THE TED TIMES 2025-37「ふつうの子ども」 9/24 編集長 大沢達男
映画『ふつうの子ども』は第1級の映画、しかしその主張には見識がありません。
1、完璧な映画
映画『ふつうの子ども』では、映画のイントロから緊張させられます。
少年のアップから始まり、ノーカットで次々にシーンが変わっていきます。
エレベーターの中、エレベーターを降りる、外に出て道を歩き出し、そしてクラスメートに会います。
学校ドラマ、映画が始まります。
こんなに緊張したのは北野武の『3-4X10月』以来です。
まず学校ドラマの撮影が見事です。教室のシーンがうまく撮れています。カメラワークがよく、編集も見事です。
そして映画のクライマックス。
「地球温暖化」に抗議する3人の子どもたちの「ゲリラ戦術」と「テロ行動」が始まります。
4年生の小学生の犯罪映画です。
犯罪はバレ、犯人の子どもたちの親が学校に呼ばれます。
親の立ち合いのもとで聴聞会が行われます。
もう怖くて見ていられません。
最近こんなに映画を観ていて手に汗をかいたことはありません。
子どもたちの反応もそうですが、親御さんの反応がすさまじい。
環境問題に対する「正」の行動を起こした子どもたちがとがめられ、子どもたちは「悪」になります。
そしてまた最初の少年のアップになり映画は終わります。
カメラがいい、編集がいい、そして音楽が出色、完璧な映画です。
2、地球温暖化
以上「映画『ふつうの子ども』は素晴らしい映画」の評を書いていて・・・だんだん腹が立ってきました。
『ふつうの子ども』を制作した脚本家と映画監督の「見識の無さ」と「愛国心の欠如」に対してです。
地球温暖化に対して、「クルマに乗るな」は、「正」の行動ではないからです。
ヨーロッパの森林の80%は中世以降に破壊されています。
有名なのは地中海沿岸に群生していたレバノン杉が伐採されたことです。
地中海の水は澄んでいます。絵葉書でもわかります。
それは周辺に森林がない、やせて死んだ海だからです。
北米大陸の森林もキリスト教が来て60%の森林が伐採されました。
原住民の「インディアン」も絶滅されました。
なぜキリスト教とは森林破壊をしたのでしょうか。
「聖なる森など存在しない。森の中に神などいない。(中略)人間の幸福のためならば、森をいくら破壊してもかまわない」(『森を守る文明 支配する文明』 安田喜憲 p.156 PHP選書)。
啓蒙とは”enlightenment”。暗闇に光を当てること、森林を切り開くことです。
これが「地球温暖化」の常識中の常識です。
対して日本人の常識は「山川草木悉皆成仏」、自然には神様がいるという考え方です。
現実に日本の国土の70%は森林に覆われています(日本人だけに地球温暖化の責任はない、と言っているのではない)。
この常識を子どもに教えずして、「クルマに乗るな」は、子どもを間違えた考えに導くだけです。
3、鎮守の森
♬ 村の鎮守の神様の 今日はめでたいお祭日 どんどんひゃらら どんひゃらら 朝から聞こえる 笛太鼓 ♬
「村祭」という歌があります。鎮守の森とは神社を囲むようにしてある森です。
私たち日本人は森を大切にしてきました。
それは自然への畏敬、共生と融合、再生と循環、生物の多様性を維持する思想です。
対してキリスト教の世界観は、自然支配、対決と不寛容、終末的世界観、森林破壊と家畜以外の生物の拒否というものです(『龍の文明 太陽の文明』 安田喜憲 p.171とp.176~7の要約)。
子どもたちがとった「ゲリラ」と「テロ」も行動も、「対決と不寛容」の西欧思想に毒された大人たちが構想したもの以外のなにものでもありません。
バカげています。
私たちの日本にあるのは、「共生と融合」です。
「和をもって尊しとする」。
これが聖徳太子以来の教えです。
4、脚本
映画を観た「アップリンク吉祥寺」で、カタログが売り切れでした。
以上の文章を書いた後、「イオンシネマ新百合ヶ丘」でカタログだけを買いました。
なんとラッキー。脚本が掲載されていました。
映画『ふつうの子ども』は、映画が完璧なら脚本も完璧です。
すばらしい。ただ一箇所直して欲しいところがありました。
「大人」のところを「キリスト教徒」に全て直すべきです。
たとえば子どものひとり「心愛(ここあ)」のセリフ、「大人は、地球をめちゃくちゃにしたくせに、反省もしていない」、このセリフの「大人」を「キリスト教徒」にするのです。
「キリスト教」がいやなら啓蒙の意味を込めて「リベラリスト(自由主義者)」でもいい。
すると全てが論理的になります。
ただし映画の改訂を求めるとなると、「和を以て尊しとする」の教えに反する、「対決と不寛容」のキリスト教徒の主張になってしまします。
だから映画の改訂は求めません。
End