<樫原龍彦、安らかに眠れ>。電通の同僚・大沢達男からの弔辞です。

THE TED TIMES 2025-17「樫原龍彦を送る」 4/24 編集長 大沢達男

 

<樫原龍彦、安らかに眠れ>。電通の同僚・大沢達男からの弔辞です。

 

つい先頃、田園都市線の宮崎台に行く用があり、「そういえば、昔、樫原のアパートの家に行ったな・・・」と樫原龍彦のことを思い出し、

ネットで消息を検索していると電通関係のサイトで、2月9日に亡くなっていることを知りました。

きっとあなたの霊に呼ばれただと思います。

数年前のゴルフ仲間との食事会で、まだ元気だったあなたから、なんだかやっかいな病気にかかっている、と聞いていましたから冷静に受け止めることができました。

しかし・・・・・・、あなたの死を知ってから、次から次への思い出でいっぱいになりつらくなり・・・・・・追悼の文章をまとめようと決意しました。

<樫原、安らかに眠れ>

 

私・大沢達男は、電通のクリエーティブで2年先輩です。

電通で、私の上司だった武下朗が日大芸術学部の先生で、まだ学生だった樫原が電通にアルバイトに来ているころからの知り合いでした。

武下朗は、<大沢と樫原は兄弟みたいだなと>、私たちを可愛がってくれました。

あれから50年以上、途切れ途切れとはいえあなたとの付き合いはあったのですから、電通であなたに一番近かったのは私ではなかったのでしょうか。

 

あれは70年代の湘南・七里ヶ浜でした。

私のスカイラインでナンパしましたね。

鎌倉の手広(てびろ)かなんかに住んでいる、お嬢さんの二人組でした。

しかしあまりの文化の違いに、若者文化の専門家を自称するクリエーターふたりは撃退されました。

少女A「ねえ?タンベ持ってる」   樫原「え?何?」

少女A「タンベ!たばこ!」   樫原「あっ・・・ど、どーぞ!」

タンベとは韓国語でタバコでした。

また次のシーンでは、

少女B「ちょっと、ビョンソ行ってくる!」   大沢「温泉?」

少女B「え?わかんないの。トイレ!」   大沢「あっ・・・ど、どーぞ!」

ビョンソとは韓国語でトイレ。

私たちはアセリまくりました。韓国人ではないのに、少女たちは韓国語を使っていました。

<・・・わかんねぇ・・・>。

早々にバイバイしましたね。

 

二つ目。あれはグァムのロケでした。やはり70年代です。

花王のシャンプーの仕事でした。

浅田美代子さんのスケジュールの都合でCM担当の大沢だけが、浅田さんと一緒にグァム入りました。

私たちはホテルでスタッフに合流し、出迎えてくれたあなたに、テレかくしの冗談を言いました。

大沢「オオ!樫原、(小指を立てて)こっちの方の用意はできているだろうな!」

樫原「もちろんですよ。食事の後に、女性二人と踊りに行くことになっていますから」

私たちふたりは、岡山の会社の女性二人と踊りに行き、深夜までホテルに戻りませんでした。

あとで聞くと、ホテルでは大騒ぎ。

二人の美人社員が帰ってこない。どこかに拉致された。

まあ、事件にはなりませんでしたが、ちょっとした失敗でした。

あなたと私は「最強の軽薄コンビ」でしたね。

 

三つ目も70年代、これはロスアンゼルスです。

カーク・ダグラスのCMの樫原とアーノルド・パーマーのCMで大沢、最強の軽薄コンビがハリウッド・ロスアンゼルスで出会ってしまいました。

大沢「あしたオフ(休み)だけど、樫原は?」   樫原「ボクも、オフですけど・・・ラスベガスですかね?(多分冗談で言ったのだと思う)」

グァムの一件でわかるように、ふたりの間では冗談が冗談にならないから、怖い。

大沢「クルマはあるよ。ラスベガスに行こう。ただし着替えのスーツを持ってな。すぐに出発だ」

ムチャクチャです。ロスからラスベガスは300マイル、480キロ、簡単に言って東京・大阪間。

カーナビがない時代。地図をたよりに、深夜ラスベガスへ、そして6時間のギャンブル、再びロスへ帰還。

あなたはギャンブルの才能がありました。

ルーレットとブラックジャックで千ドルはいかずとも何百ドルかを手にしました。

しかしロスとベガスの往復弾丸旅行は、無謀すぎました。

 

あなたと最後にゴルフをやったのは、米軍の座間キャンプだったでしょうか。

二人とも70歳を過ぎていました。

あなたは映画スターのような古いベンツに乗ってやってきて、相武台の駅で私をピックアップしてくれましたね。

米軍のゴルフ場のレストランではドルも使えて、アーノルド・パーマーの来日記念の写真がありました。

私たちは言葉に出さなくても、50年前のロスアンゼルスの思い出に浸っていました。

 

ご遺族のみなさま、申し訳ありません。

樫原に付き合ってもらった電通の大沢は、軽薄な先輩(というより同僚)でした。

樫原龍彦がご遺族のみなさまに迷惑をかけていたのではないかと心配です。

樫原龍彦はたくさんのご兄弟の下の方だと聞いています。実は大沢達男も6人兄弟の下から二番目です。

つまり<甘えん坊>。

だれかにおだてられ、チヤホヤされることを期待している人間です。

しかもクリエーター。

自分が世界で一番才能があると信じている<わがまま>です。

つまり<甘えん坊>で<わがまま>は自分のことで精一杯で、まわりに優しくする力に欠けていた、のではないかと心配しています。

もちろんこれは私の自戒の意味で申し上げているのですが。

 

あなたには私の知らない<大阪の電通時代>がありました。

そのとき芥川賞作家の故・新井満とも知り合いでした。

樫原「アライよりかオオサワちゃんのほうが面白いかも・・・」

と冗談を言ってくれたことがあります。

あなたが表現にかけた木彫に負けないように、大沢は小説に挑戦しています(言い忘れました、あなたの木彫に似た、オーギュスト・ロダンの作品を発見しました)。

あなたの冗談を冗談で終わらせません。

いつか成功を天国にご報告します。

<樫原、安らかに眠れ>。

ご冥福をお祈りします。

 

 

2025年4月

大沢達男 

 

*同封の写真は、駒沢にあった電通の八星苑(はっせいえん)球場での、70年代の大沢と樫原です。