THE TED TIMES 2024-37「アラン・ドロン」 9/17 編集長 大沢達男
8月18日88歳で、俳優のアラン・ドロン(1935~2024)さんが、亡くなりました。
1、L.V.
『太陽がいっぱい』(Plein soleil 1960)で世界的なスターになったアラン・ドロンは、早速イタリアの巨匠・ルキノ・ヴィスコンティ(Luchino Visconti 1906~1976)に目をつけられ映画『若者のすべて』(Rocco et ses freres 1960)の主役に抜擢されます。
その時のロケの話です。
アラン・ドロンは、ロケ現場の到着したルキノ・ヴィスコンティ監督の荷物を見て、驚きます。
「さすが有名な監督だけのことはある。旅行カバンやバックには全て自分のイニシアルであるL.V.(Luciono Visconti)が刻んである、たいしたもんだ」
アラン・ドロンがL.V.(Louis Vuitton)の旅行カバンを知らなかった、という笑い話です。
もう20年も前ですけどこの話を、下北沢の焼き鳥屋で知り合ったフランス人に話したら、笑っただけでなく、すごく褒めてくれました。
「この話は、テッド(私のことです)が、自分で作った話?」
「いや、だれだか忘れたけど、聞いた話ですよ」
「それにしてもよくできた話だ・・・。実話かどうかなんて、どうでもいい。アラン・ドロンの本質をよーく表しているよ」
そしてフランス人は焼き鳥を上品に食べ、白のグラスワインをエレガントに飲みながら、衝撃的な話をしてくれました。
アラン・ドロンは貧しい育ち、学歴もない、無教養な男である、日本と世界はアラン・ドロンを美男俳優としてだけ受け取っているけれども・・・。
2、映画『若者のすべて』
映画『太陽がいっぱい』は、ヨットを所有するような富豪のフィリップ(モーリス・ロネ)に、貧しく無教養なトム(アラン・ドロン)がこき使われ、やがてトムはフリップの財産を狙い殺害するようになるピカレスク(ごろつき)・サスペンス映画です。
アロン・ドロンが演じたのは、ドロン本人と似たようなごろつきの美男でした。
『太陽がいっぱい』を観たルキノ・ヴィスコンティが、すぐさまに『若者のすべて』の主演にアラン・ドロンを決定したのは、ごろつきの美男が必要だったからです。
未亡人と4人の息子がイタリア南部の貧しいバジリカータ州(地図上だと、靴の爪先とヒールの間、土踏まずの所)から、北部の豊かなミラノにやってきて、一旗あげようとする映画です。
息子たちはボクシングで身を立てようとします。三男のロッコ(アラン・ドロン)もボクシングをやります。
映画はイタリアの北部と南部の貧富の差を描いています。しかし描いているのは、貴族階級出身のルキノ・ヴィスコンティ監督です。
監督はアラン・ドロンの美貌の下にある下卑(卑しく、下品な)た美男の本質を見抜いていたに違いありません。
映画はヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞しました。
日本でのアラン・ドロンはなんといってもレナウンのCMで、「D’URBAN, c’est elegance de l’homme moderne.(ダーバンは、いまの男性のエレガンス)」のキャッチコピーは、日本人の心に刻まれました。
私は電通のCMプランナーとしてダーバンのCM制作に関わり、小林亜星の音楽取り、城達也のナレーション取りに数年立ち会っています。
企画・ロケは先輩、ですから私はパリには行っていませんし、アラン・ドロンにも会っていません。
録音スタジオで妙に印象に残っていることがあります。
アラン・ドロンが早暁の平原で、鳥を撃つ銃を持ったままリンゴを齧(かじ)るシーンに、なんかヘンだなと感じていました。
カッコよくない、ダンディじゃない。
そして改めて、食べる・飲むに関わるアラン・ドロンのシーンを、見直してみました。
下卑ている。下北沢の焼き鳥屋でのフランス人の指摘は当たっていました。
そしてルキノ・ヴィスコンティ監督はこの「下卑た美男」が気にいったのだと思いました。
3、ラテンとアラブ
これも2~30年前の話ですが、仕事仲間にフランス人の父と日本人の母から生まれた20代の女性がいました。
フランス語と英語、そして日本語を話します。
彼女がある日何気なく私に言いました。
「アラン・ドロンはラテンとアラブのベスト・ミクスチャーなのよね」。
・・・・・・。
Rest In Peace.
アラン・ドロンさんのご冥福をお祈りします。