その男は、猛者、丈夫、堅固、まるで弁慶。しかもその男はノーベル賞

クリエーティブ・ビジネス塾40「大村智」(2016.9.12)塾長・大沢達男

「その男は、猛者、丈夫、堅固、まるで弁慶。しかもその男は、ノーベル賞

1、その男。
その男は、ケンカが強かった。小中学生のころ、売られたケンカはすべて買っていました。上級生の5~6人に取り囲まれても作戦を立て、だれか一人に狙いを定めて、徹底的にやっつけました。その相手が参ると、ほかの仲間もびっくりして逃げました。なぜケンカに強かったか。父の教育です。
父はケンカに負けて帰ると家には入れてくれませんでした。父は息子をしごきました。その男は山梨県の農家の長男でした。父はその男を村のリーダーとして育てようとしました。暗いうちから起きて、時間を決めて仕事をし、やるべきことをする習慣をつけさせました。中学を卒業するまでには、青年が担うべき農作業はすべて教わりました。小さな体のその男が馬に大きな俵をくくりつけるのを見て、近所は驚きました。
その男は、スポーツ万能でした。まずスキー。高校生になるとスキーに打ち込みました。3年生で山梨県のスキー大会、クロスカントリー一般の部で優勝。山梨大学に入ってもスキーに明け暮れ、山梨県の大会では、毎年のように優勝しました。無敵でした。力だけではありません。作戦勝ちもありません。日当りのベタベタ雪、日陰の粉雪、最適の滑りができるように、ワックスをうまく使いました。おかげで男は大学を卒業するとき、山梨大学学芸学部自然科学科卒業でありながら、理科と体育の教員免許状をとることができました。そしてその男は、東京・隅田工業高校に教員として赴任し卓球部の顧問をすると、卓球部を都立高校の大会で準優勝させます(その男は、高校時代にスキー部のほかに卓球部もやっていた)。さらにその男は晩年にゴルフにのめり込みます。ハンディキャップ18でスタートし、5年後にシングルになる「5カ年計画」をたて、見事にハンディ5を達成します。
その男は、スポーツ選手か、政治家か、実業家か。その男の才能は、どれも、でありますが、その男は、ノーベル生理学・医学賞を受賞した、北里大学名誉教授の科学者、大村智です。
2、ノーベル賞
第1に、大村智は、2015年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。受賞理由は、線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法の開発です。
大村智伊東市川奈で見つけた微生物(放射菌株)を米製薬会社メルクに送ります。70年代の話です。メルクはそれを培養し線虫を殺す物質を発見します。それが「エバーメクチン」です。メルクはさらにその誘導体「イベルメクチン」を開発します。イベルメクチンは、まず寄生虫に侵された牛で効果を発揮します。そして81-82年に熱帯の人がかかる河川盲目症・オンコルセカ症に効果があることが分かります。皮膚にひどいかゆみをもたらし失明の危険さえあるオンコルセカ症には、世界で1億2000万人の人が感染の危機にさらされていました。メルクは87年に新薬「メクチザン」を発売し、オンコルセカ症の撲滅に着手します。
人類を救う発見の力になった。それがノーベル賞の受賞理由です。
第2に、大村智は、89年埼玉県に北里大学メディカルセンターを開設しています。93年にワクチンの研究・製造施設、94年に北里大学看護専門学校、02年に病院は440床になります。地元の医師会との対立がありました。予算は膨大でした。土地が50~60億、建設費が80億。すべて「エバーメクチン」の特許料で賄いました。これには裏話があります。メルクはエバーメクチンの特許料を3億円で買い取りを提案。大村智はそれを拒否。特許料はその後200億円以上に達しました。
第3に、大村智女子美術大学の理事長を務め、創立100年記念事業をやってのけました。「100周年記念大村文子基金」(文子は奥様)で、「女子美パリ賞」、「制作・研究奨励賞」を作りました。さらに大村智は07年、地元山梨に「韮崎大村美術館」を開館しています。現在は韮崎市立美術館、館長は大村智です。
3、再び、その男。
その男は、終戦のときに10才であったにもかかわらず、玉音放送について語りません。親族が徴兵された。戦死者がいる。B-29を見た。それどころか戦争体験について一切触れません。謎です。
その男は、安保闘争、学園紛争についても一切触れません。無縁でいられたはずはありません。しかし一切無視です。同じく政治家の話もしません。本人はまるで政治家のような行動をとっているにも拘らず。
その男は、再建立された「武田廣神社(たけだひろ)」の拝殿の入り口に掲げる額束(がくづか)に「武田廣神社」と揮毫し、大和の国の神仏と一緒になりました。
紅旗征戎吾ガ事二非ズ」。その男は、自然から生まれ、自然と生きる、ロマンティストです。