THE TED TIMES 2022-42「天皇と民主主義」 11/29編集長 大沢達男
民主主義の危機を叫ぶ人が、民主主義を危機に陥(おとしい)れている。
1、筒井清輝教授による民主主義の危機
2016年の英国のEU離脱決定、米国でのトランプ選出、ウクライナ侵攻への国連を中心とするリベラル国際協調体制への疑問、さらに中国、ロシアの権威主義的な国家が幅を利かせ、そして民主主義国家での右翼ポピュリストの台頭、
これらを指して民主主義とリベラルな国際秩序の危機と呼びます。
しかし民主主義の低下の幅は、数%、統計上の誤差の範囲の中に収まっています。なのに民主主義退潮の印象が強いのは、民主主義のスコアを下げた国に原因があります。
民主主義のスコアを下げた国の中に西側で唯一米国があります(28位)。トランプ大統領です。しかし彼の役割は終わってと見られ、米国民主主義の修正能力が機能し始めています。
そしてウクライナ問題でのブレクジット以来綻んでいた西欧の国際協調主義も結束は強まっています。振り子は揺れながらも長期的にはリベラル民主主義の側によってくる歴史の大きな流れは変わることはありません。人類はリベラル民主主義の勝るものを知らないからです(以上、「危機叫ばれる自由民主主義」 筒井清輝 スタンフォード大学教授 日経10/30)。
2、小室直樹による民主主義の危機
民主主義を守るのは教育です。米国教育の最大の目的は「国民の育成」です。
それは近代国家の特徴が「民族国家(Nation State)であるからです。教育の基本は民族教育です。学校教育は「アメリカ人になること」を最優先しています。「アメリカの栄光」を強調する歴史教育が行われます。
対して戦後の日本ではGHQに与えれれた教育基本法(わずかに安倍内閣で改定されたが遅すぎました)により、非アメリカ的、非民主主義的な教育が行われてきました。「日本」がすっぽり落ちた教育です。愛国者を作るのが義務教育の主旨である、ということは忘れ去られました。
明治初期に日本民族、国民国家は存在しませんでした。明治政府は超特急で国民教育を行いました。
まず二宮金次郎。勤勉、正直、刻苦勉励、勤倹貯蓄、向学・・・労働は美徳、労働は信仰であるとを教えました。そして教育勅語で、「天皇教」の教理を説き、近代国家を築きました。戦前の日本の教育は「アメリカ式教育」そのままでした。
GHQは日本の占領にあたり、日本の報復復讐をできなくするために、憲法そして教育基本法を定めました。主眼は、日本人から愛国精神を除去するためにです。
<日本の教育から徹底して民族教育の要素を除去する。非アメリカ的な教育をすることによって、日本がふたたび強国になる道を塞(ふさ)ごうというのである>(『日本国憲法の問題点』 小室直樹 集英社インターナショナル p.168)。
明治政府の伊藤博文たちは近代国家を築くためには、近代法を導入し日本人に近代精神を持たせるため「天皇教」を完成させます。
つまり日本民族の教育なくしては、民主主義はありえず、日本国家の再生もありえない、ということになります(以上この項は『日本国憲法の問題点』からの要約)。
3、日本人の民主主義
筒井教授の指摘する民主主義の危機は民族主義の横行と同義です。「人類はリベラル民主主義の勝るものを知らない」。筒井教授の言葉は何という暴言でしょうか。これこそが「リベラル帝国主義」です。
憲派も改憲派も日本国憲法の「第1章 天皇」を問題にしません。護憲派を代表するリベラル派は、人権、自由、平等を語りますが、天皇が象徴であるという矛盾を、議論できません。改憲派も新憲法がGHQによって押し付けられた言いながら、旧憲法のように<天皇は神聖にして犯すべからず>に戻せ、と主張しません。皇統は、権力で統治する「うしはく」ではなく、天皇がいて大御宝(おおみたから)としての民衆がいるという「しらす」統治です。
日本の民主主義のためには失われた民族教育と愛国教育が必要です。日本は、人権や民主主義のグローバルに向かって天皇を堂々と主張できるナショナルの哲学を、持つべきです。東京駅から丸の内のオフィス街を抜けたところにある広大な皇居の意味を日本人は説明すべきです。