皇室とは何か。日本とは何か。

クリエーティブ・ビジネス塾46「皇室」(2019.11.18)塾長・大沢達男

 

皇室とは何か。日本とは何か。

 

1、津田左右吉

日本国憲法第1章第1条 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」。第2条 「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」。

大日本帝国憲法第1章第1条 「日本帝国ハ万世一系天皇之ヲ統治ス」。第2条 「皇位皇室典範ノ定ムル所二拠リ皇男子孫之ヲ継承ス」。第3条 「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」。 

日本の歴史で、皇室はどのようなものであったのか。日本の社会で、皇室・天皇はどんな役割を果たしてきたのか。それを知るために、津田左右吉の研究に耳を傾けます(『古事記及び日本書紀の研究』  津田左右吉 毎日ワンズ)。

2、皇室

津田によれば、皇室の御先祖は1~2世紀頃のキンキ(近畿)のヤマト(大和)です。ヤマト(大和)はキュウシュウ(九州)のヤマト(邪馬台国)とイズモ(出雲)と長い間対立します。3世紀にはイズモ、4世紀にはヤマト(邪馬台国)を服従させます。さらに5世紀には九州の南半のクマソ(熊襲)も服従させます。5世紀の日本には皇室に反抗するものはいなくなります(しかし紀元前660年に即位した神武天皇から192年に即位した第19代の仲哀天皇あたりまでの「記紀」の記述は、歴史的な事実とは考えられぬと津田は考えています)。皇室とは何か、その役割は何か。その答は日本誕生の3百年の歴史にあります。

1)日本民族。皇室は日本民族を外から征服したのはない。民族のうちから起こり、反抗的な勢力は消滅させた。皇室は武力を用いなかった。戦闘はなかった。民衆が皇室に反抗を企てることもなかった。

2)武力なし。異民族との戦争もなかった。東北方のアイヌとは民族的衝突はあったが、地域の住民に任せた。皇室は関与しなかった。半島の武力衝突も影響もなく、文物の採取で皇室の地位を重くした。

3)政治なし。日本の上代には、政治らしい政治、君主としての事業がなく、天皇自らが政治にあたらなかった。国家の大事は朝廷の重臣たちが解決するのが風習になった。天皇に失政はなく地位は安定した。

4)神ではない。天皇には宗教的な権威と任務があった。天皇は、民衆の呪術、神の祭祀を行った。しかし天皇は宗教的な崇拝の神ではなかった。天皇の恋愛譚(れんあいたん)があるように普通の人だった。

5)文化の指導者。皇室には文化上の地位があった。シナからの文物は最も多く皇室よって利用された。皇室は新しい文化の指導的な地位にあった。皇室は文化の恵みで、尊さと親しみやすさを感じさせた。

3、皇室の課題

1)万世一系・・・「皇位は、皇統の属する男系の男子が、これを継承する」。これが万世一系です。126代のうち10代8人の女性天皇がいらっしゃいますが、すぐに男系男子に戻され、万世一系は貫かれています。

男系男子が不可能になったなら、皇籍離脱された旧宮家の方に、復帰していただければよいのです。

2)靖国神社・・・帝国憲法では第11条に「天皇は陸海軍を統帥す」とあります。これは皇室伝統に反しています。皇室は武力を持たず、戦闘をしない伝統でした。

靖国神社の問題は複雑です。英霊たちは靖国で会う約束で戦っています。しかし平成天皇はもちろん令和の天皇も、一度も靖国神社にお参りされていません。春と秋の例大祭に勅使を送られているだけです。これでよしとすべきなのでしょうか。300万に近い英霊は彷徨っています。

3)天皇陛下万歳・・・「天皇陛下」は形而上の存在です(『「日本国記」の天皇論』p.207百田尚樹 有本香)。天皇のためにではなく、日本のために死ぬことです。自分の家族を、古里を、祖国日本を守りたいということです。「もし民が貧しければ、私が貧しい。民が豊かなら、私が豊かなのだ」(仁徳天皇)。日本の天皇と世界の権力者とは違います。天皇の心は「大御心(おおみごころ)」、民は「大御宝(おおみたから)」、私たちは国の宝として、天皇ともにあります(p.98)。

(結論)「やまとうたは人の心をたねとしてよろづのことのはとぞなれりける」(古今和歌集の仮名序)。万葉集の中心には皇室、そして日本文学の中心にあるのは古今和歌集をはじめとする勅撰和歌集です。私たちが使う日本語は皇室とともにあります。皇室は日本文化の中心にあります。そして現在、サッカー、野球、相撲、競馬、武道、水泳、スキー、体操、テニス・・・皇室は日本のスポーツの中心でもあります。

天皇は私たち中にある柱です。私たちは天皇を中心にした日本という国に生まれました。