野性の生き物、青木功。

コンテンツ・ビジネス塾「青木功」(2010-9) 3/12塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、プロゴルファー。
青木功は、1942年生まれのプロゴルファー。力が衰えたとはいえ現役で活躍し、テレビ解説では千葉弁の解説で視聴者を楽しませています。
青木はジャンボ・尾崎の半分ほどの国内勝利しかありませんが、アメリカをはじめ海外ツアーでの活躍によりその名は世界に届いています。まず1980年に、ゴルフの帝王ジャック・ニクラウス全米オープンで、4日間連続伝説の死闘を演じ、2位になっています。そして、1983年にはハワイアン・オープンで大逆転のイーグルショットを放ち優勝、日本人の米ツアーでの初勝利を記録しています。さらに2004年には日本の男子プロではじめて、「世界ゴルフ殿堂」入りを果たしています。
その青木が2010年2月、日経新聞に「私の履歴書」を執筆しました。大学のゴルフ部出身のプロがひしめく中で、農家の息子、中卒、キャディあがりの青木の半生は、驚きの連続です。
青木は小中学校通じて、理数系の成績で「5」を外したことがない、と回顧します。つまり、オレには知性や理性もあるよ、と言いたいのでしょうが、どうでもいい。青木は、まれに見る「感性の人」で、「野性の人」です。握力70、視力2.0の人は、感覚や本能だけで、世界の青木になりました。
2、ギャンブラー。
青木の人生はギャンブルだらけです。まず賭けゴルフ。キャディの頃から、朝食を、5円を、10円を賭けて練習をしています。そして競輪、競馬の本格的ギャンブルです。40万円の借金を返すのにさらに5万円借りて、競輪で48万円にして返しています。金額は40年以上も前のものです。すくなく見積もっても500万円以上での話、恐ろしくなります。賭け方はさらに怖い。でたらめ買いです。さまざまなデータで予想するのではなく、気分で2-4とか4-4に賭ける。頼りは直感だけです。
青木はパットの名手、東洋の魔術師といわれます。ここでも青木は本能で戦っています。
「自分だけの方法をあまり公開したくないが・・・1.5メートルのラインはまっすぐと読んで打っていくことだ」(『パットの神髄』青木功 三笠書房 P.26)。そして青木は、気持ちをカップ周辺だけに集中させ、微妙なボールの変化を予測し、「やはり青木だ!」、と言わせているのです。
自然を感じ取る青木は、ほとんど動物です。芝は伸びたか、枯れているか、順目か、逆目か。早いか、遅いか。山はどちらだ。下りか、上りか。秋か、春か。雨はやんだか。林間か、河川敷か。
「芝の匂いの変化がわからない人間に、芝の気持ちがつかめるわけがない・・・だいたい、人間が自然を征服できるなどと思うのはおこがましい限りだ」(前掲書 P.198)。
青木は千葉県の我孫子市に生まれています。感覚と本能は幼少期に育成されています。フリチン(全裸)で清水が湧き出る池で泳ぐ、崖の上から砂地に飛び降りる、自然薯(じねんじょ)を掘って売る、池で冷やしたスイカを食べる。青木は野性児として育っています。
3、肌を寄せ合う生き物。
青木はジャック・ニクラウスのことを、親しみをこめて「ジャック」と呼びます。日本人では青木だけでしょう。師匠の林由郎のことは「父ちゃん」です。米のシニアツアーでは、米選手と一緒にバスに乗り、酒を飲んで大騒ぎして移動します。青木は人懐っこい。それは貧しいけれど「土」と生活する家庭に育ったからです。父は自分で炊いた赤飯をもって青木の応援に行きました。父母の亡き後は、青木が「おっかあ」とよぶ姉がその役を受けついでいます。
青木が世界で活躍できるようになったのは、再婚した妻チエさんの英語のおかげです。でもチエさんには前夫との間にできた娘がいました。英語で育ったジョエンが10歳のときから青木との生活を始めるようになります。ジョエンは、日本語の「お父さん」をなかなか、言えませんでした。
聖心インターナショナル高校の卒業式に、青木はゴルフの試合のラウンドの合間に東京に戻り、出席します。卒業証書をもらったジョエンは、真っ先に青木に抱きついてきました。
「お父さんありがとう。おかげさまで卒業できました」
涙、涙、涙で、肌を寄せ合う親子。青木は研ぎすまされた感覚と本能を持つ野性の生き物です。
最近こんな男はちょっといません。