『ゴッドファーザー』は、出会いがあり別れがある移民の国、アメリカの物語です。

TED TIMES 2020-26「ゴッドファーザー2」 5/11 編集長 大沢達男

 

ゴッドファーザー』は、出会いがあり別れがある移民の国、アメリカの物語です。

 

3)洗礼式(Part I)

映画の冒頭で結婚した妹コニーの息子の洗礼式が行われます。その式に合わせてマイケルは5大ファミリーのボス全員を始末します。洗礼を受ける赤ん坊の顔に、銃のアップが、モンタージュされます。さらには殺害された死体までもが、赤ん坊の顔にモンタージュされます。まれに見る残酷な映画です。しかもそのシーンのすぐ隣ではマイケルが神父の「神を信じますか?」の問いに対して「信じます!」と何度も答えているのですから。

このプロットでは違う驚きもあります。妹コニーの生まれたばかりの「息子」を演じていたのが、コッポラ監督の「娘」、ソフィア・コッポラであることです。『ゴッド・ファーザー』は、ニューヨークのイタリア系マフィア・ファミリーの物語であるだけでなく、コッポラ・ファミリーの物語でもあります。なぜなら、『ゴッド・ファーザー』から27年後の製作される、『ゴッド・ファーザーIII』でソフィア・コッポラは女優として登場します。

 

4)シチリアのビト・コルネオール(Part II)

シチリアの荒れた丘を進行する葬列。全身黒のユニフォームを着た10人ほどの楽隊が先導し、何人かの人が遺体の入った棺桶を担いでいます。管楽器の楽隊は、多少和音を外しならも、葬送のマーチを演奏しています。メロディは青空に向かって響き、突き刺さっています。悲痛。ビトの父親はマフィアの対立で殺されました。その葬列です。

そして、あろうことかその葬列に向かって銃声が響きます。葬列は乱れます。誰かが叫びます。ビトの兄が殺された!やがて、ビトの母親も対立するマフィアに殺されます。ビトは逃げて逃げて逃げまくり、見知らぬ国アメリカに逃げます。9歳。

「Part II」は、シチリアのビト・コルネオール9歳の回想シーンから始まります。死者を音楽で送る、このシーケンスも素晴らしい。イタリア系のコッポラ監督ならではのものです。

 

5)1901年のビト・コルネオールから1958年のアンソニー・コルネオーレへ(Part II)

1901年にビト・コルネオールがアメリカを訪れた頃、19世紀中頃から20世紀初頭まで毎年、ヨーロッパからアメリカには、数十万人ほどの移民が来ていました。たくさんの行列の群の中に、9歳のビットもたった一人で、並びます。

「名前は?」何も答えられないビトに代って、係官が名札を見て答えます。「コルネオーレのビト・アンドリー二!」。移民局の係官はそれを「ビト・コルネオーレ」聞き間違え、地名の「コルネオーレ」がビトのファミリーネームになります。

やっと入国と思いきや、大きなハードルが待っていました。検疫です。そこでビトは天然痘と診断され、3ヶ月間「エリス島」に隔離、アメリカ上陸はお預けになります。

自由の女神像の隣のエリス島はかつてアメリカの移民局があった場所で、希望の島「Island of Hope」で、家族・友人・恋人の出会いの島「Kissing Point」、入国が許されない家族と別れ別れになる嘆きの島「Island of Tears」でした。

私たちも何十年か前、アメリカ入国では飛行場の通関でいつもドキドキ、心臓が鼓動していました。あれを思い出します。上手く撮れています。不安げに並ぶ人々、係官とのちょっとした言葉のやり取り、一人ひとりの顔のアップ、完璧な描写力です。描き切れているシークエンスです。

しかしその後の編集がすごい。独居房のビトの呟く賛美歌が次のプロットに繋がれていきます。舞台は1901年ニューヨークから1958年ネバダ州レイク・タホへ。シーンはビトの孫、マイケル・コルネオーレの息子アンソニー・コルネオーレの初の聖餐式へ。神を称える音楽だけは連続し、映像がオーバーラップされます。少年たちが歩みを進める教会と聖餐式。そしてアンソニーのお祝い。100人以上の人が集まったパーティーが開かれています。小さなステージがあり10人ほどのバンドが入っています。人々は飲み食べ、歌い踊ります。

10人ほどの少年合唱隊のコーラスが出てきます。アカペラ、伴奏なし、ウィーン少年合唱団のよう。趣味がいい。さらに、メインイベントはコルネオール家からの寄付です。マフィアのボスとして成り上がったマイケルがそこにいます。