なぜ、『A Rainy Day in New York』は、クリエーターを惹きつける。

TED TIMES 2020-44「雨のNY」 7/13 編集長大沢達男

 

なぜ、『A Rainy Day in New York』は、クリエーターを惹きつける。

 

1、アシュレー

映画を見終わって、こんなに満足したのは久しぶりだ、と思いました。でもその訳は、と考えた瞬間、説明できない自分に気がつきました。映像?カメラワーク?セリフ?音楽の趣味?あのプロット?そして結論は、クリエーティブ・映画業界の内輪話だから、に落ち着いたのです。

主人公・ギャツビー(ティモシー・シャラメ)はマンハッタンに住みアイビーリーグの大学に通っていたのですが、何かの理由でニューヨーク郊外の小さな大学に転校した若者です。そのギャツビーにはアリゾナの田舎から出てきたアシュレー(エル・ファニング)という恋人がいます。アシュレーは、学校新聞の仕事でニューヨーク在住の映画監督にインタビューすることになります。もちろんシティボーイのギャツビーがマンハッタンを案内するという約束です。

美人女子大生が映画業界の人間にインタヴューする、それだけ胸がドキドキしてくる楽しい映画です。アシュレーは空色のセーターから白い襟をのぞかせ、ミニをはく、いい女。可愛い。しかも根っから業界に憧れています。業界の人間は身内には慎ましくあっても、外からの人間には異常に大胆に、しかもあからさまに関心を持ちます。野心と言ってもよい。そこがおかしいんです。

まず映画監督のポラード(リーヴ・シュレイバー)。アシュレーが自分に、異常な関心を持っていることを直感し、逆に初対面の美人に自分を投げ出すようなことをします。クリエーターならでは行動です。<君にトクダネをあげよう、今回の映画は失敗作だ>。ナンパ。僕は君に全てを預ける。だから君も僕に飛び込んできなさい。

試写室で、アシュレーと監督に同席するシナリオライターダヴィドフ(ジュード・ロウ)も同じです。試写の途中で、ポラード監督は<だめだ!>自作に自ら<NO!>を言い、席を立ってしまいます。試写の後、ダヴィドフはアシュレーに、<ね、頼むから、僕と一緒に監督を探しに行こう>。ナンパです。<この映画を救おう、監督の苦悩を和らげよう>。なぜ部外者のそれも素人のアシュレーに、そんなこと頼む。ダヴィドフも自分をアシュレーに投げ出しています。アシュレーに野心があるからです。

2、ギャツビー

アシュレーに出会いがあったように、ギャツビーにも新しい出会いがありました。ギャツビーは元カノの妹・チャン(レベッカ・ホール)と恋に落ちます。なんと彼女の部屋で、ギャツビーはピアノを弾き歌います。それが、『Everything happen to me』、人生色々、諸行無常。トランペットのチェット・ベイカーフランク・シナトラも歌った1940年の名曲。かっこいい。

『Everything happen to me(人生色々、諸行無常)』(アオヤマゴロウ訳)

ゴルフの約束したら 雨よきっと きみは言った/パーティー始めたら 2階の住人 クレームつけた

ぼくの人生いつも 風邪をひいたり 乗り遅れ/人生色々 諸行無常

どんなチャンスも逃さない 麻疹(はしか)おたふくやってきた/ぼくがエース引いても 相手はその上

きっと間抜けなんだ 敵の力をわかってない/人生色々 諸行無常

最初きみに期待した ぼくのジンクス破ってくれる/愛の力でうまくいく 絶望はもうおしまいさ

だけどもう騙されない ぼくを思ってくれるその気持ち/ガラスの城は もう捨てた

 電報打って電話した エアメイルも送ったさ/きみの返事は「さようなら」 おまけに料金着払い

一度だけ恋をした それはきみだけなんだ/人生色々 諸行無常

3、#MeToo

『A Rainy Day in New York』の撮影は、2017年に終わっています。なぜそれが今の公開になったのか。#MeToo運動の余波です。2018年に『A Rainy Day in New York』のウディ・アレン監督も幼女の性的虐待で告発され、セクハラ撲滅運動のターゲットになりました。ギャツビー役もチャン役も出演料を返済(寄付)。映画はお蔵入りになり、公開が遅れました。

セクハラは許されません。しかし映画の中のポラード監督や脚本家・ダヴィドフの苦悩は本物です。クリエーターはみなワラをも掴む気持ちで生きています。一人でも味方が欲しい。だから見知らぬ人にも身を投げ出す。誰よりも、ウディ・アレン監督自身がそのことをよく知っている。だから映画にリアリティがある。感動したんです。人生色々、諸行無常