神が人間を創った。信じている人46%。しかし科学は不滅の魂を否定する。以下は、『ホモ・デウス』(ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳 河出書房新社)の要約。

TED TIMES 2020-19 「ホモ・デウスー2」 3/13 編集長 大沢達男

 

神が人間を創った。信じている人46%。しかし科学は不滅の魂を否定する。以下は、『ホモ・デウス』(ユヴァル・ノア・ハラリ 柴田裕之訳 河出書房新社)の要約。

 

3、人間の輝き

一神教はサピエンスだけが、不滅の魂を持っていると、考えるが、最新の科学的な発見は、この一神教の神話をきっぱりと否定している。ブタと違ってサピエンスには魂があるという科学的証拠は皆無である。

2012年のギャラップ調査では、ホモ・サピエンスが神の介入を受けずに進化したと考えるアメリカ人はわずか15%、先行する生き物から進化させるショーを神が演出したと主張するのが23%、聖書に書かれているとおり神が人間を創造したと信じているのが、46%である。

「individual(個人 )」の意味は「分割することのできないもの」である。私は生まれてから死ぬまで、そして死後も同じ人間であり続ける。これを進化論は否定する。だから魂という考え方を受け入れない。

魂は物語。意識の流れは、具体的な現実である。心と意識について科学的にわかっていることは少ない。心は説明できない。心が果たす役割はわかっていない。

意識を生じさせる神経基盤を人間だけ持っているわけではない。ラットや犬や他の動物には自己意識がないという考え方は理解し難い。人間は本質的にラット、犬、イルカ、チンパンジーと違わない。魂を持たない。

人間の世界征服での決定的な要因は、多くの人間同士を結びつける能力である。無数の見知らぬ相手と柔軟な形で協力できるのはサピエンスだけだ。サピエンスは冷徹な数学の論理ではなく温かい社会的論理に従って行動する。私たちは情動に支配されている。脅しと約束は人間のヒエラルキー、協力のネットワークを生み出すのに成功する。協力は想像上の秩序を信ずる気持ちの基づいている。サピエンスはターバンや顎髭やビシネススーツといった視覚的な目印を使って、「あなたは私を信頼できる。私はあなたと同じ物語を信じているから」と合図する。

現実には客観的現実、主観的現実そして共同主観的現実がある。貨幣、法律、神、帝国がある。意味は大勢の人が共通の物語のネットワークを織り上げたときに生みだされる。歴史を学ぶとはウェブが張りめぐらされたりほどけたりする様子を眺めることだ。天国に至ることを期待して十字軍の遠征に出る。共産主義の天国を信じていたゆえに核戦争の危険を犯す。そして民主主義と人権の価値を信じる私たちも、100年後には理解不能になる。他の動物たちが人間に対抗できないのは、魂も心もないからではなく、必要な想像力がかけているからだ。将来を知りたければ、ゲノム解読、計算だけでは十分ではない、この世界に意味を与えている虚構を読み解くことも必要になる。

4、物語の語り手

動物は二重の現実で暮らしている。木や岩、自分以外の客館的なものと、恐れ喜び、主観的な経験。人間は三重の現実。お金、神々、国家の物語の現実を生きている。7万年前、人間は認知革命で想像の中にしか存在しないものについて語り出した。しかし人間の記憶には限界があった。障害を取り除いたのが書字と貨幣である。税を徴収し、王国を打ち立てることが可能になった。

エジプト人はファラオを本物の神だと考えていた。ファラオは現代のエルヴィス・プレスリーのような、個人ブランドになぞらえることができる。エルヴィスは生物学的存在を超える物語で、神話で、ブランドである。エルヴィスが亡くなった後も、ブランド業務は続けられたいる。アルバムは売れ、ラジオ局はロイヤルティを払い、グレースランドには毎年50万人の巡礼者が訪れる。書字のおかげで長く入り組んだ物語が可能になった。契約書など関連文書の総体がエルヴィスの力を決めた。

書字のおかげで、人間は社会をアルゴリズムの形で組織できるようになった。1940年春、ナチスが北からフランスを侵略した時、ボルドー総領事のアリステディス・ソウザ・メンデイスは、ユダヤ人のためにビザを発給した。3万人のユダヤ人が救われた。同じことがリトアニアで、日本領事館員杉原千畝(ちうね)が行い、1万人のユダヤ人が救われた。19世紀後期、イギリス、フランス、ドイツはアフリカ各地の領有権を主張し、アフリカの地図を広げ何本かの線を引き、大陸を分け合った。境界線は地理、経済、民族の実情をないがしろにしていた。学校では成績をつけ始め、学問ではなく、成績向上だけを目指すようになった。

文書記録の持つ力は聖典の登場で絶頂を極める。聖書はグローバルな生態環境、バビロニアの経済、ペルシャの政治制度を理解しない。自分が世界の中心で他の人には関心を示さない。一神教の妄想は、幼児期の人間の自己陶酔に、似ている