又吉直樹『火花』は、なぜ売れたのか。

クリエーティブ・ビジネス塾33「火花」(2015.8.17)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、大ヒット
お笑い芸人、又吉直樹が書いた小説『火花』が、芥川賞史上最高200万部を超えるベストセラーになっています(小説の題名は「花火」ではなく「火花」。小説の主人公の漫才コンビスパークス=飛び散る火花」からきていると思われる)。大ヒットはうらやましい限り。なぜ読者の心をとらえたか。時代のどこを切り取ったのか。柳の下にドジョウは二匹いない、と知りながら、考えてみたくなります。
2、表現
「僕たちは表現の場を得るために、発信の権利を得るために、あるいは貧困から脱出するために、それぞれのやり方で格闘していたのだ」(『火花』又吉直樹 『文芸春秋』2015.9 p.328)。
『火花』は20歳になったばかりの漫才芸人の芸との格闘物語です。ですが、この「表現」という言葉にぶつかったときに、誰もがこの小説を自分の物語として読み始めることになります。ウエブサイトの更新を毎日の仕事にしている、ナチュラル化粧品の説明をお客さまにしている、自分のバンドの作詞をしている、ヘア・メイクでお客さまの満足のために戦っている、写真やイラスト、ビジュアル表現を仕事にしている・・・「火花」は、クリエーター、アーティストのための小説です。
「あらゆる日常の行動は全て漫才のためにあるねん」(主人公の先輩、神谷の言葉)。そうです。クリエーターの日常は全て表現のためにあります。クリエーターは、早く仕事を終えてしっかり遊んだり、ONとOFFのけじめをつける、ビジネスパースンではありません。クリエーターの24時間は表現のためにあります。
「漫才は面白いことを想像できる人のものではなく、偽りのない純正の人間の姿を晒(さら)すもんや」(神谷)。クリエイティブな表現は、なんちゃって、ではありません。魂の吐露、本音の告白です。でも命をかけた表現でも、クライアント・聴衆によって無視され、破り捨てられます。晒すとは、銀座の四丁目の交差点で大の字にハダカで寝て、さあ殺せと、叫ぶことです。
「批評をやり始めたら漫才師としての能力は絶対に落ちる」(神谷)。批評は表現をしたことがない素人(しろうと)がやることです。映画を見終わった後の学生たちの鋭い批評を聞いたことがありますか。聞いていて恥ずかしくなります。映画評論とは文章で書くもの。そこには表現としての苦しみがあります。
経済学者の伊藤元重は、現代の労働が産業革命当時のlabor(労働=労苦)でも、産業社会のwork(労働)でもなく、play(演技)に変わってきている、指摘します。コンテンツが主役になる社会では、働くことは表現することです。個性を売る才能の時代です。かっこいいのではない、残酷な時代です。
3、桂春団治
『火花』は、東京の最もオシャレな街を舞台にして、大阪弁で書かれた小説です。
まず吉祥寺の「ハモニカ横町」、やきとりの「いせや」。言うまでもなく吉祥寺は、東京で誰もがいちばん住みたい町。「ハモニカ横町」はおっさんが群がる飲み屋でしたが、いまはグローバリゼーションの最先端。中国人、ベトナム人が働き、米国、英国人の日本在住者や旅行者が群がるところです。新しい文化誕生の坩堝(るつぼ)なろうとしています。つぎは渋谷の宇田川町、センター街。ここはいうまでもなく若者文化の中心。さらにこの小説は、池尻大橋の「丸正」、三宿三軒茶屋二子玉川(ふたごたまがわ=にこたま)を登場させています。「にこたま」には楽天の新本社が完成しています。小説の舞台は選ばれた場所は奇跡と言えるほど、クール(かっこよく、オシャレ)なところばかり。作者の意図ではない、傑作です。
さて、ヒット作とは何か。芸人とは何か。表現とはなにか。芸人は、ハッキリした答を持っています。
桂春団治です。桂春団治とは、「すかたん」で「あかんたれ」。すかたんとは、見当違いで間違った奴。あかんたれとは、ダメな男。桂春団治は、芸人とはなんであるかを定義し、その生き方のお手本を示しました。
「一、名をあげるためには、法律にふれないかぎり、なんでもやれ。芸者との駆落ちなど、名を売るためにには何べんやってもいい。一、借金はせなあかん。一、芸人は衣装を大切にせよ。一、自分の金で酒を飲むようでは芸人の恥。一、師匠と弟子は親子の仲。女中や車夫は使用人。使用人は時間に寝ささねばならない。弟子に時間はなし。一、女はな(泣)かしなや(富士正晴桂春団治』p.223~p,224 講談社文芸文庫)」。芸人は、放埒蕩尽(ほうらつとうじん)。酒色にふけり、金を湯水のように使う。感覚(パトス)と欲望(エロス)を全開放します。ヒット作を生み出す、クリエーターもまた同じです。