THE TED TIMES 2023-33「兎たちの暴走」 9/7 編集長 大沢達男
映画『兎たちの暴走』(兎子暴力 The Old Town Girls)』は、中国を語る上で欠かせない新しい中国映画です。
1、アンニュイあるいはノンシャラン
「アンニュイ」(物憂げで気怠い)あるいは「ノンシャラン」(無頓着で投げやり)」とでもいうのでしょうか。
映画『兎たちの暴走』の登場人物を見ていて、そんな想いにとらわれました。中国映画では初めてのことです。
その映画に出てくる人は、北京・上海の大都会の人ではなく、四川省の南端にある地方都市「攀枝花市(はんしかし)」の人々だから、さらに驚きました。
私が知っている中国人(正確には香港人)は、映画スターのイーキン・チェン(鄭伊健)です(彼を知らない中国人はいないほど有名)。
私は彼のスタッフになり、2000年から2020年にかけて中国の7つの主要都市をコンサート・イベントで巡回しました。
イーキンとは100回ほど食事をしたことがあります。その間一度も嫌な思いをしたことがありません。
しかもイーキンはコンサートのたびにご両親を招待します。私もご両親とは知り合いになりました。一緒に食事をしたこともあります。
イーキンは仲間と家族を大切にするナイス・ガイです
私にとっての中国人とはまずイーキン・チェン、つぎにコンサート・スタッフ、そしてそのファミリーです。
対照的に一番悪い印象として残っている私の中国人は、深セン(広東省 1700万人)の靴磨きのオヤジです。
イーキンの仕事のあと、香港から一人で深センの観光に行きました。
私は街中で、「4元!4元!!」の声に誘われて、靴を磨いてもらうことにしました。
言われるままに、両方の靴を脱ぎ、裸足になって靴を預け、磨いてもらいました。
磨き上がって4元(100円)支払おうすると、オヤジは片足100元、両方で200元(5000円)だと言いました。
・・・困惑する私に、オヤジは周辺に目配せをしました。
するとビックリ、私は10数人のヤクザもの取り囲まれ、監視されていました。
裸足です。逃げることも、旅行者の助けを求めることも、警察官をさがすこともできません。
私は200元を渡し、靴を返してもらい、何事もなかったかのように、駅を目指しました。
良い人ばかりのイーキン・ファミリーそしてカツアゲ(喝上げ)・グループの深センの靴磨きオヤジ、正反対ですがどちらも私とっての中国人でした。
ところが『兎たちの暴走』に出てくる中国人は、まるで違った世界に住んでいます。
自らの子どもを捨てた母、10数年ぶりに帰ってきた母を許す娘。あげぐに娘は母の自由な生き方に、憧れさえする。
娘のクラスメイトも変わっています。番長風の娘は、大金持ちの子で、やたらツッパったカッコをしている。両親は不和。
そして貧しい家庭の娘は、美人でモデル。彼女たちは、みなアンニュイで、みなノンシャランです。
価値観が崩壊した世界、物語がない世界、神が崩壊した世界に生きています。
そして映画自体が、監督自身が、アンニュイでノンシャランです。
母と娘たちが、黄色のMGに乗って走るシーンがあります。窓から首を出して、娘は気持ちよさそうに風に吹かれています。
いままでクルマで走るシーンを何十、何百と見てきましが、このシーンは印象的です。
映画に登場する人物はその精神構造において、ベルネール・ビュッへの孤独な人物や、パブロ・ピカソのキュービズム時代に描いた錯乱の人物と、似ています。
そして彼女たちの昼食のシーン。さりげなくテーブルに置かれたワイングラスは、彼女たちが、イーキン・ファミリーや靴磨きのオヤジからも、いままでの中国人とは次元が違う世界で生活しているとを示していました。
映像の色調は、和音とリズムを無視したセロニアス・モンクのジャズやジョン・コルトレーンの音程とリズムから解放されたフリー・ジャズに、似たものでした。
アンニュイでノンシャラン、そしてクールでニヒル。この映画には新しい中国人が描かれている。中国は新しい時代を迎えていると思わせたました。
2、シェン・ユーとファン・リー
私は『兎たちの暴走』を見ながら、過去にあったアンニュイとノンシャランのいろいろな映画と登場人物を思い出していました。
『勝手にしやがれ』(1960年 ジャン・リュック・ゴダール監督)のジャン・ポール・ベルモンドとジーン・セバーグ、
『理由なき反抗』(1955年 ニコラス・レイ監督)のジェームス・ディーンとナタリー・ウッド、
『太陽がいっぱい』(1969年 ルネ・クレマン監督)のアラン・ドロンとマリー・ラッフォレ、
『俺たちには明日はない』(1967年 アーサー・ペン監督)のウォーレン・ベイテイとフェイ・ダナウェイ・・・
そして気がつきます。
主人公は女4人、そして女性監督が作った、アンニュイとノンシャランの映画は珍しい。
映画『兎たちの暴走』は新しい、シェン・ユー監督は新しいのです。
さらに、この映画には驚きがあります。
『兎たちの暴走』のプロデューサーは、私が中国映画の最高傑作のひとつとする『天安門、恋人たち』(2006年 ロウ・イエ監督)のプロデューサー、ファン・リー(方励)だということです。
エッ!?そうだったの?
