「寅さん」が日本を滅ぼす。

TED TIMES 2020-3「寅さん」(2020.1.13)編集長・大沢達男

 

「寅さん」が日本を滅ぼす。

 

1、『男はつらいよ 50 お帰り 寅さん』(山田洋次監督)

公開中の「お帰り 寅さん」は、寅さんの妹さくらの息子満男の物語です。草団子屋「くるまや」はモダンなカフェに変わり、満男はマンション暮らしの小説家になっています。

満男には高校受験を控えた娘がいます。満男の妻は亡くなっていて、その7回忌から映画が始まります。寅さんは思い出の中でだけの登場で、実際には登場しませんが、何も変わっていません。みんな歳をとっただけです。

さくら、夫の博、圧倒的な存在感の寅さんの恋人リリー、もちろん御前様を始め亡くなった人はいますが、それは当たり前。そして柴又の街並みも変わっていません。

寅さんが新撮の映像と変わらぬ映像で現れます。35ミリのオリジナル・ネガの一コマ一コマを4Kデジタルで修復映像は、新撮より、むしろ鮮明と思わせるほどです。

1969年の第1作から50年。映画の舞台と登場人物が変わっていないように、日本は何も変わっていません。日本はその間に戦争をしませんでした。平和でした。寅さんの映画には、日本の平和と民主主義の勝利があります。

映画館の客席で何度も笑いました。楽しみました。でも気がついてみたら、声をあげて笑っていたのは、向こう隣に座っていた小学生と私だけ、恥ずかしい・・・。この後ろめたさは何?山田洋次監督の映画を見た後に襲われる虚しさとは何なのでしょうか。

2、寅さんの精神分析

「回避型愛着」「回避型人類」という言葉があります。精神科医岡田尊司が、恋人や夫婦、親子の間柄、心が通じ合わあい状況を説明するのに使う言葉です(『文藝春秋』2020.1 p.344~351「増殖する回避型人類『ネオサピエンス』」岡田尊司)。寅さんはズバリ、回避型人類です。

○「寅次郎 心の旅路」

兵馬「一体あなたは、どういう方なんでしょうか」

寅「はっ、どういう方って、そうよな、まあひと言で言って、旅人。稼業で言う渡世人といったところかな」(『いま、幸せかい?「寅さん」からの言葉』p.123 滝口悠生 文藝春秋)。

回避型愛着とは他人との親密な関係を避けるタイプです。

○「寅次郎 相合い傘」

さくら「違うのよ。リリーさんが結婚してもいいって」

寅「結婚?誰と?」

さくら「お兄ちゃんとよ」

寅「俺と?」

(中略。寅、さくらを呼び寄せ)

寅「いいから、ちょっとお前こっちにこいよ。お前本当にじょ、冗談なんだろう?ええっ?」

寅の目をじっと見つめたリリーの表情が、ふと悲しげに笑う。

リリー「そう、冗談に決まってるじゃない」(p.134~5)

○「寅次郎の青春」

寅「そりゃお前、たまに愛してますとか、抱きしめてやったりとか、そんなこともできねえのか、この意気地なし。何もできねんだから、お前は、ったく」

満男「よく言うよ。人のことだと思って、自分はどうなんだよ」(p.237)

回避型の人たちはセックスに関しても消極的です。決定的な場面に遭遇すると、<日本男子はそのままくるっと背中を向けて黙って去る>、<男は引き際が大切>、責任を回避し重要な決断をしない、無責任の美学があります。

○「男はつらいよ

寅「(前略)私の親父ってのはね、大変な女道楽。私のおふくろってのは芸者なんですよ。(中略)親父はね、私のことをぶん殴る時はいつも言っていたね。お前はヘベレケの時、つくった子供だから、生まれついてのバカだよう。(後略)」(p.29)

回避型愛着とは、心の絆を求めない、親との絆を知らないことです。なぜそうなったのか。幼い頃に母親との絆がなかった、精神的に不安定な親に育てられた責任を回避します。重要な決断ができません。、幼児期に虐待を受けたからです。

3、山田洋次監督

東京大学の法学部出身の山田洋次は、新聞社勤務のあと松竹を受験しますが、不合格になります。その後、あれこれあり、補欠で松竹に入ります。合格組には大島渚がいました。京大出身、京都府学連委員長のドンです。

大島は、1959年『愛と希望の街』、1960年『青春残酷物語』、1960年『日本の夜と霧』で、日本映画を代表する監督になっていました。

山田洋次は1961年に監督デビューし、1969年に『男はつらいよ』、寅さんシリーズの第1作を作ります。1969年とは東大闘争、安田講堂事件の年です。70年には三島由紀夫の割腹事件があります。

山田が作った、下町団子屋を舞台にしたラブコメディ映画は、時代錯誤でしかありませんでした。果たして、築地にある松竹本社の『男はつらいよ』の試写室は無人。観客は遅れてやってきた『映画芸術』の編集部員ただ一人。やむなく映写技師は上映を始めます。映画界、言論界、ジャーナリズム、誰も山田洋次に注目していませんでした。

しかしその後、<時代が山田に追いつき>???、『キネマ旬報』ベストテンで最も入賞回数の多い監督になります。そして多くの映画祭での受賞。寅さんシリーズ50作の不滅の金字塔。さらには時代劇映画『たそがれ清兵衛』の成功。山田は日本映画を代表する監督になります。

しかし問題があります。山田洋次の西欧世界での評価はゼロに近いものです。溝口健二黒澤明北野武と比べることはできません。そういえば「寅さんシリーズ」はすべて日本国内の内輪話です(『お帰り寅さん』では、後藤久美子国連難民高等弁務官事務所の職員役で登場させますが、とってつけたようなもの)。

寅さんを造形した山田監督は回避型人類だったのではないでしょうか。そして寅さんを愛した日本人と日本国家は、回避型国家だったではないでしょうか。平和と民主主義とは回避型愛着だったのではないでしょうか。

どこの国とも絆を持つことができず、外国人労働者をガイジンと呼び、外国で学ぼうとせず、自国に誇りを持てず、子供を作らず、やがて滅びていく。不戦の国とは回避型愛着の国、世界と絆を持つことができない国なのではないでしょうか。