思いがけずクリさん(操上和美)と出会い握手をし、嬉しくてたまりませんでした。

THE TED TIMES 2024-47「操上和美」 11/28 編集長 大沢達男

 

思いがけずクリさん(操上和美)と出会い握手をし、嬉しくてたまりませんでした。

 

1、親分

「操上和美写真展『Kurigami 88』」(ヒルサイドフォーラム  11.12~11.17)でのことです。

もう薄暗くなっていました。11月16日の土曜日の午後7時を過ぎのころです。

写真展を見終わって外に出ようとしたときに、黒の革ジャンと黒のパンツのクリさん(操上和美と思しき人)と数人の女性スタッフがヒルサイドテラスのビルに向かって歩いてきました。

私が最後にクリさんに会ったのは46年前の1978年。クリさんがBMW2002tiiに乗っていた頃です。

ライダーズ・ジャケットと黒のパンツの男は、顔は分からずともシルエットからクリさんだと確信しました。

私は入り口に向かい、クリさんがビルに入ってきました。

あたりには私と写真展のスタッフ以外誰もいませんでした。

ライトブルーのジーンズ、ボーダーシャツ、紺のジャケットを着た私はクリさんに近づき、手を差し出しました。

「覚えていらっしゃらないと思いますが、電通のオオサワです。ピラミッドが始まった年(1978年)にレナウンのCMの仕事をさせていだだきした」

「覚えていますよ!!!」(まあお世辞だと思いますが)

「・・・素晴らしい写真展でしたよ・・・」

たったそれだけ、で、握手をして別れました。

そのあとクリさんは、しっかりとした足取りでビルを出て、2~3人の女性スタッフに助けられながら、山手通りにタクシーをつかまえに行きました。

クリさんは何も変わっていませんでした。

私がクリさんに最後に会ったのは、46年前ですが、<覚えていますよ>は、お世辞だけとは思えません。

まず私があまり変わっていないから(進歩していない)。

つぎに芝浦の鈴江倉庫のピラミッドによく遊びに行き、事務所の受付にいたクリさんの妹・艶子(つやこ)さんに可愛がわれていたから。

そして、1978年ピラミッドフィルム創立の仕事の第1号として、私が制作したCM「レナウンのロガ」が傑作だったからです。

私は電通のクリエーターでしたが、操上ファミリーの一員でした。

まあ、親分に会えて、嬉しかった。

 

2、Kurigami 88

写真展は、操上和美88歳を記念してのポートレイトの私家版写真集でした。

私家版ですからカタログ・写真集の販売はありません。

写真のとなりに、撮影の時の日記のような解説が書いてあります。それが面白く、よくできている。

操上の話をもとに誰かがまとめたのでしょう。

カタログは売っていない。観客はすべて作品を覚えて帰るほかはありません。

会場に入るとまずノックアウトパンチが飛んできます。

 

1)北野武

いきなりです。

殺意に満ちた北野武がこちらをにらみつけています。

展覧会で初めての経験です。

会場に入ったら突然立ち止まって、動けなくなってしまったのです。

白のワイシャツを着た北野の背後に白の大きな花(カサブランカ)があります。

写真のとなりの能書きにには、男を撮るのに花を使ったのは初めてだった、なんていう操上のコメントがあります。

花が北野の根底にある暴力性を強くしています。

北野の殺意、それには理由があります。

 

まだ無名で21歳の北野武は1968年に新宿のジャズ喫茶「ヴィレッジ・ヴァンガード」でバイトをしていました。

いまでは想像つきませんが、新宿はジャズ喫茶の街でした。

ジャズ・ヴィレッジ、ヴィレッジ・ヴァンガード、ポニー、木馬、そしてDIG(現在のDUG)・・・。

北野は、新宿の数ある喫茶店の中から「ヴィレッジ・ヴァンガード」を、運命のように選びました。

バイト仲間に連続射殺魔の永山則夫がいました。すでに殺人をやっていました。逮捕される直前でした。

ただし北野は昼、永山は夜の勤務でした。

その後北野は映画監督になり、永山は死刑囚で小説家になります。

北野が映画で描く、暴力と殺人は、永山と同じものです。

どちらが死刑囚になってもおかしくありませんでした。

その証拠がこの写真です。北野の殺意は殺人鬼もの、だから動けなくなるのです。

 

