TED TIMES 2021-25「篠山紀信」 6/21 編集長 大沢達男
日本を代表する写真家はだれか? 篠山紀信!で問題ありませんね。
1、南沙織
篠山紀信が、みんなに知られるようになったは、『平凡パンチ』、『プレイボーイ』などに掲載された、タレントの写真を通じてです。ネットの今の時代では信じられませんが、70年代は雑誌の時代でした。
なかでも『明星』(1972~81)の表紙を飾った写真は、その代表的なものです。
71年の堺正章と南沙織、72年の小柳ルミ子と尾崎紀世彦、73年の天地真理と野口五郎、74年の山口百恵と郷ひろみ、76年のキャンディーズと西城秀樹、78年のピンクレディと沢田研二。
タレント写真の価値は、タレントが写っているからであって、その写真を撮った篠山紀信は脇役でしかありませんでした。極端にいえば誰が撮ってもよかった。
しかし50年後の今、その写真を前にすると、見ているだけで幸せになります。みんな若かった、そして何よりも写真を見ている自分も、あの時は若かった。
そして写真は、時を経るに従って輝きを増してくるようにすら、感じられます。それは篠山紀信の写真の力です。
写真の持つリアリティ感が、他のタレント写真と全く違います。8×10(エイトバイテン)の大型カメラは、汚れのない若者たちを、咲く前の蕾のように、生き生きと写しています(しかし篠山は卑怯。なかでも一番可愛い、南沙織を奥さんにしてしまった)。
2、オレレ・オララ
篠山紀信はタレントを撮る写真家、タレントと結婚した写真家として、有名人になりますが、広告業界と写真界は篠山紀信を、写真の未来を切り開く、アーティストとして評価していました。
1968年の「誕生」があります。南の島徳之島で撮ったヌードです。トルソーとしての裸体を、ビーチで、岩の上で、自然光だけで撮った写真です。
灼熱にさらされるモデルはたまったものではありません。太陽と雲の動き、偶然を頼りにしたライティングで、決定的な瞬間を、粘りに粘って撮っています。
さらに、71年の『オレレ・オララ』があります。週刊『プレイボーイ』で発表されますが、タレント抜きの、カーニバルのドキュメントです。ダンス、ダンス、ダンス、ハダカ、ハダカ、ハダカ。50年前の発売された時の衝撃をいまでも覚えています。「ぼくの写真に対する考え方が根本的に変わってしまった」(「新・晴れた日 篠山紀信」作品解説 東京都写真美術館)。
そして『晴れた日』。北海道苫小牧市の廃屋の写真、ここでもライティングは太陽の光と雲の動きだけ、篠山紀信は宇宙との一体感を楽しんでいます。
3、篠山紀信(1940~)
篠山は普通の大学受験に失敗します。なんで勉強しなくちゃいけないの?。そして転身、日大芸術学部写真科へ。しかし大学です。写真の撮り方なんかを教えてくれません。さらに転身。大学に籍をおいたまま、東京総合写真専門学校へ。日大では沢渡朔、専門学校では操上和美と知り合いになっています。
そして広告制作会社ライトパブリシティに。先輩に早崎治が、さらにはグラフィックデザイナー細谷巌がいます。篠山はついています。行く先々で日本の才能に出会っています。
では篠山の代表作はなにか。南沙織、山口百恵、樋口可南子、宮沢りえ、坂東玉三郎、三島由紀夫・・・タレント、政治家、スポーツマン・・・日本人を見つめ続けてきましたが、篠山は「日本人とは何か」に答えていません。
そして篠山は、世界の同時代の写真家と比べて、どうなのか。ヘルムート・ニュートン、ハーブ・リッツ、ブルース・ウェーバー、荒木経惟、森山大道、坂田栄一郎・・・篠山はスタジオでもロケでも才能を示しましたが、篠山はいまだに「自らの美意識の行先」を示していません。
篠山紀信の評価はこれからの仕事にかかっています。
篠山は、究極の日本人として天皇を撮るべきです。昭和15年生まれ、大東亜戦争前に生まれた最後の日本人として篠山紀信は、天皇陛下をお撮り申し上げるべきです。それが篠山紀信の不滅の代表作になり、そして篠山紀信は不老不死になります。