エルヴィスとジョン・レノンが対立していたなんて、ほんとのようでウソの話です。

THE TED TIMES 2024-38「エルヴィス&ビートルズ」 9/24 編集長 大沢達男

 

エルヴィスとジョン・レノンが対立していたなんて、ほんとのようでウソの話です。

 

1)「抱きしめたい(I want to hold you hand)」

こんにちはエルヴィス・プレスリーです。

今日はエルヴィスとビートルズの話をしましょう。

ビートルズが、アメリカのヒットチャートに登場したのは、1964年1月です。

2月1日に「抱きしめたい(I want to hold you hand)」がビルボード誌のチャートで1位になり、

あとは5月2日に「Can’t buy me love」まで、ビートルズはトップを独占し続けます。

そのときエルヴィスは何をしていたかって?

いい質問です。

62年以降は映画出演の契約に縛られていました。ですからヒットは映画がらみのものだけでした。

映画に無関係のヒットソングは、63年の「悲しき悪魔(Devil in Misguise)」だけ、という寂しい状態でした。

この曲は63年8月31日と8月17日にビルボードで第3位、それが最高位でした。

 

ちなみに名誉のために60年代のエルヴィスのヒットソングだけに限って言っておきます。

1960.4.25~5.16に4週連続「本命はおまえだ(Stuck on you)」が第1位、

1960.8.15~9.12に5週連続「It now or never」が第1位、

1960.11.28~12.31に6週連続「今夜はひとりかい?(Are you lonesome tonight?)」が第1位になっています。

つぎに

1961.3.20~3.27に2週連続「Surender」が第1位に、

そして1962年2月3日に「好きにならずにいられない(Can’t help loving you)]」が第2位に、

1962年4月21日~4月28日に2週連続「Good luck charm」が第1位に、

1962年11月17日~12月15日に5週連続「心の届かぬラブレター(Return to sender)」が第2位に

さらに先ほど触れた

1963年8月10日~8月17日に2週連続「悲しき悪魔(Devil in disguise)」が第3位になっています。

間違いなく、エルヴィスが終わり、ビートルズが始まっています。

私のヒットソングには、音楽的な冒険がありません。

強いて言えば「本命はおまえだ(Stuck on you)」だけがロックっぽい歌です。

あとはエルヴィスの声と歌唱力に頼ったヒットソングばかりです。つまり他の誰かが歌ってもそれなりの歌になるようなものばかりです。

しょうがありませんね。エルヴィスが爆発したのはビートルズアメリカ登場の8年前、1956年4月の「Heart break hotel」です。

 

2)ハート・ブレイク・ホテル

にも関わらず、ビートルズのメンバーは、昔のエルヴィスに心酔していました。

ジョン・レノンの有名な言葉があります。

「エルヴィスがいなければ、ビートルズは存在しなかった」。

「エルヴィスによって白人の自分たちにもロックンロールを歌えることに気づかされた」。

「エルヴィスを知ったことでバンド結成を思い立った」。

ポール・マッカートニーも同様のことを言っています。

「救世主が現れたと思った」、

「『ハートブレイクホテル』という曲がその証拠さ」。

(以上は、Http://abbyroard0310 Hatenadairy.jp 「ビートルズに影響を与えたアーティストたちーエルヴィス・プレスリー その1」を参考にしました)。

そしてビートルズアメリカで爆発した一年半後に、ビートルズはエルヴィスと会うことになります。

1965年8月27日(金)の夜10時、ビートルズの4人は、ロス・アンゼルス・ベルエアの私の家にやってきました。

 

その話になる前に、1曲、聴いていただきます。

 

♬(Heartbreak hotel

Well since my baby left me,                                                        あの娘が行ってしまってから

Well I’ve found a new place to dwell                                       新しい居場所を見つけたよ

But it’s down at the end of Lonely Street                               ロンリーストリートの外れにね

At Heartbreak Hotel, where I’ll be・・・                                      ハートブレイクホテルというところ                                 

