クリエーティブ・ビジネス塾38「濱口竜介」(2018.9.10)塾長・大沢達男
日本映画の未来を担う監督・濱口竜介をどう評価するか?
1、『寝ても覚めても』
日本経済新聞の映画評「シネマ万華鏡」にまたまた5つ星映画が現れました。『寝ても覚めても』(監督 濱口竜介)です。監督の濱口竜介(1978~)は、東京大学文学部卒業、さらに東京芸術大学大学院映像研究科で学んだ、映画界のスーパーエリートです。もちろん学歴で映画が撮れるわけではありませんが・・・。すでに『ハッピーアワー』で、第89回キネマ旬報ベストテン第3位に輝き、ロカルノ国際映画祭、芸術選奨新人賞、映画批評家大賞選考委員特別賞を受賞しています。
『寝ても覚めても』は、商業映画でのデビュー作です。さて、どうでしょうか。
公開二日目の新宿テアトル日曜日の14時からの回、ほぼ満席の会場で映画を見ました。両隣の席はいずれも賢そうな20代の男性、久しぶりに若者に囲まれての映画鑑賞になりました。濱口監督への期待です。
映画の原作は柴崎友香。シナリオは面白い。別れた男性のそっくりさんに再会できる話です。
まず映画は、何らかの理由で別れなければならなくなった男性に、もちろん死別も含めて、再会できるという、だれもが持つ夢を叶えてくれます。次に映画は、私が付き合っていた昔の男性が、別れた後に出世している、映画ではイケメンのスターに、という設定に。つまり私の目に狂いはなかった。自尊心を満足させてくれます。まあ夢物語です。
おや?と思わせる、面白いプロットがあります。演劇をやっている女優にむかって、その演技のビデオを見ていた男性が、クソミソにかみ付きます。「カーテンコールで友達に花束もらって、涙を流して、自己満足して。でも観客になにも伝わってないじゃないか」。芸術趣味人、日曜画家の批判です。お前の表現はホントに売れているのか。単なる自慰行為に終わってないか(しかし、この手のプロットは一カ所だけ、残念)。
2、映画の発明
さて『寝ても覚めても』は、5つ星の映画に値するでしょうか。
まず主演の東出昌大(ひがしでまさひろ)がいい。昔の男=クラブで遊ぶ自由な男と、いまの男=日本酒のセールスをするビジネスパースン。二つの役を見事に演じています。ふたりが同時に画面に登場するシーンもあります。演技も映像技術も演出もいい。東出は『聖の青春』で羽生名人を演じています。羽生さんが好きなだけに、どうせドタバタ、高をくくって、見ていません。これなら東出の羽生を見たくなります。
つぎに編集。カットつなぎがいい。映画的な省略、飛躍が心地いい。スピード感があります。
感心しないのは、カメラとMA(映像にセリフ・音楽・効果音をつける作業)。映像は狙いなのか、なんか湿っぽい。色がよくない。フィルターの使い方が悪い。光と影がない。フレーミング、カメラのアングルは悪くない。しかしこれといって印象に残ったカットもありません。
MAでも目立ったものはない。音楽もよいとはいえない。北野映画のような緊張感は、ありませんでした。
さて濱口竜介は映画を発明しているでしょうか。映画評論家・野崎歓は「個々の人間を描き分ける卓抜な演出力」を評価しています。編集はいい。しかしカメラ、MA、音楽は疑問。
同世代の映画監督に『湯を沸かすほどの熱い愛』の中野量太(1973~)がいます。中野は日本映画学校出身。楷書で書いたような映画を作ります。前衛でも抽象でもない。でもそれが新しい映画になっています。
濱口の映画も丁寧です。でも映画の発明には至っていません。5つ星はちょっと甘い。期待値でしょう。
3、「シネマ万華鏡」
日経の映画評「シネマ万華鏡」は毎週金曜日の夕刊に掲載されます。評価は一つ星から5つ星まであり、5つ星とは「今年有数の傑作」と評価されるものです。『寝ても覚めても』は8/31の夕刊で5つ星(映画評論家 野崎歓)の評価を受けました。1ヶ月前(7/27)に、『スティライフ・オブ・メモリーズ』(矢崎仁司監督)がやはり、5つ星(映画評論家 宇田川幸洋)に輝きました。女性性器だけを映す写真家の話というセンセーショナルな映画でした。映画の天才アラーキー(荒木経惟)を期待して映画館に足を運びました。裏切られました。ありきたりのスティルライフ(静物画)でしかありませんでした。映画には理知や感覚を超えたエロス(情念)がありませんでした。
映画評論家の反旗をひるがえすものではありません。理解できない、共感できないは、自分の至らぬせい。映画の評価、映画の評論は、難しい。今後も「シネマ万華鏡」に期待します。ただし、四つ星(日経7/13 映画評論家・中条昌平)『グッバイ・ゴダール!』は、大満足でした。