コンテンツ・ビジネス塾「アルマーニ」(2007-30)7/31塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
○メゾン・ブランドとデザイナー・ブランド
2000年にルイ・ヴィトン銀座、04年にシャネル銀座ビルディング、ルイ・ヴィトン銀座並木通り、06年に銀座メゾンエルメスのリニューアル、そして07年11月にアルマーニ銀座タワーがオープン。東京・銀座に世界のラグジュアリー(ぜいたく)・ブランドが集合しています。
英市場調査会社ミルウォード・ブラウンが、2006年の世界のブランド10傑を発表しています。総合でグーグル、GEが、ラグジュアリーでルイ・ヴィトン、シャネルがそれぞれ1位2位を占めています(ビジネスアイ4/30)。ラグジュアリーを、さらにメゾン・ブランドとデザイナー・ブランドに分けて考えると、ブランドの本質が見えてきます。メゾンとは、家、家系、本舗。つまりメゾン・ブランドとは、ロイヤル(王室)・ブランドです。エルメスとルイ・ヴィトンは、ともにフランス皇帝ナポレオン3世の御用達の馬具商と木箱製造業者でした。対して、シャネルとアルマーニは、産業社会の申し子です。女性ファッションに革命を起こしたデザイナーです。ファッション・ブランドです。
○シャネル
シャネルは、宮廷社会から産業社会に変わる新時代のファッションデザイナーとして位置づけられます。活動する女の楽な服、だれでも似合う服、コピーができる服を、シャネルは作りました。着付けられるのではなく、自分で着られる服で、女性はストリートに登場したのです。「シャネルという名のフォード」。つまり一品限りの馬車ではなく、大量生産できる自動車(服)を作ったのです。
シャネルの少女時代は不遇でした。母は早く亡くなり、父はシャネルを捨てます。12~18才までは修道院の孤児院。しかし人生は何が幸いするかわかりません。その時の質素なスタイルがシャネルファッションの原形になるのですから。まず、漁師の仕事着だったジャージーに光をあてました。そして、身軽に動けるハンドバッグ、ショルダーバッグを考えました。さらに「黒と白は絶対的な美であり、完全な調和なのだ」と言い切ります。なんのことはない孤児院でのいつも服装は、白のブラウスと黒のギャザースカートだった、のですから(「シャネル・スタイル」渡辺みどり 文春文庫)。
そしてもうひとつシャネルの名を不滅にしたものがあります。それがアーティストの支援です。絵画のピカソ、音楽のストラビンスキー、ロシアバレエのディアギレフ、夭折の作家のラディゲ、映画のヴィスコンティ。パリのシャネルはアーティストとして輝き、アーティストたちを輝かせていたのです。
○アルマーニ
シャネルが産業社会のデザイナーとするなら、アルマーニは情報社会のファッション・デザイナーです。ジョルジオ・アルマーニ株式会社の設立は、1975年です。その年にビル・ゲイツのマイクロソフトも設立されているのが象徴的です。
工場ではなくオフィスで、人は働くようになり、女性が社会に進出してきます。アルマーニは、流れるような生地を使い、堅苦しい構造を排除したジャケットを作ります。紳士用の生地を使い、メンズを女性用にあつらえなおし、女性ジャケットを作りました。しかも使うカラーは、ベージュとグレーだけ。シックです。中性的な魅力とともに、婦人服にいままでにない威厳が加わりました(「ジョルジオ・アルマーニ」 日本経済新聞社 レナータ・モルホ 目時能理子・関口英子訳)。アルマーニは情報社会での女性の役割を予見していたのです。
アルマーニの経歴も屈折しています。ミラノ大学医学部で学びながら、解剖学で挫折。20代の後半をミラノ百貨店の広報部で働いています。会社を始めたビジネスパートナーとは、同性愛の関係。その「愛人」を1985年にエイズで失っています。
シャネルとの共通点は、アーティストとの交流。アルマーニは、映画「アメリカン・ジゴロ」、「アンタッチャブル」の成功により、アメリカの映画監督、スター、セレブリティと密接な関係を築き上げます。
「シャネル銀座ビルディング」には、美術展や写真展のための「シャネル・ネクサス・ホール」があります。11月にオープンする「アルマーニ銀座タワー」は、どんなメニューで私たちを美の世界に誘惑してくれるのでしょうか。