国立大出身、大学教授、初監督の栗山監督は






クリエーティブ・ビジネス塾41「栗山監督」(2012.10,17)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、日ハム優勝
「家族のために戦ってください。シーズンが始まる前に、選手にお願いしました」。優勝監督へのインタビューは、北海道日本ハムファイターズ栗山秀樹監督の異常なセリフで、始まりました。
「優勝のために戦う」、「日本チャンピオンのなるために戦う」、ふつうはこれです。
「家族のために戦う」???プロ野球は勝つために戦うんだ、やわなこと言ってんじゃねーよ。
からみたくなります。でも栗山監督は優勝という結果を残しました。そして、よくよく考えてみると、「家族のために戦う」。これほど強い言葉はありません。
家族のために、ヒットで出塁し、満塁ホームランを打ち、三振を取り、レザービームを投げ、野球という仕事をしいい給料をもらい、働くのです。
落合博満前中日監督は「選手は個人事業主として自覚しろ」と言いました。栗山監督の「家族のために戦え」は、この言葉の延長線上にあることばで、さらに本質的です。
栗山監督は始めてづくしの監督でした。まずプロ野球の監督をするのが初めて。つぎが国立大学(東京学芸大学)出身者で初めて、そして大学教授(白鴎大学)で初めて。口さがない野球評論家は、栗山監督の手腕を疑問視しました。しかも日本ハムはエースのダルビッシュを米メジャーリーグに放出しています。それでも栗山監督は「家族のために戦え」で優勝しました。
2、栗山秀樹
1)スポーツ・・・栗山は兄の影響で、小学校の時代から野球(軟式)を始めます。中学校では一度バレーボール部で活躍。華麗なダイビングキャッチは、フライイングレシーブから生まれました。
2)野球・・・その後野球(硬式)を再開し、投手として日米少年野球のMVPに輝きます。高校野球東海大相模から誘われますが、近所の創価高校を選びます。甲子園出場の夢はかないませんが、東京の地区大会では活躍します。大学進学では教員の資格を取るために学芸大学を選びます。そして東京新大学野球連盟で、投手として25勝8敗、打者として389、の優れた成績を残します。
教員免許は小、中、高と手に入れますが、野球への思いが断てず、東京ヤクルトスワローズの入団テストを受け、ドラフト外で入団します。外野手に転向。3年目にしてレギュラーの地位を獲得、ゴールデングラブ賞を受けるまでの選手になりますが、めまいがするメヌエール病になり、1984年〜1990年のキャリアで野球選手をあきらめます。
3)教員・・・1991年〜2011年は、スポーツキャスターを続けながら、2004年に白鴎大学助教授、2008年に教授になっています。
そして2012年、監督に。1)若手の起用。開幕先発は斉藤、4番は中田を抜擢。斉藤はつぶれたがかわりに吉川の台頭。中田は後半になって期待に答えた。2)勝負では確率のこだわり、代打とリリーフを惜しみなくつぎ込んだ。3)技術論は封印、監督は何もしない。勝ちは選手、負けは監督の責任。(日経10/4、10/5)。大学の専門は経営学。チームのマネジメント力で優勝しました。
3、修身
「家族のために戦う」を聞いて思い出すのは、「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」です。これは、「大学」「中庸」「論語」「孟子」の儒教の教書といわれる四書の「大学」にあります。「天下を治めるには、まず自分の身を修め、次に家庭を平和にし、次に国を治め、次に天下を治める順序に従わなければならない」(広辞苑 岩波書店)、わかりやすく言えば、まず自分がしっかりしよう、そうして家族を幸せにしよう、そうすれば国は豊かになるし、世界は平和になる、です。
「修身」は、戦前教育の中心にあった教科です。戦後は抹殺されました。「修身」の本当の意味は「自分の行いを正し、身をおさめととのえること」(広辞苑)です。つまり野球選手でいえば、規則正しい生活を送り、野球技術を磨くことです。修身がなければ、家族のために戦うことはできません。
修身とは自律です。親や教師から注意を受けることではありません。自分が正しいと思うことを自ら実践して行く。そして家族のため、社会のため、世界のためになるのです。
栗山秀樹監督は、家族のため戦うにはまず修身を、とアドバイスしています。優勝に乾杯!

