『坊っちゃん』は、薩摩と長州を皮肉っていた。

ビジネス塾4「坊っちゃん」(2012.1.24)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事からホットな話題をとりあげました。2)新しい仕事のアイディが生まれます。3)就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、佐幕派
夏目漱石の『坊っちゃん』は、漱石のほかの作品とは違い、軽く読める痛快な青春小説です。
ところがどっこい。『坊っちゃん』を甘く考えてはいけないことがわかりました。この作品は、明治維新を推進した「薩長土肥」を皮肉った、「佐幕派」の小説として書かれていました。
「佐幕」とは、幕府の体制を守ることです。明治維新で敗れ去った人々です。明治新政府の日本で佐幕派は、冷や飯を食っていました。夏目漱石の父親がそうでした。そのほか北村透谷、二葉亭四迷国木田独歩樋口一葉、有名な文学者の父親は、みな佐幕派でした。貧乏な家の子供たちは、作家生活を選ばざるを得ませんでした。逆に、新政府の要職に就いた豊かな薩長土肥とその共鳴者の子弟からは、ただの一人の作家も誕生していませんでした(『漱石ある佐幕派子女の物語』 P.43~44 平岡敏夫 おうふう)。
漱石明治28年から1年だけ愛媛県尋常中学に教師として赴任しています。そのあと熊本五高に転勤し、明治33年から3年イギリスに留学しています。
漱石は東京から四国に行き驚き、東京からロンドンに行き再び驚きました。わかったことは、日本と日本人の内部での深刻な対立です。薩長土肥の新政府は武士道を踏みにじっている。佐幕派は筋を通したい。それを『坊っちゃん』で描いたのでした。それは、現在の日本の問題点、米国製の憲法を守る「護憲派」と、自主憲法を構想する「改憲派」の対立にそっくりです。
2、『坊っちゃん
1)海軍・・・「うらなり」先生を覚えていますか。美人(マドンナ)との婚約を教頭の赤シャツの陰謀により破談にされ、さらに恋人を奪われ、あげくの果てに転勤させられてしまう悲劇の人です。
うらなり先生は元士族の佐幕派でした。いじめているのは、帝大卒の文学士「赤シャツ」です。
うらなり先生を左遷する謀議は、海の上、船の中で行われます。赤シャツと絵画の教師古賀こと「野だいこ」そして坊っちゃん、3人が船に乗り、つりに出掛けます。その船上で赤シャツと野だいこは、気障な西洋の芸術談義を交わしながら、腹黒い謀議をします。このプロットは、薩摩藩が主流の海軍を皮肉った、ものと考えれます。
2)陸軍・・・坊っちゃんの同僚の数学教師、堀田こと「山嵐」も、赤シャツの謀議により、学校を追放されます。山嵐は、会津藩出身、佐幕派です。山嵐は、職員会議で「教育の精神は(中略)武士的な元気を鼓吹すると同時に、野卑な、軽躁な、暴慢な悪風を掃蕩するにある」(『坊ちゃん』P.70 夏目漱石 岩波文庫)と、主張し赤シャツたち体制派を批判します。
山嵐は、学生同士のケンカに巻き込まれ、警察に捕まります。しかも新聞はケンカの仲裁に入った山嵐を、騒動の火付け役として断罪し、教育者として失格と書き立てます。このプロットは、暴力体質で陰湿にメディアを操る長州藩の陸軍を、批判したものに違いありません。。
3)半藤一利・・・釣り船でシーンが海軍への皮肉、学生のケンカのプロットは、陸軍の批判。これは『坊っちゃん』への新しい読み方ですが、『山本五十六』(半藤一利 平凡社)にヒントを得たものです。山本五十六佐幕派薩長の日本軍の主流に反発した人でした。それもそのはず、半藤は、長岡生まれ東京育ち。夏目漱石の影響を強く受けています。半藤の母は漱石の長女、父は漱石と同門の文学者でした。
3、大江健三郎石原慎太郎
現在の日本の根本にある対立は、日本国憲法をどうするかです。護憲か、改憲かです。
護憲派には愛媛出身の大江健三郎がいます。東大卒、ノーベル文学賞受賞の「赤シャツ」、新憲法で成り上がったオーソリティです。改憲派には、湘南の「坊っちゃん石原慎太郎がいます。日本の近代史を全否定し自己嫌悪を造成する教育をした占領政策の戦後を批判する「佐幕派」です。
大震災からの復興を巡って、平和の民主主義の護憲派は、何もできないことを証明しました。憲法論議は選挙の得票につながりません。でもこの問題を解決しない限り、日本の再興はありえません。小説の中のように坊っちゃんを敗退させてはいけません。