TED TIMES 2021-16「『街の上で』」 4/15 編集長 大沢達男
映画『街の上で』は100%下北(下北沢)映画、で下北はどこへいくの?
1、下北ナイトクラブ
多分1988年頃です。原宿に「ピテカントロプス」とういうクラブがあって、下北沢の駅から茶沢通りにむかう左手の地下に「下北ナトクラブ」がありました。私は、六本木、西麻布のクラブだけでなく、「下北ナイトクラブ」にも出入りしていました。なにを聴いていたのか、「トーキングヘッズ」かなんかでしょう。ある日「下北ナイトクラブ」で殺人事件が起きたという噂が流れました。噂は真実でした。クラブ・カルチャーも終わりの頃です。そして「下北ナイトクラブ」も閉店しました。もちろん映画『街の上で』に「下北ナイトクラブ」は出てきません。
映画に出てくる「水蓮」というバーがあります。あそこはむかし、マッちゃんという人がマスターの「ベルリン」という、パンク・テクノのバーでした。まあ東京でもいちばんとんがっていた。客の中に本当のドイツ・ベルリンにでかけたDJもいました。「テレビジョン」、「ディーボ」が流れていました。マッチャンはその後死んだという言う噂を聞きました。これは真実かどうかはわかりません。
でもこの話も、『街の上で』のカタログには「水蓮」が開店20周年と書いてありますから、ひと昔、いやふた昔前の話になります。
そしていまは、映画の中で看板だけが映っている「ジュース」です。中華の「珉亭」の斜め前、モッちゃんとヒデキというミュージッシャンがやっているバーです。映画『ボヘミアン・ラプソディー』がヒットしたとき、「クイーン」というバンドについて随分と勉強させてもらいました。
アッそうそう、忘れてはいけません。下北といえばジャズ・バーの「まさこ」です。東京のジャズの最前線のひとつでした。いまのユニクロがあるビルの裏手、下北駅の南口、ラブホテルの前にありました。そして音楽プロデューサーのタカイさんがやっていたソウルブルース・バー「ゼム」もありました。関西ミュージッシャンの溜まり場でした。それから、いまはない「下北ロフト」で、米国で活躍中の山岸潤史を見たことも・・・まだまだ、もっともっと、音楽と下北との思い出はあります。
2、『街の上で』
映画『街の上で』の監督今泉力哉は1981年、しかも福島県生まれということですから、ここまで書いたきた下北のことは、なにもごぞんじないとおもいます。でも映画の主人公は下北を出たことがない人で、映画には下北以外は出てこない、100%下北映画です。テーマは恋話(こいばな)です。
「別れたい」、「別れたくない」、「じゃ、それでいいよ」、「浮気相手知ってる?」、「より戻そう、とかしか言わないんでしょう」、「きらわれるようなことしないほうがいいよ」、「田辺さんって、かわなべさんとできていたって、ほんと?」、「奥さんいないってこと、わたしにはばれてましたよ」、「ばーか、ばーか、ばーか」。
どうしようもない会話が、延々とつづく、どうしようもない映画です。
抱擁シーンも、キスシーンも、ましてセックスなんてありません。でも、私はこのまったりした映画がすきです。今泉監督の才能もかんじます。観てよかった、とおもっています。
3、大島渚
映画を観たのは、新宿シネマカリテです。狭い映画館のなかは満席でした。令和の街を席巻している団塊の世代の老人はいませんでした。おそらく20代とおもわれる人ばかりでした。印象にのこっているのはみなすごくお行儀がよかったこと。無意味にわらわない。いちばん監督がわらわせたかったところではわらっていましたが・・・。新宿ですが、観ていたのは、東京の人ではないとおもいました。
帰りに映画『愛のコリーダ』(大島渚監督)のチラシをもらってきました。<セックスと愛を極限まで描き、世界の映画史にその名を刻む>とキャッチコピーが踊っています。
『街の上で』はどうなんでしょうか。<おしゃべりだけで愛をたしかめることができるのか>。下北「自閉症」映画に未来はあるのでしょうか。映画の中で唯一外国人にもわかるとおもわれるような会話は、「来日時には、必ずヴェンダースがくるらしいよ」、だけです。ヴィム・ヴェンダースとは『ベルリン・天使の詩』のドイツの映画監督です。あとはすべてごくごく個人的な恋話です
かつて下北は音楽で世界につながっていました。しかし100%下北の『街の上で』は、内向きの映画です。私たちは、いやこれからの日本人は、どこを目指しているのでしょうか。