私の好きな女優、岸恵子。

TED TIMES 2020-39「岸恵子」 6/8 編集長 大沢達男

 

私の好きな女優、岸恵子

 

1、昭和の女優

あなたはどんな女優が好きですか。北川景子新垣結衣長澤まさみ・・・今のではありません。昔の20世紀の日本映画女優の話です。キネマ旬報(2014.10発表)によれば、原節子吉永小百合、 京マチ子高峰秀子田中絹代山田五十鈴と並び、第8位に岸恵子若尾文子がリストアップされています。その中で、日本経済新聞5月の「私の履歴書」に登場した岸恵子の話をします。「私の履歴書」連載中の1ヶ月は毎日、毎日が楽しみでした。

まず驚くのは岸恵子の生命力の強さです。1932年8月11日生まれ、87歳。でも現役です。現在、空襲を生き延びた女優さんなんていません。そして今も、挑戦しています。驚くべき命の力です。

次は恋です。まず鶴田浩二。「私の履歴書」では、さらっとしか触れられていませんでした。さらにフランス人の映画監督イブ・シャンピとの結婚、そして萩原健一。これには全く触れらていませんでした。加えて70歳を過ぎてからの恋愛小説『わりなき恋』。実話がもとです。ファーストクラスから始まった日本のエグゼクティブとの恋、これにも触れられていませんでした。

そして才能、クリエーティブ能力の高さです。岸恵子は小説家になりたかった。文章がうまい。映画プロデューサーに女優より小説家がいいと勧められ、川端康成と面談までしています。

生命力が強い女優も、恋おおき女優も、クリエーティブ能力に優れた女優も、稀にはいます。しかし生命力、恋多き、才能に溢れた女優となると、いません。だから岸恵子が一番です。

2、「私の履歴書」からの名シーン

1)1945年5月29日、横浜は大空襲に襲われます。12歳の恵子は母と別れ別れに逃げなくてはならなくなります。待ち合わせたのは、山手公園のテニスコートの曲がり角の大きな松の木。逃げる途中に大人たちから防空壕に入るように命令されます。しかしそこにいたら死ぬと判断。みんなに逆らって公園に逃げ、母と再会します。「もう大人の言うことは聞かない。今日で子供をやめよう」。

2)敗戦。恵子が母と歩いていると、米兵がたくさん乗ったジープから、チョコレートを差し出され、缶詰が入った紙袋を投げ出される。拾おうとした恵子を母親がビンタ。「いけません」。

3)高校は神奈川県立第一女子高(平沼高校)。作文がうまく成績優秀、しかし数学がまるでだめ。先生に呼び出されお説教される。しかしその先生も偉かった。「人生は短いんだ。好きなことをやれ」。

4)当時の大スター鶴田浩二との出会い。「デカダンスともいえる妖しい風景」、「ニヒルともとれる生々しい危うさ」の鶴田浩二は、「山猫のようなすごい女の子」岸恵子を壊れ物のように大事にしました。「いまのままでいなさい。この世界のあくに染まって、女優くさくなっちゃダメだ」。

5)1956年、イブ・シャンピ監督との出会い。イブは医大から地下運動、ノルマンディー上陸作戦に参加、負傷兵の命を救い勲章、戦争ルポを撮って賞を取った人。撮影中に料亭に招待され食事。「ヨーロッパとアフリカを一緒に見ないか」、「卵を割らなければ、オムレツはできない」、「あなたは自由なんだ。それを阻むものがいるとすれば、それはあなた自身だけだ」。

6)イブ・シャンピ邸は、5階と6階を打ち抜いたアトリエ風の天井、リビングで円を描く書棚、そしてル・コンドン・ブルー料理学校首席の料理人。しかし家をロケで空ける妻・恵子に代わってフランス人の女が、1973年8月11日41歳の誕生日に離婚を決意、75年に離婚。イブ・シャンピの言葉「僕は君の日本には到底・・・勝てないと思った」。

3、日本の女性

私の履歴書」は、祖父から始まり、父母、私、娘、そして孫、5つの世代の、DNAの遺伝子が受け継がれた物語です。女性は不思議です。 『約束』(1972年)と『雨のアムステルダム』(1975年)で二度共演し、恋に落ちた荻原健一(2019年没)のことが一行も書かれていません。それはイブ・シャンピとの離婚が問題になっていた微妙な時期でした。鶴田浩二(1987年没)のこともデート中に肥溜(こえだ)めに落ちた「臭い話」、笑い話で終わらせています。しかしイブ・シャンピ(1982年没)のことは大切の書かれています。なぜなら娘、孫、未来に関わるからです。岸恵子は一番好きな女優で、偉大な女性です。