「別れた男への美学を持つ、岸恵子さんにあこがれます」

クリエーティブ・ビジネス塾41「岸恵子」(2017.10.9)塾長・大沢達男

「別れた男への美学を持つ、岸恵子さんにあこがれます」

1、岸恵子
岸恵子さんをご存知ですか。岸恵子さんは日本を代表する女優さんで、小説家です。才能がある人は困ったものです。小説は所詮、有名女優の遊び、セレブリティのわがまま、だから出版社も本を出す、と甘く見られてしまいます。
とんでもない。岸恵子さんは優れた小説家です。
同じような才能の持主がいます。坂東玉三郎さんです。彼の芝居は見たことがありませんが、映画が素晴らしい。『外科室』(1991年)、『夢の女』(1993年)、『天守物語』(1995年)は、いずれも日本映画の傑作です。しかし坂東玉三郎さんを映画監督として論ずる人はあまりいません。役者の遊びだと思われてしまっています。
岸恵子さんは怪物です。1932年(昭和7年)生まれ、石原慎太郎さん、五木寛之さんと同期、現在85歳です。飛行機の中で軟派される話(失礼)『わりなき恋』を書いたのは2013年、すでに80歳を過ぎていました。
女優としての岸恵子さんを簡単に復習します。1932年生まれで、1953年日本中を席巻し、社会現象になった映画『君の名は』、1957年フランスの映画監督イブ・シャンピと結婚してパリに移住、1963年麻衣子を出産(オーストリアの音楽家と結婚しふたりの孫がいる)、1972年映画『約束』で元テンプターズ萩原健一と共演、1973年離婚、1983年映画『細雪』(岸恵子佐久間良子吉永小百合古手川祐子)、そして現在は、パリ、セーヌ川中州、サン=ルイ島(セザンヌボードレールが住んだ高級住宅地)の豪邸で小説を書いています。
2、『愛のかたち』(岸恵子 文芸春秋
羽田から香港の行きと帰りに、二編の小説を楽しみました。『愛のかたち』と『南の島から来た男』です。
舞台はパリ。「ミルフォア・パルドン」(千回ごめんなさい)、「エゴセントリック」(自己中心的)、「サリュッ」(じゃぁ)なんてフランス語が出てきます。1966年のブルゴーニュ、幻のワイン「ポマール」、ブルターニュの小ぶりのカキ、小道具も万全、エレガンスがあります。優雅で上品、飛行機の中で読む小説として最高です。
『愛のかたち』は、化粧品会社のパリの宣伝部に勤める渚詩子(なぎさうたこ)が主人公です。友人のアンヌが育てているマチュー(アンヌの実子ではない)、そして詩子が恋に落ちるダニエル・プキャナン(フランス人だがルーツは日本人の椹木海斗=さわらぎかいと)、詩子とふたりの男性の物語です。
『南の島から来た男』は、放送関係のジャーナリスト藤堂華子(とうどうはなこ=ハンナ)が主人公です。華子は語学学校アリアンヌ・フランセーズでドムという男と知り合い、恋に落ちます。ドムは本名ドミニク・ウッタウラ、モーリシャスからやって来た謎の若者(やがて大金持ちの息子だとわかる)でした。なぜか、詩子はドムの故郷に行くことを拒否します。しかし・・・詩子はドムの子どもを宿していました。
岸恵子さんの小説の魅力は、まず「エレガンス」。つぎに「時代」が小説にからんでくるところ。ジャーナリスティックです。1968年パリの五月革命、そのときに誕生したパブリック・オブ・モーリシャス。1972年テルアビブの日本赤軍乱射事件、1988年のフセインによるクルド人惨殺、パレスチナガザ地区チュニジアの「ジャスミン革命」、「アラブの春」、小説の登場人物達は現代の矛盾を生きています。
そして岸恵子さんの小説にはジャポニズム。伝統の日本があり、美しい日本があります。
あるシーンでは、俵屋宗達の『風神雷神図屏風』が登場し、エレガンスを彫りの深いものにしています。そして名文。
「暮れきらない幻のような明るさの中で、海斗の瞳に炎のような恋が浮かんでいる。答の見えない明日への謎も潜んでいる。それらにいざなわれて、朧げな妖しさが詩子の心に揺れている。/急に強くなった風で、桜の花びらが散り、
きらきらと光る雨に混ざりあい、祇園川の光景に凄まじいうつくしさを添えて、京都の夜が始まった。」(『愛のかたち』のエンディング。p.151)。
3、別れた男への美学
岸恵子さんの小説に登場する女主人公は「女々しく」ありません。潔(いさぎよ)い、未練がましくない、過去に捕われない、かつて愛した男をダラダラと追いかけない。驚くほど潔癖で、強い意志を持っています。
たとえば『南の島から来た男』の藤堂華子は、先ほど触れたように、ドムの故郷モーリシャスに最後まで行きません。
小説のエンディングも、かつて愛した男の故郷を断固として訪れない、というシーンで終わっています。小説家岸恵子には、「別れた男への美学」があります。
「別れた男への美学」を貫くのは容易ではありません。それは愛するということが、人間の意志でする行為ではない、からです。人間の宿主DNAの命令によって男女は接近します。意志で別離を決意することは不可能な相談です。
1953年、岸恵子鶴田浩二と大恋愛をします。しかしそれは映画会社の営業政策からすれば許されないことでした。ふたりは別れさせられます。1957年、フランス人のイブ・シャンピとの結婚は、日本人の海外渡航もままならない時代でした。さらに1972年、岸恵子は年下の萩原健一と映画『約束』の共演で恋に落ちます。撮影中にふたりは真剣に愛し、撮影終了の「カット!!」のひと言で、愛は終わります。1973年に岸恵子はイブ・シャンピと離婚しています。そして2013年の『わりなき恋』では、自らの体験をもとに、日本の大手企業の重役との恋を描きました。
「別れた男への美学」を持てる岸恵子さん、あなたは憧れの人ですが、美しい怪物です。