傑作『かぐや姫の物語』への不満。

クリエーティブ・ビジネス塾49「かぐや姫の物語」(2013.12.19)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、アニメ
かぐや姫の物語』(高畑勳監督)は、70年代にヒットしたTVアニメ『アルプスの少女ハイジ』の舞台を、日本に移した物語です。青空、雲、森、草原、湖、川、動物・・・自然のなかで、子どもたちが思う存分遊びます。「ハイジ」を作ったのは、高畑勳(演出)と宮崎駿(画面構成)。高畑はいつの日か日本版のハイジを作ってみたいと思っていました。そしてその願いを「かぐや姫」で実現しました。
かぐや姫」の前半で観客はノックアウトされます。複雑な宮崎アニメに慣らされた私たちは、単純明快さにハートを直撃され、アニメーションの素晴らしさを満喫します。
アニメとはマンガに命を与え動かしたものです。アニメには読めない漢字、わからない言葉が出てきません。アニメはノンバーバルコミュニケーション(non verbal communication)です。言語や論理の頼らない伝達方法。目に見えるもの、ジェスチャー、顔の表情、雲の動き。聞こえるもの、叫び、笑い、音楽で、喜びや悲しみを伝えます。それは子どもにもわかるものです。観客には、4~5歳と思われる少女もいました。「かぐや姫」は彼女にとっても魅力ある映画でした。
2、物語
「まわれ まわれ 水車まわれ、まわって お日さん 呼んでこい、鳥 虫 けもの 草 木 花、春 夏 秋 冬 連れてこい」(『かぐや姫の物語』劇中のわらべ歌。原作にはない)。映画は、日本最古の物語『竹取物語』を原作にしたものです。映画の構成はモーツアルトピアノソナタのように美しい。
第1楽章「田園」。1)誕生 2)草原の遊戯 3)別れ
第2楽章「都」。1)豊かな生活 2)5人の男たち 3)帝の求愛
第3楽章「別離」。1)故郷へ 2)幼なじみとの再会 3)月へ
あまりの美しさに涙を流すのは第1楽章「草原の遊戯」、そして心高鳴り胸躍らせるのは第3楽章「故郷へ」です。鳥 虫 けもの 草 木 花、春 夏 秋 冬・・・アルプスの少女ならぬかぐや姫と子どもたちは日本の四季と遊びます。日本人とは、花を鳥を風を月を、四季を愛する人です。
幼少のかぐや姫と幼なじみの「捨丸(すてまる)」が、雉子(キジ)を空中に跳び、捕まえます(原作にはない)。しかし捨丸は勢い余ってあえなく崖下の転落。観客はかぐや姫と一緒になり捨丸の運命を心配しなければなりません。捨丸の存在で私たちに失われた日々が戻ってきます。子どもたちは捨丸とともに、テーマパークや遊園地にはない自然のワンダーランドを走り回ります。
3、帝(みかど)
「わらべ歌」と「捨丸」が原作にプラスされた存在なら、原作からマイナスされた存在があります。「帝(みかど)」天皇です。映画では帝はかぐや姫に言い寄る嫌らしいオヤジぐらいにしか描かれていません。『竹取物語』では違います。
「今はとて天の羽衣着るをりぞ君をあわれと思ひいでける(かぐや姫)」(天の羽衣を着て別れなければならない今を迎えて、帝のあなたをしみじみと思い出しています)。天の羽衣を身に着ける前にかぐや姫は、この歌に「不死の薬」を添えて、帝に送ります。
「あふこともなみだにうかぶ我が身には死なぬ薬も何にかはせむ(帝)」(かぐや姫のあなたに会うこともなく涙にくれている私には不死の薬も必要ではありません)。帝はこの歌を読みます。そして天の国にいちばん近い駿河の国の山の頂上で「不死の薬」の壷とともに燃やせと命じます。
「そのよしうけたわりて、士(つわもの)どもあまた具して山へのぼりけるよりなむ、その山を『ふじの山』と名づけける」(『日本古典をよむ 6 竹取物語 伊勢物語 堤中納言物語小学館 p.131)。
富士山の名は、士(つわもの)が、富む(いっぱいいる)からです。帝なくしては「かぐや姫」の物語は完結しません。富士山の名のいわれもわかりません。日本の最古の物語にはそう書いてあります。
日本版の「ハイジ」の夢は空しい。高畑監督は、戦後デモクラシーの価値観で、帝が主人公になる『竹取物語』のエピローグをカットしたのではないでしょうか。わずか数十年の浅知恵で1000年以上続く歴史的遺産を改造した暴挙。情念を描けぬアニメは死にます。日本も滅びます。