再び、ヴィダル。彼は美容師を超えたクリエーターです。

クリエーティブ・ビジネス塾25「ヴィダル」(2012.7.4)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、ヴィダル・サスーン・ブランド
ヴィダル・サスーン(1928~2012)の研究を続けていますか。ヴィダルは現代のヘアスタイルの流れを築き、女性の新しい時代を切り開き、美容師をクリエーターの地位にまで高めた人です。ヴィダルを知らなければ美容の未来を創ることはできません。
まず、ヴィダル・サスーン本人と「ヴィダル・サスーン・ブランド」が関係ないことを知ってください。それはヴィダルが「ヴィダル・サスーン・ブランド」を売却してしまっているからです。まずシャンプーなどのヴィダル・サスーン・ブランドはP&G社に、そしてサロンとアカデミーのヴィダル・サスーンはリージス社に売却されています。
「ぼくは経営の決断に口を出す立場ではなくなった」(『ヴィダル・サスーン自伝』p.445 髪書房)。
なぜそんなことになったのか。それは自伝をよく読んで研究してください。
2、ナンシー・クワン・ボブ
ヴィダル・サスーンの代表作は、1963年の「ナンシー・クワン・ボブ」です。
1)クラシック・ボブ・・・ナンシー・クワンは、当時の世界的スターであった中国系の女優。腰まで届く、絹のような黒髪がトレードマークでした。ヴィダルはそれをバッサリ切ってしまいます。それは、骨格と体型に合わせる「ジオメトリック・カット(幾何学的)」と呼ばれるものでした。
2)スインギング・ヘア・・・50'sと60'sのロンドンは、世界に流行を発信していました。音楽のビートルズ、ファッションのミニスカート、そしてヘアスタイル。スプレーで固めたセットヘアではなく、カットスタイルで揺れ動くスインギング・ヘア。「ウオッシュ&ゴー」、洗って乾かしブラッシングですぐに出掛けられるボブ・カットでした。
3)クリエーター・・・「ナンシー・クワン・ボブ」は、ファッション雑誌「ボーグ」が取り上げ、世界に伝えられ社会的な事件になります。仕掛けたヴィダルです。ヴィダルは、ファッション、フォト、アート・・・すべてのクリエーターのトップに立ったことを実感しています。
3、学び方を学ぶ
ヴィダルは、5歳で孤児院に入れられ、14歳で美容師の仕事をはじめます。その後、美容師として成功するだけでなくファッション、写真、映画に影響を与えるようになります。そして最後には、ヘブライ大学から名誉博士号を受け、女王から大英帝国勲章を受賞するまでに「成り上がり」ます。
1)礼儀正しい・・・「君は礼儀正しい若者だ」。ほめられ、美容師の仕事を始めます。師匠のコーエン教授は厳しい人でした。靴をピカピカに磨いてなければサロンに入れてくれませんでした。そしてしゃべり、客とのコミュニケーションです。労働者階級のなまりのひどかったヴィダルは発声練習から何年も勉強し直しています。
2)客に学ぶ・・・ヴィダルの初めての客はホームレス同然、異臭を発するカットモデルでした。でもその酔っぱらいは博識でした。ヴィダルは客から学ぶことを覚えています。文学、思想、建築(安藤忠雄の友人)、音楽(五島みどりが好き)、スポーツ(チェルシーのファン)を語るようになります。
3)種馬・・・ヴィダルは4回結婚、そのたびに大きくなっています。これは美容師の先輩で抜群のカットテクニックを持つレイモンドの影響でした。レイモンドは正真正銘の「イタリアの種馬(Italian Stallion)」。女グセが悪かった。それでも、女たちは長い列を作った、美容師はモテたのです。
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ヴィダルのことを考えていて、どうしても耳を離れないことがあります。
ヴィダルは5歳のとき、孤児院に預けられことになります。
孤児院のゲートの前で母は背中を向けて歩き出す。
ヴィダルは絶叫する。
「Mama,No!No,Mama.No!」("Vidal" p.11 PAN BOOKS)
暗く陰気な孤児院の部屋。ヴィダルはその日のことを忘れてたくて、美に囲まれた環境に身を置くことに、力を注いだといいます。