能書きに、北野は映画監督だから操上の狙いを瞬時に理解して、カメラの前に立ってくれてとあります。

では操上は、北野との信頼関係とはどのようにして築いたか。

そこが操上和美の操上たる所以、写真家としての才能です。

私がプレゼンに関与したレナウンシンプルライフ」の、ロスアンゼルスピーター・フォンダの撮影現場で、操上はピーターとの信頼関係を一瞬で築いてしまったそうです。

私はそのピーターの映像ラッシュを電通の試写室で見ています。

草原の片隅にピーターがこちらを向いて立っている。

ただ立っているだけ、ときどき笑みを浮かべる、でも何もしない。そのラッシュは10~20秒ではない。1~3分も続きます。

もちろんカメラを回しているのは操上和美です。

操上和美はモデルとの信頼関係を築く名人です。

ただし「男同士」・・・・・・限定です。

 

2)鶴田浩二

北野武の写真に対面するように、15メートルほど離れたところに全身の鶴田浩二が立っています。

能書き(コメント)には鶴田浩二がわざわざスタジオまで足を運んでくれた、そして鶴田はヤクザを演じても、チンピラにならないハンサムとあります。

ところが写真は怖い。

ハンサムどころか、帝政ロシアの革命家でニヒリストのネチャーエフ(1847~1882)のような、虚無的な顔をした鶴田浩二がいます。

いままで見たことがない鶴田浩二です。

何をしですかわからない、ニヒリスト・鶴田浩二がいます。

鶴田の親族は、この写真が気に入ってた、との能書きはウソか外交辞令でしょう。

ネチャーエフは、テロリストの条件として家族と親族がいないことを条件にあげます(21歳の私はこれを読み、革命家を断念しました)。

鶴田は、母が女給で娼婦、父がバクチ打ち、極貧の少年時代を送り、最後に海軍航空隊に入り、ゼロ戦の特攻で仲間を失った死に損ない。

テロリストの条件を満たしていました。

 

三島由紀夫が鶴田を絶賛した映画があります。

「総長賭博」(1968年 監督:山下耕作 脚本:笠原和夫)です。

ヤクザの跡目を巡っての対立抗争の映画です。

先代の組長が亡くなったあと、鶴田浩二(中井信二郎)が組長に推されますが、辞退します。

そのあと先代の兄弟分当たる金子信雄(仙波多三郎)が組長人事にちょっかいを出します。

あまりもの仁義を欠いた仙波の行動に、中井は耐えに耐え忍びに忍びますが、ついに制裁に立ち上がります。

仙波(金子信雄)「中井ッ・・・伯父貴分のワシにドスを向ける気かッ!てめェの任侠道はそんなもんだったのか」

中井(鶴田浩二)「任侠道か・・・そんなもの俺にはねぇ・・・俺は、ただの、ケチな人殺しだ・・・」

既存の価値体系に「NO」を突きけるテロリストの誕生に三島は拍手しました。

 

テロリストが映画の中で誕生したのではありません。

現実の鶴田浩二の本質はニヒリストでテロリストでした。

それを操上は撮り、稀有の写真に仕上げました。

傑作です。

ですが、はっきり言ってこんな鶴田の写真など見たくない、悪夢です。

 

写真家の力量は、撮影済みの写真の選択で示されます。

撮影で大切なのは、まずモデルの衣装、ヘア・メイク、背景、美術、つぎにライティング、そして最後に演出し、ポーズと表情を引き出し、シャッターを押します。

問題はその後です。何十枚何百枚の中から、どれを1枚選ぶかです。

操上和美はニヒリスト・鶴田浩二の写真を選びました。才能です。

 

3)勝新太郎

北野武の写真を背に、鶴田浩二の方に向かう、写真展会場の中間の右手に、これまた眼光鋭い勝新太郎の写真がありました

ここには素人を脅す恫喝があります。しかし役者の演技です。

目が生きていて、表情が生きていて、いまにも飛び出して来そう、勝新太郎という稀代の役者を永遠にしています。

 