クリエーティブ・ビジネス塾41「栗山監督」(2012.10,17)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、日ハム優勝
「家族のために戦ってください。シーズンが始まる前に、選手にお願いしました」。優勝監督へのインタビューは、北海道日本ハムファイターズ栗山秀樹監督の異常なセリフで、始まりました。
「優勝のために戦う」、「日本チャンピオンのなるために戦う」、ふつうはこれです。
「家族のために戦う」???プロ野球は勝つために戦うんだ、やわなこと言ってんじゃねーよ。
からみたくなります。でも栗山監督は優勝という結果を残しました。そして、よくよく考えてみると、「家族のために戦う」。これほど強い言葉はありません。
家族のために、ヒットで出塁し、満塁ホームランを打ち、三振を取り、レザービームを投げ、野球という仕事をしいい給料をもらい、働くのです。
落合博満前中日監督は「選手は個人事業主として自覚しろ」と言いました。栗山監督の「家族のために戦え」は、この言葉の延長線上にあることばで、さらに本質的です。
栗山監督は始めてづくしの監督でした。まずプロ野球の監督をするのが初めて。つぎが国立大学(東京学芸大学)出身者で初めて、そして大学教授(白鴎大学)で初めて。口さがない野球評論家は、栗山監督の手腕を疑問視しました。しかも日本ハムはエースのダルビッシュを米メジャーリーグに放出しています。それでも栗山監督は「家族のために戦え」で優勝しました。
2、栗山秀樹
1)スポーツ・・・栗山は兄の影響で、小学校の時代から野球(軟式)を始めます。中学校では一度バレーボール部で活躍。華麗なダイビングキャッチは、フライイングレシーブから生まれました。
2)野球・・・その後野球(硬式)を再開し、投手として日米少年野球のMVPに輝きます。高校野球東海大相模から誘われますが、近所の創価高校を選びます。甲子園出場の夢はかないませんが、東京の地区大会では活躍します。大学進学では教員の資格を取るために学芸大学を選びます。そして東京新大学野球連盟で、投手として25勝8敗、打者として389、の優れた成績を残します。
教員免許は小、中、高と手に入れますが、野球への思いが断てず、東京ヤクルトスワローズの入団テストを受け、ドラフト外で入団します。外野手に転向。3年目にしてレギュラーの地位を獲得、ゴールデングラブ賞を受けるまでの選手になりますが、めまいがするメヌエール病になり、1984年〜1990年のキャリアで野球選手をあきらめます。
3)教員・・・1991年〜2011年は、スポーツキャスターを続けながら、2004年に白鴎大学助教授、2008年に教授になっています。
そして2012年、監督に。1)若手の起用。開幕先発は斉藤、4番は中田を抜擢。斉藤はつぶれたがかわりに吉川の台頭。中田は後半になって期待に答えた。2)勝負では確率のこだわり、代打とリリーフを惜しみなくつぎ込んだ。3)技術論は封印、監督は何もしない。勝ちは選手、負けは監督の責任。(日経10/4、10/5)。大学の専門は経営学。チームのマネジメント力で優勝しました。
3、修身
「家族のために戦う」を聞いて思い出すのは、「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」です。これは、「大学」「中庸」「論語」「孟子」の儒教の教書といわれる四書の「大学」にあります。「天下を治めるには、まず自分の身を修め、次に家庭を平和にし、次に国を治め、次に天下を治める順序に従わなければならない」(広辞苑 岩波書店)、わかりやすく言えば、まず自分がしっかりしよう、そうして家族を幸せにしよう、そうすれば国は豊かになるし、世界は平和になる、です。
「修身」は、戦前教育の中心にあった教科です。戦後は抹殺されました。「修身」の本当の意味は「自分の行いを正し、身をおさめととのえること」(広辞苑)です。つまり野球選手でいえば、規則正しい生活を送り、野球技術を磨くことです。修身がなければ、家族のために戦うことはできません。
修身とは自律です。親や教師から注意を受けることではありません。自分が正しいと思うことを自ら実践して行く。そして家族のため、社会のため、世界のためになるのです。
栗山秀樹監督は、家族のため戦うにはまず修身を、とアドバイスしています。優勝に乾杯!