そしてファン・リーは、映画館で販売されているパンフレット『兎たちの暴走』で驚くべきことを言っています。
「映画は商品ではありません。完全にお金を稼ぎたいなら、ほかにいくらでも方法があります。我々は”作品”を作るので、自分たちが満足できる作品を作りたいと考えています」(p.17)
読んで、芸術としての映画、その志の高さに口をアングリ開けていると、次のページでは正反対のことを言っています。
「出資する会社に対して、基本的に赤字にさせないことを保証しています。(中略)投資者にとっては、銀行に預けて得る金利よりも、映画に投資して得るリターンが多かったで、結果として非常に良い投資だったと思います」(p.19)
こんどはビジネスとしての映画を語っています。
ファン・リーは米国に留学しMBA(経営学修士)を獲得している一流のビジネス・パースンです。
『天安門、恋人たち』という革命にかける青春群像を描き、かたや『兎たちの暴走』でアンニュイとノンシャランの女たちを描く、ファン・リーこそ、アンニュイとノンシャランの申し子であるかもしれません。
3、都市化(アーバニゼーション)
映画が撮影された攀枝花市(はんしかし)は、人口100万のかつての鉄鋼業都市です。
北の成都市(1699万人)まで749Km、南の昆明市(800万人)まで291Kmまで、さらに成都市の東には、中国最大の重慶市(3000万人)があります。
歴史を見ると、攀枝花市(はんしかし)は、1960年代に毛沢東の大号令で生まれた人工都市で、その後に鉄鋼業の都市として発展しています。
そして鄧小平時代の1978年から1989年の時代に工業化、都市化が完成しました。
私は2000年代に重慶をイーキンのコンサート・スタッフとして訪れていますが、飛行機で接近した時に、厚いスモッグの下に重慶市はありました。
そしてイーキンのライブでは、街中のステージに3~4万人の市民が集まり、危険だと公安により判断され、中止命令が出たことを覚えています。
重慶の街の朝は、老人で溢れていました。
映画『兎たちの暴走』は、2011年に実際に起きた事件、母と娘が娘の同級生を誘拐・殺害した事件を、モデルにしています。
映画が工業化・都市化から、脱工業化・情報化社会に生まれ変わる攀枝花市(はんしかし)で撮影されたのは象徴的です。
都市化を経た市民には、食うために働く、飢餓からの開放が約束されました。そして毛沢東が掲げたような大きな国家目標などは、意味を持たなくなりました。
さらに伝統的な価値観が崩壊し、欲望は無制限に高まり、市民はアノミー(社会の規範の弛緩・崩壊)状態になります。
それが「アンニュイ」(物憂げで気怠い)、「ノンシャラン」(無頓着で投げやり)」といわれる心的状態、行動様式となって現れます。
母は自分の欲望のために我が子を捨て、娘は金のために同級生を誘拐・殺害します。
でも中国人を悪く言うにあたりません。これはフランスでも米国でも英国でもそして日本でも、人類共通の現象(病気)です。
映画『兎たちの暴走』は、その中国の現象を見事にスライスし、映像化した初めての映画だということができます。
ときおり、町の全景のロング・ショットがインサートされます。いいカット。私はスタン・ゲッツとアストラット・ジルベルトのボサノバを思い出していました。
ケセラセラ、なるようになる・・・。
***
以前、ニューヨークからの帰りにUNY(ニューヨーク大学)で映像を学ぶ中国人の女学生と隣り合わせになったことがあります。
そしてロウ・イエ監督の話になりました。彼女は、中国ではロウ・イエ監督の映画は上映禁止なので、カナダで見たという話をしました。
しかし残念、『天安門、恋人たち』という題名は日本人だけで、中国人には全く通用しません。
原題は『頤和園』、Yihe yoan (イーフォユェン)です。同じく『兎たちの暴走』は、『兎子暴力』、Tuzi baoli(ツージ バオリー)です。
題名だけは中国語で覚えておきましょう。漢字を日本読みするは悪い習慣です。
End