オリベは、芸術の始まりで、終わり。

コンテンツ・ビジネス塾「織部(オリベ)」(2011-25) 6/21塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、オリベはジャズだ
「緑が発色するのは、1250℃±20℃。」「・・・?」「炎がかかると、また違ってくる。赤茶ける。出たとこ勝負です」「すると、・・・オリベはクラッシック音楽ではなく、ジャズですか?」「そうです。オリベはインプロビゼーション(即興演奏)です」「・・・!!!」
こうした若き陶芸家の言葉に導かれ、オリベへの道が開かれました。そしてさらに、つぎの言葉によって、オリベのとりこになっていきます。「オリベの作為は強い。いやらしい」「(これが茶碗?と思えるほどの)ゆがみがあります。しかしこれは必然です。所作に合わせてある。オリベは、縄文です」
オリベとは、織部古田織部=ふるたおりべ(1544〜1615)による桃山時代の陶芸への挑戦です。古田織部は陶工ではなく、戦国武将です。利休に茶を教わり、利休の死後、自らの切腹でこの世を去るまでの30年間、天下の茶人として、陶器づくりをプロデュースしました。
「利休好み」とは、目だたぬ、しかも、調和のとれた美しさを表現したもの。繊細で、力強いものではありませんでした。対して「織部好み」は、目に立つ美を、あらゆる形において、表現しようとしました。武家風で、男性的で豪快な美でした(『古田織部』P.203~P.204 桑田忠親 徳間書店)。
信長は紹鴎を、豊臣秀吉は利休を、そして徳川秀忠織部を、さらに家光は遠州を重用しました。こうして見ると、織部の歴史的な立ち位置が、見えてきます。
2、織部とは何か。
1)プロデューサー。
戦国武将が陶器の意匠に注文を出していたとは、にわかに信じがたい。しかし事実はそれを証明しています。まず織部焼きの流通は、古田織部の死によって終わっている。そして織部焼きが、古田織部屋敷跡から発掘されている。古田織部織部焼きの優れたプロデューサーでした。大きなゆがみの「織部沓形茶碗」は、織部好みのマニフェストでした。
2)イノベーション
まず新様式の連房式登窯が導入されています。そして釉薬(ゆうやく=うわぐすり)の革新があります。織部の特徴といわれる緑をはじめ、赤、黄、黒、白、五色がすべて揃います。ライバルは和服の一色辻が花でした。完成された中世風の茶式を破り、大名好みの桃山美術に見られる多様な色彩表現を達成しました。何とも可愛らしい「織部木菟(みみずく)香炉」があります。
3)マーケティング
古田織部は大名茶人として、京・堺の町衆茶人を指導、庇護していました。使い手の要求に結びついた製品を発注していました。鉢、膾(なます)を盛りつける向付(むこうづけ)、皿、懐石料理の食器類で桃山の豊かな時代に応えました。たくさんの種類の「織部千鳥形向付」があります。
3、織部は未来だ。
織部岐阜県の美濃で焼かれました。そこで岐阜県では町おこしと観光のスローガンに「21世紀の風はオリベイズム」を使っています。オリベイズムとは、非対称、ゆらぎ、ファジー、個性、自由奔放、革新、共生、独創、多様。創造的破壊を意味するとしています。
織部賞」、こちらの人選は素晴らしい。アニメの押井守、写真の荒木経惟、音楽の矢野顕子、舞踏の大野一雄、マンガの水木しげる、写真の森村泰晶、ジャズの山下洋輔が受賞しています。
冒頭の若き陶芸家とは、戸隠の山にこもり織部に挑戦している小山智徳(1953~)です。小山は暗黒舞踏土方巽(1928~1986)のところで踊っていたという、変わった経歴の持ち主です。
「木を切る、薪を作る。そこから始まります。上り窯に火を入れる。焼く。1300℃は肌に突き刺さります。しかし背中は−17℃。不思議です。窯の前にいると風邪が治ってしまうのですよ」
小山の織部も多彩。小動物がいる水差し、燭台、皿、向付。遊びをせんとや生まれけん。小山は織部で、軽やかに踊り、楽しそうに遊んでいます(『小山智徳 織部作陶展』6/1~6/19 K-HOUSE)。
オリベはジャズに留まりません。社会に異議を申し立てるロックで、音楽を破壊するパンクでもあります。オリベは、陶芸の世界の芸術の始まりで、終わりです。