TED TIMES 2020-67「大城立裕」 12/28編集長大沢達男
沖縄と日本。単一言語、単一民族への疑問。
1、ロケ
初めて沖縄に行ったのは、1970年代です。CM撮影です。まだ冬の日本から、太陽の光を求めて南の島に行ったのです。
沖縄返還は、1972年5月15日、それ以降だったと思いますが、沖縄は外国みたいでした。デューティー・フリーがありました。ウイスキーのカティーサークやタバコをラークを買った記憶があります。そのあとも数回、沖縄にCMロケで行っていると思います。
最後に沖縄に行ったの数年前です。映画のロケでした。香港の映画スターのお付き、映画撮影に付き合いました。撮影の後、映画スターのおごりで、豪華な食事をして、最高級ホテルにも泊まりました。香港の映画スターは沖縄が大好きでした。いつも沖縄を絶賛していました。
そんなわけで私にとっての沖縄は、ハワイ、グァム、サイパンのようなリゾート地以外の何物でもありませんでした。
2、辺野古遠望
平和ボケの私をブン殴ったのは、「ベストセラーで読む日本の近現代史 第88回ー『辺野古遠望』ー」(『文藝春秋』2021.1)を書いた、佐藤優氏です。
<沖縄が日本の国内植民地であることは客観的な事実である。(中略)差別者は自らが差別者であることを認識していない(後略)>(前掲『文藝春秋』p.379)。
驚きました。無知を恥じました。あわてて『あなた』(大城立裕 新潮社)を手に入れ、所収の『辺野古遠望』を読みました。
基地は反対であるけれど、基地の建設工事で食っている人もいる、これが沖縄人のジレンマです。
<海面の下にはサンゴの群落があり、ジュゴンも棲む>(p.88)。そこを埋め立て滑走路を作るのです。
その建設工事に関わるのか。入札に応募するのか。応募しなければ、誤解されますよ、と沖縄県人の防衛局の係長から小説の主人公は忠告をうけます。つまり基地反対派にされてしまう。
しかし驚きは別次元にありました。沖縄の言葉は日本語ではありません。
<ウチナーンチュ、ウシェーテー、ナイビランドー(沖縄人を馬鹿にしてはなりませんよ)>(p.96~7)。これは故・翁長知事(おなが)のスピーチの一部です。
日本は皇室を戴く単一言語の単一民族の世界でも稀な国である。しかし沖縄は日本ではありません。沖縄人はウチナーンチュ、日本人はヤマトです。
いつから沖縄は日本になったのか。「琉球処分」です。1872年に琉球藩が設置され、1879年に廃藩置県で沖縄県になり、琉球国は滅亡します。強制接収です。
<彼ら(筆者注:日本人)は沖縄を処分して構わない異民族としか見ていない>(p.105)。なんということか、私は「琉球処分」すらも知りませんでした。
3、大城立裕
さらに恥ずかしいことを告白すれば、私の義兄(姉と結婚)は、宮古島出身です。1960年代に船を乗り継ぎ、わずかな金を持って横須賀に上陸した冒険談を聞きました。違法な渡航ではなかったと思いますが、多分スレスレだったのでしょう。
義兄は若い頃歌手を志していました。歌を聞いたことがあります。
♫大利根月夜🎵(田畑義夫)。妙に鼻にかかったつぶやくようなこぶしのある歌い方で、とてもうまいとは思えませんでした。
私はイタリア風のベルカント唱法が好きでした。でも沖縄の歌は違いました。
和歌は5・7・5・7・7の31文字ですが、琉歌は8・8・8・6(サンパチロク)の30字なのです(前掲『文藝春秋』p.377)。義兄は琉球のレイブ(ノリ)で歌ったのです。無教養の私は理解できまんでした。
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作家の大城立裕は95歳で、2020年10月に亡くなりました。入れ替わるように読売ジャイアンツの大城卓三(おおしろたくみ 27歳)が2020年のセリーグのベストナインにキャッチャーとして選ばれました。