THE TED TIMES 2023-38「藤井聡太②」 10/15 編集長 大沢達男
藤井聡太は、希有の天才の一つの実験の結果、想像の線の上の必然。
1、永瀬拓矢
藤井聡太8冠達成。
最後のタイトル「王座」を明け渡した永瀬拓矢が、日経のインタヴューで藤井聡太は「人間をやめている」と答えました。
その意味は、まず集中力。そして自分の損得で物事を考えないこと、さまざまな勉強の邪魔になる雑事を断らないこと、対局以外のイベントのスケジュールを断らないことです。
そして羽生善治のような第一人者的な考え方があるといいます。たとえば、後手番が厳しいと誰もが言うが、ふたりは後手番の可能性を信じています。さらに藤井聡太は全ての棋書を読んでいると言います(日経 23.10.16)。
永瀬拓也31歳、藤井聡太21歳。
3年前藤井聡太が18歳で史上最年少で棋聖タイトルを獲得したときにも、永瀬拓也は言葉は違いますが、ほぼ同じような感想を述べています。
「藤井さんが渡辺さん(前棋聖・渡辺明)を相手に勝ったのはすごいことですが、(何度も練習将棋を指し)藤井さんの強さを一番知っている私からすれば、『藤井さんの力をもってすれば順当』です」。
そして10歳年下にもかかわらず、「人間的にも尊敬できる」、「藤井さんの強さは『努力の結晶』」である、としています(日経 20.7.25)。
王座戦での永瀬拓也の対局のシーンが思い出されます。
失着の一手を指した後、永瀬は頭をかきむしり、感情を露わにしました。
対して藤井は、何の感情も表さずただ盤上を見つめ、坦々と1分将棋を指していました。
2、藤井聡太
王座獲得の後に、藤井聡太も日経のインタヴューの答えています。
将棋AIの候補手と自身の考える最善手の違いについて、
「ある局面を突き詰めれば、先手勝ち、引き分け、後手勝ちの3つに集約される。
(どう指しても負けの場合があるわけで)常に最善の手があるわけではない。
自分は全ての局面で正解を指そうと考えているわけではなくて、どうしたら局面のバランスを保てるか、どうしたら少しリードできるか、と考えている」。
そして「負けの局面では、普通の手ではどうしても勝てない。普通じゃない手を考えた中で最も難しい、複雑な手を選ぶ」。
なるほど・・・明解。といっても、王座戦を第4局で、どの場面がそうだったのか、わかりませんが・・・。
AI評価では、藤井はいつも、永瀬にリードされていました。そして負けが99%になったあとに、逆転勝利したのですから・・・。
永瀬が評価するように、藤井は人間性で優れているのでしょうか、あるいは損得を度外視し人間をやめるほどの人間性の勝利なのでしょうか。
3、羽生善治
「藤井聡太という存在、その姿は一人の稀有の天才が作り出した、一つの実験の結果であり理想像ではないかと。その天才の描いた想像の線の上に藤井は、それが必然であるかのように存在した」(日経23.6.5)。
元「将棋世界」編集長で作家の大崎善生は、藤井聡太の存在を神秘でも不思議でもないとし、極めて論理的に説明しました。
時は遡ります。
1996年冬に羽生善治が7冠完全制覇と偉業を達成します。
そのときまだ25歳の青年は人生の目的を問われて、「将棋の本質を目指す。それを解き明かす」、と答えました。
そして羽生は、極限状態のスケジュールの中で、将棋の定跡書を書き連ね、新しい才能、次の世代に懸けます。
羽生の言葉の一行一句が子供たちの体に染み込み、血と肉になっていきます。
羽生という天才が仕掛けた想定どおり、藤井聡太が生まれたというわけです。
大崎善生の大胆な予言は、その天才・藤井聡太の生みの親である、稀有の天才・羽生善治の言葉によって証明されています。
永瀬拓也の項で前述した、藤井聡太が渡辺明から初タイトルを獲得した棋聖戦の感想を、産経新聞に寄稿しています。
「(第2局は本格的な矢倉模様になり・・・)出だしは昔の中原誠ー米長邦雄戦をおうふつさせる序盤戦で、昭和の香りが漂いました。
(中略)藤井さんの新工夫で、古き皮袋に新しい酒を盛ることになり、令和の時代の味に変化しました。
そして、昔に流行した形であっても、まだまだ眠っている可能性があることを呼び起こしてくれたような気がしています」(産経 20.7.17)。
物事は、温故知新(古きを訪ね、新しきを知る)が基本で、将棋のおいても定跡の研究がなければ新手はありません。
でなければ8冠棋士は生まれない。これが結論です。