 

(Chorus 1)

I’ll be so lonely, baby,                                                               さみしいよ きみ

I may so lonely,                                                                         めちゃさみしいよ

I may get so lonely I could die,                                                  さみしいよ 死んでしまうほど

 

Although it’s always crowded                                                  いつも混んでいるけれど

You still  can find some room                                                    部屋ならあるさ

For broken hearted lovers                                                         ふられた奴のために

To cry there in the room                                                           涙を流す部屋さ

 

(Chorus 2)

Well they get so lonely, baby,

Well they get so lonely,

They’ll get so lonely they cloud die,

 

Now the bell-hop’s tears keep flowing                                     ベルボーイは涙を流し                                    

And  the desk-clerk’s dressed in black,                                    ホテル従業員は喪服だよ

Well they’ve been so long on Lonely Street                             みんなそうなんだ ロンリーストリートでは

They’ll never, never look back                                                  みんな過去を絶対に振り返らない

 

(Chorus 3 as 2)

 

Well if your baby leaves you                  もし君が彼女に振られたら  

And you’ve got a tale to tell,               泣きを言いたくなるだろう   

Well just take a walk down Lonely Street         そしたらロンリーストリートさ 

To Heartbreak Hotel, where you will be ・・・       ハートブレイクホテルにおいでよ      

 

(Chorus 4 as 2)

 

 

3)ベル・エア

きっかけはビートルズのマネージャーであったブライアン・エプスタインと私のマネジャーであるパーカー大佐の話し合いからです。

ブライアンが、

ビートルズロスアンゼルスのベネディクト・キャニオンにいます」。

パーカー大佐は、

「セキュティに問題があるね。ミスター・プレスリーが住んでいるのはベル・エアという安全な場所ですよ」。

ブライアン、

「われわれがあなた方を訪問すべきだと主張なさるんですね?」。

パーカー大佐、

「”主張”は言い過ぎだよ。ブライアン。あなた達は我々の国にいる、そうでしょう。もしミスター・プレスリーがあなたの国にいるだったら、我々があなた方を訪問するでしょう。そういうことじゃないかね?」

・・・・・・。

パーカー大佐はフリーのジャーナリストのクリス・ハッチンスの同行だけを許し、

カメラ、写真、テープレコーダーの禁止を条件にエルヴィスとビートルズの会見を許すことにしたのでした。

しかもパーカー大佐はエルヴィスの住所すらブライアンに教えませんでした。

絶対の秘密、当日も車を乗り換え乗り換え、まるでスパイ作戦のようにして、ビートルズは私に会いに来てくれました。

 

