ユヴァル・ノア・ハラリは新しい。西欧中心の近現代は終わる。

TED TIMES 2020-21「21レッスンズまとめ」  4/16 編集長 大沢達男

 

ユヴァル・ノア・ハラリは新しい。西欧中心の近現代は終わる。

 

1、ハラリ

ユヴァル・ノア・ハラリ(Yuval Noah Harari)は1976年イスラエル生まれの歴史学者、哲学者です。『サピエンス全史』、『ホモ・デウス』、そして『21 Lessons』を世界的なベストセラーにしました。『21 Lessons』を読んで驚きした。私の中で長年もやもやしていたものがぶっ飛びました。ハラリは、西欧中心の歴史観一神教中心の世界観に異議の申し立てをしています。いままで、さまざまが学者が西欧中心、一神教中心に異議を論じてきました。でも所詮、負け犬の遠吠えでしかありませんでした。しかしハラリは違います。衝撃的な諸論を、世界のベストセラーにしました。世界の常識が変わります。しっかり勉強しないと、頭の古い大人になってしまいます。ちなみにハラリは同性結婚をしている、ヴィーガン(乳製品も摂らない厳格な菜食主義者)です。

2、自由主義一神教、瞑想

第1に、ハラリは「自由主義」の終わりと自由主義の根本にある「合理的な個人」の終わりを宣言します。

自由主義はファッシズムと共産主義に戦いに勝ち残り現代の世界を築いてきました。しかし自由主義は西洋の帝国主義だと断罪され、自由主義を支える「合理的な個人」とは熱狂的差別主義者だと告発されます。合理的な個人とは、上流階級の白人男性の自立性と権力の賛美でしかない、こき下ろされます。さらに現実問題として、自由主義は生態系の崩壊と技術的な破壊に応えることができない、とされます。自由主義(Liberalism)とは、個人主義立憲主義、資本主義、民主主義、世俗主義、男女・人種の平等、言論・表現・信教の自由を支持します。米国ではF・ルーズベルトニューディール政策のような福祉国家的政策がリベラリズムと呼ばれ、自由放任の古典的自由主義リバタリアニズム(libertarianism)と呼ばれます。リベラリズムは、政府による「徴税」での富の再配分、一般社会への介入を肯定し、リバタリアニズムは経済的自由の侵害であると否定します。

第2に、ハラリはユダヤ人でありながら、ユダヤ教を批判し、一神教を否定します。

ユダヤ教ユダヤ人を人類史のスーパースターだと教えています。動物を生贄にする。人間集団を計画的に根絶やしにすることを命じています。一神教は大量虐殺を宗教的義務にし、人種、女性、同性愛者を差別しています。一神教ほど悪い考えは人類史上例がありません。ユダヤ教キリスト教イスラム教の「三大宗教」は、間違った考えです。神道シーク教ヒンドゥー教、仏教を無視しています。

道徳律はアブラハムから生まれたわけではない。人類の占有物ではない。人類登場の何百万年前に先行していて、オオカミ、チンパンジーにも立派な道徳律があります。 

第3に、ハラリは瞑想を提案します。

心の制御は読書や大学教育ではできません。苦しみは、世界の状況ではなく、心によって生み出されています。瞑想には力があります。瞑想は万能薬ではありませんが、道具箱に入れておくべきものです。特に未来、ITとバイオテクノロジーの時代には必要です。

結論として、ハラリはどんな神も信じないことを選択肢の一つとして提案します。私たちは「無知」を認めるべきです。「知る」努力をすべきです。現実世界では、「世俗主義」です。真実、思いやり、平等、自由、勇気、責任です。無謬性ではなく無知を認めます。ハラリは2000年にオックスフォードでヴィバッサナー(vipassana)瞑想、無常・苦・無我を洞察する瞑想を始めています。

3、日本人

なぜ私がハラリの本に引き付けられたか。

神道天皇崇拝で日本は近代国家を建設して軍事国家になった、とハラリは日本の宗教とナショナリズムの結びつきを説明しています。信頼するに足る。ハラリの実力を認めたからです。もう一つは安田喜憲梅原猛の「稲作文明と麦作文明。多神教一神教」の数々の著作を読んでいたからです。一神教の限界にここ10年以上親しんできたからです。

ところが残念。佐藤優は「雇用」の問題を中心に『21 Lessons』を論じ、「このような事態を打開する上で、意外に役に立つの宗教だ」と結び(『文藝春秋2020.2』p.390~3)。橋爪大三郎は「情報の海で溺れかけている若い世代の読者を、向こう岸まで連れて行ってくれる」と論じる(日経2/1)。1976年生まれのハラリが前の世代を批判しているにも拘らず。