THE TED TIMES 2025-19「ロウ・イエとレオス・カラックス」 5/10 編集長 大沢達男
あなたの世界ナンバーワンの映画監督はだれですか。風雲急!今年の映画界。
1、ロウ・イエ(1965~)
私がまだCMクリエーターとして編集スタジオに出入りしていた頃でしたから、もう20年以上前になるでしょうか。
編集ソフトはAdobe、スタジオには縦型の引き出しのようなMacサーバーがありました。
ロウ・イエ監督の最新作『未完成の映画』の冒頭で、10年間使われていないMacサーバーがスタジオに持ち込まれ、起動されるシーンがあります。
心がジーン、祈るような気持ちで起動することを願い、この映画は私の、クリエーターの映画だと、思い込み始めていました。
『未完成の映画』は10年前の撮られたまま完成していない映画を、再びスタッフが集合し制作を再開するところから始まります。
ところが製作再開中に起きるパンデミックで、映画撮影はおろかスタッフは身動きすらができなくなってしまいます。
ホテルはロックダウン、スタッフはそれぞれの部屋に閉じ込められ、相互の連絡も家族との連絡も、スマホだけが唯一のコミュニケーション手段になります。
映画は縦長のスマホ映像の大胆に採用し、バラバラの部屋いるスタッフはマルチ画面で一つ画面に集められまるで集会を開いているかのように見える。
かと思うと、家族とスマホで悲しみの対話をし疲れ切って眠ってしまう男の、ヒューマニズム映像で涙を誘う。
さらにこの映画は世界でもまれな「COVID-19」騒動の貴重な記録映画になっています。
誰も歩いていない道路に公安だけが一人立っている、盗撮されたかのような「武漢(ウーハン」の街並み、公安(警察)に抗議する市民。
『未完成の映画』は、ドキュメンタリー・ドラマでありながら、映像の実験と映画を発明しようと意欲に満ち溢れています。
ロウ・イエ監督は帰ってきました。まさしく世界ナンバーワンのロウ・イエ監督の映画です。
2、レオス・カラックス(1960~)
「レオス・カラックス」という名前は13歳だったアレックス・デュポンが、映画に熱狂するあまりアレックス(Alex)とオスカー(Oscar)賞からアナグラム(文字の並び替えで新し言葉を作る遊び)で考えた、新しい名前です。
映画『It’s Not Me』は、映画の表現の可能性に挑戦している、ストーリーもドラマもないイメージを羅列したドキュメンタリー映画です。
レオス・カラックスの名前の由来と同じような、映像のアナグラムです。
純粋芸術のような、ジャン・リュック・ゴダールの『映画史』に影響で、作られた映画です。
『映画史』は、1988年発表の4時間26分の大作で、映画の発明だけに挑戦しています。
『It’s Not Me』で印象に残った断片を書きます。
トルコの海岸に流れついた3歳の幼児の死の映像(なぜこんな映像があるのかわかりません。カメラマンは救助せずに撮影していたのでしょうか)。
次はウクライナの活動家オクサナ・シャチコがトップレスのボディに「Fuck God」と書いて抗議行動をしている映像(彼女は2018年に31歳で亡くなっています)。
そしてこれはあり得ない映像ですが、缶詰から10個ぐらいの生卵をフライパンに入れ、スクランブル・エッグを作るシーン。
さらに監督の映画でお馴染みのアネットがデヴィッド・ボーイの「モダン・ラブ」を踊る圧巻映像もあります。
どの映像も、どのモンタージュも、そしてどのMA(映像と音のミックス)も実験的です。
なんだかわからないけれど、芸術を観ている感動が、満足となって全身を駆け抜けます。
レオス・カラックスは元気です。世界ナンバーワンの映画監督の地位を譲ろうとしません。意欲満々です。
3、世界のナンバーワン映画監督
5月2日(金)に『未完成の映画』を吉祥寺で、5月6日(火)に『It’s Not Me』を渋谷で観ました。
2025年もあと6ヶ月。このままロウ・イエが、あるいはレオス・カラックスが突っ走るのか。
ここだけの話、実はホッとしています。
カンヌ国際映画祭パルムドール賞の『ANOR アノーラ』とヴェネツィア国際映画祭銀賞の『ブルータリスト』を否定して、私は2025年の収穫として木村拓哉主演の『グランメゾンーパリ』をあげていたからです。
ワインを飲みながらの、年末の年間ベストテン映画の議論では、「えっ?年間ベストはキムタク?!」、グラスを投げつけられる、可能性がありました。
とはいえ、予断は許されません。
現在のところ、私の世界ナンバーワン映画監督は、『ポトフ』のトラン・アン・ユン(1962~)です。
他に、ナンバーワン候補にはポン・ジュノ(1969~)がいます。
最新作『ミッキー17』は不評。公開1ヶ月で、どこでも上映されていません。
ソフィア・コッポラ(1971~)は、『プリシラ』以後、何をしているのでしょうか。
・・・それとも見知らぬ監督が映画史に革命を起こすのか。
年末の議論が待ち遠しくなります。
話は変わります。
『未完成の映画』という題名はどうなのでしょうか?
原題の『An Finished Film』と映画の内容からすれば、『未完成の映画』より『終わらない映画』の方がいいのではないでしょうか。
つまり、撮るべき映像は残されている、映画の実験に終わりはない。
END