『下山の思想』は、危険な老人思想ではないでしょうか。

ビジネス塾5「下山の思想」(2012.2.1)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事からホットな話題をとりあげました。2)新しい仕事のアイディが生まれます。3)就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、五木寛之
1)明治以来、近代化と成長の登山を続けてきた。しかしいまこの国も世界も下山の時代に入った。
2)成長から成熟へ。「下山」はマイナス思考ではない。実り多い豊かな下山を続ける必要がある。
3)下山は価値のないことではない。。一国の歴史も時代も、文化は下山の時代にこそ成熟する。
『下山の思想』(五木寛之 幻冬社)を読んで、驚きがっかりしました。そしてこれからは思想家・五木寛之に警戒する必要がある、と感じました。
なぜか。朝日新聞の2012年元旦の社説が『下山の思想』で書かれていたからです。先進国の「成長」の時代は終わった。原発赤字国債も成長の遺産。シルバー(高齢化)とグリーン(環境)で、成長から成熟に社会を切り替えたい。具体性のない耳ざわりのよい甘いささやき。朝日は、五木の主張と重なるような、いや五木の主張を読みそれをもとに社説を書いていました。
なぜ警戒しなければならないか。五木と朝日の主張は、1)金儲けは下劣である、2)経済より文化が偉いという、「清廉」(心が清く私欲がない)の思想のもとに書かれているからです。
2、商人道
なぜ五木や朝日は、金儲けや経済を軽く見るのでしょうか。そして事業や商売の発展(成長)を甘く見るのでしょうか。清廉の士や文化の人を気取るのでしょうか。
それには江戸時代からの伝統があります。まず、儒教朱子学が金銭を蔑視しました。つぎに、武士階級が金銭にかかわる商工の階級を蔑みました。さらに、金銭への態度が「官」と「民」を分けるものになり、「官」の精神が商人と商業を馬鹿にしてきたからです(『渋沢栄一 算盤篇』鹿島茂 文芸春秋)。たとえば、東京大学では法学部のほうが、経済学部より格上とされています。そして東京大学には、経済学部はあっても経営学部や商学部がありません。日本を代表する大学は、金儲けを軽蔑しています。さらに馬鹿げているのは、五木や朝日が、日本が事業と商売で発展してきた国であることを知らないことです。
日本には社歴200年以上の企業が、3000社以上あります。それはドイツ800社、中国9社、インド3社を大きく上回るものです。米国は「国」歴が200年ちょっとの国です(『江戸商人の思想』平田雅彦 日経BP社)。
「住友」は仲間が倒れたときには看病せよと、「三井」は仁義を離れて人道はないと、「三菱」はもし人、不正をもって争わば、われは正義をもって戦うべきと、それぞれの企業は大きな夢と理想で 社員を教育してきました。日本は武士道ではなく商人道の国です。
五木や朝日の目を覚ますのに、理屈はいりません。近江商人の「三方よし」の1000年の教えをあげれば十分です。「買い手よし、売り手よし、世間よし」で日本は成長してきたのです。
3、危険な老人思想
素朴な疑問があります。成長を楽しみにしている青年に、「下山の思想」をどうして教えるのでしょうか。あるいは夢と希望でいっぱいの新入社員に、どう「下山の思想」を説くのでしょうか。
1932年生まれ、80才を直前にした五木寛之は、団塊世代に老人思想を説いています。
さらに疑問があります。五木は日本の自殺者が3万人を超えている事実を盛んに取り上げますが、この自殺者が失われた20年から急に増えていることを取り上げません。成長が止まり自殺者が増えた、ことをまず議論すべきです。
そして企業や国を敵視する「民」の思想も疑問です。ここにおいて五木は危険な思想家になります。「最小不幸社会」と「脱原発」の「清廉」菅直人と同じです。自らを「清廉」で、間違いのない理性主義のリベラリストと信じていることです。「彼らは反対するときは強硬、権力を握れば無力」、「ファッシズム全体主義の最初の犠牲になるのは、決まって彼ら理性主義のリベラルである」(『産業人の未来』P.F.ドラッカー ダイアモンド社)。
大著『親鸞』のあとの、流行作家、五木寛之マーケティングが生んだ『下山の思想』は軽卒でした。売れていることが日本の民主主義の危機をあらわにしました。