ヤンキー・高橋大輔の勝利。

コンテンツ・ビジネス塾「高橋大輔」(2010-8) 2/27塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、銅メダル。
浅田真央は銀メダル。高橋大輔は銅メダル。ともに目標の金メダルはとれませんでした。浅田には3回転半、高橋には4回転、ともにジャンプの技術があるにもかかわらず破れました。なんだか、技術はあるのにモノづくりで、韓国に負け続けている日本のエレクトロニクス業界のようです。
浅田の銀には、トリノでの荒川静香の金があります。しかし高橋の銅は、男子フィギュア初です。そこで高橋大輔について考えてみます。
高橋には、再起不能のケガからの復帰という大きなドラマがありました。しかしそのいきさつを詳しく調べてみると、世界舞台で活躍する華麗なスケーターとはかけ離れた、人間像が浮かび上がってきます。
ケガとは08年10月31日の練習中の負傷です。前十字靱帯断裂、内側半月板損傷というものです。1ヶ月後に手術が行われます。練習再開は09年の4月(五輪の10ヶ月前)。リハビリ中に高橋はとんでもない行動に出ています。無断で2週間も病院を脱走する、子どもじみた行動をします。
実は負傷の半年前に、高橋はコーチと決別しています。表向きは、ニコライ・モロゾフがライバルの織田と契約したからですが、真相は別にあります。高橋のマネージャーがニコライと対立しています。コーチが金になるアイスショーへの出演に反対しました(週刊文春3/4)。資金繰りの問題があったのでしょう。ニコライと別れたあと、高橋は元のコーチのところに戻ります。
2、才能と絆。
高橋大輔は4人兄弟の末っ子として岡山県に生まれます。父は鳶職(とびしょく)で年収200万円。母は15歳のときから住み込みで理容室に働いていました。
高橋の家は貧しかった。しかしフィギュアスケートはマラソンや水泳ではありません。1時間2万円のスケートリンク、1足15万円の靴、10数万円の競技会用コスチューム、さらに海外遠征ともなれば年間300万円以上、金のかかるスポーツです。
1)大輔をスケートに出会わせたのは、母が働く理容室タムラの娘、英子さんです。大輔は、兄たちがやっていた少林寺拳法を嫌い、スケート教室を選びました。才能は目立ちます。そこから大輔は世界の頂点にまで一直線にジャンプしていきます。練習、競技会、海外遠征・・・英子さんが母親の代わり、いつも一緒でした。天才少年ために、近所の英子さんが金を出しました。
2)中2のとき英子さんが結婚すると代わって、もと日本チャンピオンの実績を持つ長光歌子コーチが登場します。長光はすぐに大輔の才能が金メダル級であることを見抜きます。大輔は息子のように、長光の家に住み込むようになります。地域の人は天才少年にカンパをし活動資金を提供しました。大輔はみんなの絆の中で育てられていきます。
3)実の母は着物を着てオリンピック中継のテレビの前に姿を現しましたが、父の姿はありませんでした。それは、「私たちは生んだだけですから・・・」という、地域の人の支援への感謝と父の謙虚さからです。さらに高血圧の心肥大で健康に優れないこともあります。そしてもうひとつ父が姿を見せない理由があります。長兄が強盗致傷罪などで懲役7年の刑を受けているからです。許されることではありませんが、貧しさゆえの犯罪でした。不祥事はトリノ五輪のときに起きています。
3、ヤンキー。
高橋をみんなはなぜ支えてきたのでしょうか。それは素人が見ていてもそれと分かる才能、スケートのうまさです。まるでスケートと氷が磁石でくっついているかのように、高橋は氷面に寸分違わぬ見事な曲線を描いていきます。バンクーバーの演技点だけに限れば、高橋は金メダルでした。
「表彰式での国歌気持ちいい。『君が代』僕は大好き。子どものころ学校で習わなかったので、人に教えてもらって、自分で歌えるようになった」(『be soul』高橋大輔 祥伝社
国旗と国家を嫌う戦後教育の「自己チュー」高橋は病院から脱走しました。しかし人々の絆で育った「ヤンキー」高橋が病院に戻り、銅メダルを手にしました。そして浅田真央もヤンキー・浜崎あゆみの歌を聞いて銀メダルをとりました。強い日本はヤンキーの絆によって支えられています。