勝新太郎石原裕次郎の葬儀で読んだ有名な弔辞があります。

<酒を飲んでいて、裕次郎とケンカになり、オモテに出ろ、ということになった>

<同席していたまわりものたちは、どうしていいかわからず、凍りついた>

<ふたりだけでオモテに出た>

<ふたりだけになったら裕次郎が、「あの笑顔」を浮かべて、言ってきた>

<「芝居ってことにしておこうか?」「お前がそう言うならいいよ!」>

<ふたりは揃って酒場に戻った>

勝新太郎は芸人の家に生まれた役者でした。

「眼光鋭い恫喝」は演技です。

 

それにしても、どうやれば、こんなふうに撮れて、現像できて、作品になるのか、わかりません。

奈良原一高(1931~2020)という写真家とロケに行ったことがあります。

<写真の良し悪しは、引き伸ばし機のレンズで決まる>

<例えば、荒木経惟はスキャンダルな写真で話題を集めているが、荒木には現像・引き伸ばしで、したたかな写真技術がある>

暗室の操上和美にも、アーティザン(職人)としての最高の技術ありそうです。

でなければ、勝新太郎のような作品は生まれません。操上は国宝クラスの写真職人です。

***

写真は、「相手を利用して、自分を写している」、と操上和美は言います(p.036 GOETHE 2020.8)。

つまり、殺人鬼の操上和美が北野武を、ニヒリストの操上和美が鶴田浩二を、恫喝する操上和美が勝新太郎を、撮ったことになります。

操上和美は、北海道・富良野で開拓農家の過酷な生活で家族を支え、24歳になって北海道から青函連絡船の生死をさまような逃避行で、東京に来てカメラマンになりました。

 

3、レナウン ロガ

なぜクリさんは、オオサワのことを「覚えていますよ」、と言ったのでしょうか。

それはピラミッド創立の記念すべきCM「レナウン ロガ』が、傑作だったからです。

クリさんがCMを見て「負けた!」と思ったからです。

オオサワが、クリさんが撮れない、オンナを撮ったからです。

 

レナウン ロガCM)

🎵オペラのアリア)

1)ミラノ・イタリアのような夜(ロング)。

遠くでパーティー行われているらしい。

イブニングドレスを着たひとりの女性が、コートを抱えて、パーティー会場から逃げてくる。

2)クラウディア・カルディナーレ(ミドル)

逃げてきたのはクラウディア・カルディナーレに似た女。

サモトレケのニケ像のある広場にたどり着き、彼女はコートをはおり、階段を駆け下り、逃げる。

3)ニケ像(ミドル)

タキシード姿の男が追いかけてくる。

ニケ像のとなりまできて「ロガ!!」と女性の名を呼ぶ。

4)カルディナーレ(アップ)

すでに階段を降りた女は、コートの襟をたて、駐車場に向かってひとり、急ぎ足で歩を進める。無表情、しかし強い意志を持った女が美しい。

(ナレーションとタイトル)

NA.

衝撃の出会いと残酷な別れ。

かなしみとよろこび。

女はコートがなければ生きていけない。

大人のコート。ロガ。レナウンルック(注:ナレーションは原作とは違います)

 

このCMのシーンは夜で、しかも映るのはニケ像と背後にある森、そして階段だけです。

誰もがイタリアもしくは外国ロケと思いますが、実際は「箱根」の夜、夜間照明で撮影されました。

カメラ:冨永民生、演出:岩下俊夫。

しかしCMの世界は企画したオオサワの世界そのものでした。

完成したピラミッド初のCMを見て、操上和美は満足しました。

そして恐怖しました。

「オレにはできない、オンナを撮れるクリエーターがいる」。

操上和美43歳、大沢達男35歳。

操上和美にとってはファッション写真・映像に強力なライバル誕生の瞬間でした

(その後、オオサワは不幸な事故で電通を去りCM制作をやめる、ですからオオサワ最後の作品)。

***

操上和美さん写真展おめでとうございます。

大沢達男はお目にかかってから50年近く、わずかですがクリさんの写真を理解できる、ようになりました

今晩、クリさんが終わってないのを確認できたのは、嬉しかった。

そして親分の握手に恐縮しました。

北野武「キッズリターン」の最後のセリフを借りて言います。

大沢達男は終わっていません。それどころか、大沢達男は始まってもいません。

 

END