4)ポール・マッカートニー

ビートルズの4人が部屋に入ってきたとき、

私・エルヴィスはプリシラと一緒に部屋の真ん中のソファーに座っていました。

プリシラはまだ20歳で許婚、結婚していませんでした。

私の周りにはいつものように、メンフィス・マフィアの男たちがいました。

部屋に入ってきた4人を私は立ち上がって出迎え、ソファの私の右にジョンとポール、左にリンゴとジョージが座らせました。

ところが、レコードの音が途切れると、気まずい沈黙が訪れました。

4人は私を見つめているばかりでした。

私はたまりかねて言いました。

「君たちみんな、そうやって僕をじっと見つめているつもり?それなら僕は寝てしまうよ」。

「一緒にプレイしてもいいと思っていたのに」

そのとき声を出したのはポールでした。状況を察して声を上げてくれたのです。

「それはいいなぁ!」

私は言いました。

「ギターを持ってきてくれ」

私はベースギターを取り上げ、ジョンとジョージはギターのチューニングを始め、ポールはピアノの前に座りました。

私はリンゴに言いました。

「悪い、ドラム・キットがないんだ」

私はベース・ギターを鳴らしながら、ポールに話しかけました。

「うまく弾けないんだ・・・でも練習しているんだ」

ポールは丁寧に様々なポイントを教えてくれました。

「上達が早いですね。あなたをスターにしてあげますよ」

お世辞を言い、冗談を言いました。

それから私と4人は、飛行機トラブルやステージでのトラブルの話をしながら、打ちとけて行きました。

部屋の片隅ではパーカー大佐が

「皆さん、カジノが始まりますよ」

声を張り上げ、ルーレットのまわりに人を集めていました。

メンフィス・マフィアの連中はカクテル・バーで飲み始め男同士の話をしていました。

ベース・ギターを抱えた私は、ポールに「何を演る?」と聞きました。

ポールは「もう一人のシーラ、シーラ・ブラックの『ユー・アー・マイ・ワールド』」と言って弾き始めました。

私・エルヴィスと4人のビートルズで構成された即席バンド、「ベル・エア・オールスターズ」は、やはりプロでした。

ただひとり、この模様を取材していたクリス・ハッチンスはこう書いています。

「エルヴィスの声は誰よりも豊かで、深く、力強く響き、彼の歌には魔法があり、それがいとも自然に生み出されていた」。

 

3)ジョン・レノン

私がベースで「I feel fine」を弾き始めたときでした。

ちょっぴりリラックスしたジョン・レノンが話しかけてきました。

「なぜエルヴィスは昔のロックを捨てたんですか?」

「昔のサンのレコードが僕は好きだったんだけど・・・」

私は答えました。

「僕が映画のサウンドトラックばかり作っているかって、もうロックンロールができないってことじゃないよ」

もちろんジョンの質問は正しいものでした。

私はダメな自分を知っていました。

映画はどうしようもないものばかり、テレビ出演なし、国内はもちろん海外でもコンサートもなし、だからヒットソングもなし。

私は、ないないづくしのエルヴィスを知っていました。

でもそれはパーカー大佐のマネージメントの方針でした。

なぜそんなマネージメントだったのか?

<パーカー大佐の個人的な事情>(彼はパスポートが取れない身の上でした)がありました。

これは天国に来て知ったことなんですが・・・。

このときジョン・レノンは、私の部屋の片隅にあった幌馬車の模型に「どこまでもLBJとともに」というスローガンがあるのを見つけて、私への反感を強めたことになっています。

LBJとは、リンドン・B・ジョンソン第36代アメリカ大統領のことで、当時アメリカはベトナムで戦争をしていました。

でもこれは、クリス・ハッチンソンの『エルヴィス・ミーツ・ザ・ビートルズ』によれば、という限定です。

エルヴィス・プレスリージョン・レノンとの対立はそのときに始まった。>

私はジョン・レノンに含むところは何もありません。

クリス・ハッチンソンの記述は到底信じられないものです。

「いまや両者の間には純粋に個人的な敵対関係が生まれた。それは音楽に関するものではなく、政治信念に関わる対立、強健なアメリカの愛国主義者エルヴィスと、反戦主義者ジョンの対立だった」(『エルヴィス・ミーツ・ザ・ビートルズ』 p.183)。

ということになっています。

そして『エルヴィス・ミーツ・ザ・ビートルズ』の結論は、私がニクソン大統領に会い「ビートルズが反アメリカ精神の元凶になってきた」(p.233)と述べ、FBIを訪ね「(エルヴィスの)持てる力のすべてを費やしてジョン・レノンへの復讐を果たそうとした」(p.235)

