の歴史』(井沢元彦 幻冬舎)から、大沢が気に入ったところだけの要約です。

日本基準の穢れも、禊も、怨霊も、和も、話し合い絶対主義も、言霊も、世界基準ではありません。

現在の世界基準は、西欧キリスト教徒が作った、コミュニケーション、ネゴシエーション、プレゼンテーションの人権、自由、平等です。

私たちは、日本基準の歴史と伝統を守りながら、国際社会では世界基準で行動しなければなりません。