君は、石川遼を、見たか。

コンテンツ・ビジネス塾「石川遼」(2007-48)12/4塾長・大沢達男
1)1週間分の日経、ビジネスアイとFTが、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)あすの仕事につながるヒントがあります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

○チャンピオン・オブ・チャンピオンズ
「ハニカミ王子」として今年の人気をさらった高校1年生16才の石川遼選手が、ゴルフ日本シリーズに出場するということで、東京よみうりカントリークラブに行ってきました。私たちが現場で見たのは、11/29の初日だけですが、結論から言います。石川選手はアマチュア、しかしチャンピオンのなかのチャンピオン、日本でナンバーワンのゴルファーです。
まず美しいスウィングに魅了されます。広いスタンスからのダイナミックなティーショットは素人目にもそれとわかる、別次元のものです。16才、171センチ、64キロにして、すでにトップクラスの飛距離を誇ります。しかもショートゲームの名手です。「アプローチ(ボールをピンに寄せる短いショット)はびっくりするほどの素質。教えてもできない。独特のものがある」(中島常幸 日経11/16)。
つぎは、石川選手が天性のアスリート(運動選手)であることです。11/29のスタートは午前10時の第1組、雲がたれ込める寒い朝でした。石川選手はプレーの前後にジャケットを羽織り、手袋をして、筋肉を冷やさないようにしていたのです。同じ組のインドのシン選手、中国のリャン選手とは対照的でした。しかもスタート前に短距離の陸上選手のように速いピッチのモモ上げをしているのを見て驚きました。完全に体育会系です。スポーツをよく知っているのです。
そしてマナーです。スタートの10分前にはティーグランドに到着し、大会関係者とにこやかに握手をしてたのです。その場をパッと明るくします。石川選手はファッション・センス抜群の笑顔の紳士です。いまの日本にこんな雰囲気を持った選手がほかにだれかいるでしょか。
「ハニカミ王子」は2007年の流行語大賞です。はにかむとは、控え目で恥ずかしがること、しかし自然で明るく屈託がないこと。日本人は石川選手に古き良き日本人を見つけたのです(日経12/4)。
○史上最年少優勝。
石川遼の名は、07年5月のマンシングウェアKSBでツアー史上最年少優勝で、知られるようになります。1991年9月17日生まれの石川選手は当時、15才245日、ギネス世界記録です。騒ぎは広がります。ゴルフツアーの優勝者だけで争われる、最終戦のゴルフ日本シリーズにアマチュアに出場権はなかったのですが、規則は改められ、今回の出場となったわけです。初日は第3位で上々のスタート、あわや優勝かと思わせましたが、結果は26人中24位という不本意な結果に終わりました。しかし、最終日のいちばんの見せ所、18番では出場選手中ただひとりバーディーを記録、自らがスターであることをすべての観客に納得させたのです。ことしはツアーの8戦だけの出場で、獲得賞金に換算すると2488万1375円で賞金ランク38位に相当する活躍をしました(もちろんアマチュアですから、賞金は一切もらっていません)。完全に実績を残したと言えるでしょう(スポーツ報知 12/3)。
○タイガーを超える。
なぜゴルフのスタート前にモモ上げ(運動)などしていたのか。それは石川選手のキャリアを知ればうなずけます。彼は中学生のとき短距離の選手でした。それで、関東中学校選手権、全国中学校選手権などの大きな大会で優勝しているのです。陸上競技のチャンピオンがゴルフの世界に挑戦することはなかなか想像できません。あらゆるスポーツをこなすタイガー・ウッズを連想させます。
そして、石川選手にもタイガーと同じように、厳格な父親がいます。私たちは「ハニカミ親父」とともに、ラウンドを観戦しました。父はホールごとにメモを取りながら見ているのです。「左下がり前上がり」。パー5の17番の第2打をこう説明してくれたのです。見事に2オン成功。父はプロ並みのショットとほめたのです。
石川選手は米国に行ったらなんと呼ばれるようになるのでしょう、イチローやダイスケのように、リョウと呼ばれるようになるのでしょうか。来年4月にプロ入りが予定されるリョウの旅はもう始まりました。"Golf is a never-ending journey."(ゴルフは終わりのない旅)。タイガー・ウッズは自らが書いたゴルフの教科書“How I play golf."の冒頭にこう書きました。ジャーニーとは当て所(あてど)もない人生の旅そのもの。これが、ゴルフの世界チャンピオンの言葉です。タイガーがマスターズで初優勝したのは21才3ヶ月。リョウはどんな旅をして、タイガーの記録を超えるのでしょうか。