というのですから・・・私は天国に来てからこの本を読みました。もちろん出版されたのは1995年ですから、私が死んでから18年も経ってからのものです。

1965年8月27日のエルヴィスとビートルズが会った貴重な記録であることを認めますが、「エルヴィスvs.ジョン・レノン」の本のテーマを私は認めません。

想像してみてください。

あの日私は、キング・オブ・ロックンロールとはいえたったの30歳、ジョンにいたっては24歳です。

ふたりとも音楽では世界の頂点に立っていましたが、世間知らずの若者でした。

すくなくとも私には「政治的信念」なんてものはありません。あるのは母に教えられた南部の男としてのモラルだけです。

それは『エルヴィス・ミーツ・ザ・ビートルズ』の著者のクリス・ハッチンソンがよく知っていたはずです。

束の間の音楽セッション、ルーレット、談笑を楽しんだビートルズのメンバーは、午前2時に帰って行きました。

私は、ビートルズを乗せてきた運転手のアルフ・ビッグネルに向けて「サー」をつけた敬語で、お礼を言いました。

<運転手がエルヴィスのあまりもの礼儀正しさに仰天した>(p.185)というエピソードを書いているのは著者のクリス・ハッチンスです。

これが、これこそが、エルヴィスです。

(以上は、『エルヴィス・ミーツ・ザ・ビートルズ』 クリス・ハッチンス&ピーター・トンプソン 高橋あき子訳 シンコー・ミュージックを参考にしました)

 

4)ウッド・ストック

1965年、ビートルズと会ったあの日、私は、映画『いかすぜ!この恋(Ticle Me=ぼくを喜ばせて)』の撮影が終わり、次作の映画『ハレム万歳(Harum Scarum=無鉄砲野郎)』の準備が始まっていたところでした。

ないないづくし、あるのはアン・マーグレットとのスキャンダルだけ、生涯最悪の時代でした。

1968年TV出演「カムバック・スペシャル」までの休息の時代でした。

ビートルズはアルバム「Help!」が出たあとでした。

このあと「Rubber Soul」、「Revolver」とグループの最高傑作を出し、ビートルズを不滅にしています。

時代は大きく動いていました。

エルヴィス・プレスリーの時代もビートルズも時代も終わます。

ヒッピーのロック・フェスティバルの時代になります。

1967年の「モンタレー・ポップ・フェスティバル」(映画は1968年公開)のジミ・ヘンドリックスジャニス・ジョップリン、ママスアンドパパス。

そして1969年の「ウッドストック・フェスティバル」でのグレイトフル・デッドCCRザ・フー

青空での大音響のロック・フェスティバルの時代になります。

ジーンズ、スニーカー、Tシャツ、ロングヘアは単なるファッションではなく、生き方、ライススタイルを表現するもので新しい文化でした。

私のコンサートライブに集まる若者とははっきりと違った人々になっていました。

 

では最後にビートルズポール・マッカートニーが褒めてくれた1955年の私の曲を聞いていただきます。

エルヴィスとビートルズが出会う10年前の曲です。

 

♬ (Mistry Train

Train I ride, sixteen coaches long.                                                              乗った列車は長い16両

Train I ride, sixteen coaches long.                                                              乗った列車は長い16両 

Well, that long brack train                                                                          そうさ長い真っ黒な列車

Got my baby and gone                                                                                彼女を乗せて行った

 

Train train, comin’ ‘round.                                                                         列車が回ってやってくる

‘Round the bent                                                                                         ぐるり回ってやってくる

Train train, comin’ ‘round the bend.                                                          列車がやってくる回ってやってくる

Well it took my baby,                                                                                  彼女を連れて行った

But it never will again(no, not a・・・gain).                                                   だけどもう戻ってこない 

 

Train train, comin’ down, down the line                                                     列車がやってくる線路を下って   

Well it’s bringin’ my baby,                                                                         彼女を連れて

‘Cause she’s mine, all, all mine.                                                                 だって彼女はぼくのもの 絶対ぼくのもの 

(She’s mine,・・・all, all mine,・・・)

 

 

エルヴィスとビートルズの時代の終わり・・・。

なんだか、結論のようになってしまいましたが。

まだ私から話さなければならないことがあります。

まず、プリシラのこと。

ビートルズと会った時、プリシラは同席していましたが、まだ結婚していませんでした。

次に、1969年から1977年までのラスベガス公演のこと。

そしてパーカー大佐のことです。

もうしばらくエルヴィスの天国日記は続きます。