TED TIMES 2021-38「ドライブ・マイ・カー」 9/25 編集長 大沢達男
映画の天才・南野たけし氏が、映画『ドライブ・マイ・カー』(濱口竜介監督)を、大いに語る。
たけし氏「いやー、セックス・シーンがよかった。何て言うのかね、映画館で久しぶりに、その気になったよ。『ひとひらの雪』(渡辺淳一原作 根岸吉太郎監督 1985年 東映)以来かな。あのときは、津川雅彦の熱演に感情移入しちゃってさ、なにしろ、映画を見終わったあと、ガックリ。疲れたね、オイラ真剣(マジ)だった」
「『ドライブ・マイ・カー』では、霧島れいかと西島秀俊の夫婦。うらやましーね」
「しかも、あれだよ。旅に出る予定の亭主が、予定が急に変更になって自宅に帰ったら、カミさんが誰か知らない男を引きずり込んで、ヤッテいるのを目撃しちゃうんだから・・・」
「それで亭主はどうしたと思う。邪魔にならないように、静かに音を立てないようにして、家を後にするんだよ」「セックスがカミさんの創造の泉だからさ」
「オイラの映画ではセックス・シーンはあまりない。イヤー照れちゃってさー、ダメなんだよ」
「別れたカミさんとのことを、映画に撮るつもりはないね。だって映像にならない。カネ、カネ、カネ・・・だけの話だもの」
「セックス・シーン・・・そんなこと、他人に自慢できませんよ。見ていただくようなものでもないし」
「ただ残念なのは、濱口監督がなぜ、主役に西島秀俊ではなく、オイラ、南野たけしを選ばなかったのか」
「やっぱ、ジジイのセックスシーンじゃ、ダメか。身体中シワだらけ。『マジソン郡の橋』(クリント・イーストウッド監督 1995年)のイーストウッドはひどかったものね」
「バイアグラが使ってもだめか。でも、本読みのシーンなんか、オイラの方がいいと思うんだけど・・・」
たけし氏「オイラが好きなのは。広島の街をバックに赤いサーブが走っていく、ロングの俯瞰のシーンね」
「音声には、普段、主人公がクルマで聞いている、チェーホフの戯曲の台詞が流れてくるんだよ。クルマはロング、台詞はアップ。それも、人生への後悔や、生きていくことへの絶望など、哲学的なセリフが延々と続く」
「見ているものは、突如として空虚な世界に、誘導される」「そして、映画館からも日常からも放り出され、不条理の海に投げ込まれる」
「言葉を 人間から奪い取り、ただの音声として使うと、どうなる?」「人間は彷徨う。観客はオロオロし始める」
「うまく言えないんだけど、あれは芸術だね」
「あと、手話のシーンもいい」
「なにを言っているのか。わからない。だけど、手話だけで語る彼女の気持ちに感情移入できる。不思議だ」
「『あの夏、いちばん静かな海。』(北野武監督 1991年) という映画は、主人公を聾唖者にして、映画から一切の言葉を奪っている」
「映画から言葉を奪ってもコミュニケーションできるか。映像はどこまでコミュニケーションできるかの、実験さ」
「濱口監督もそのことをしている」
「人間から言葉を奪い、映像だけのコミュニケーションにする。すると人間の直感は研ぎ澄まされる」
「つまり、『ドライブ・マイ・カー』は映画を発明している」
たけし氏「濱口竜介監督をどう思うかだって?勘弁してほしい」「オイラは他人の映画をどうこう言ったり、他の監督の勤務評定はしたりはしたくない」「自分の次の映画のことで精一杯だ」
「『パラサイト』(韓国 2019年)を撮ったポン・ジュノ監督が言っている。<(濱口監督は)『寝ても覚めても』(濱口竜介監督 2018年) の時から既に巨匠の領域に入っていたが、それを証明したのが映画が「ドライブ・マイ・カー』だ>」
「お世辞もあるだろうが、世界のポン・ジュノが言っているんだから、信用していいよ。」「もちろんオイラも『寝ても覚めても』を見ている」
「あの映画の中の<演劇人は拍手を浴び花束のカーテンコールだけで自己満足に陥っていないか?>の台詞はいいが。濱口監督は演劇が好きなんだね」
「しかしあの映画をオイラは、あまり好きではない」
(end)