ハロー!グッバイ!カール・マルクス。

クリエーティブ・ビジネス塾33「資本論③」(2018.8.13)塾長・大沢達男

ハロー!グッバイ!カール・マルクス

1、ホラームービー
「家には便所がない。(中略)戸棚の抽出(ひきだし)に用便するかせねばならない。抽出がいっぱいになれば、それを抜いて、中味を必要とするところに空ける。日本でも、生命条件の循環は、もっと清潔に行われいる。」(『資本論(三)』p.303 カール・マルクス エンゲルス篇 向坂逸郎訳 岩浪文庫)
国労働者の悲惨な状況の証拠としてさまざまな叙述のひとつでです。読んだかぎりでは、資本論第一巻の中では、「日本」が初めて唯一出てくるところで、驚かされます。
なぜ突然「日本」が出てくるのでしょうか。マルクスは『資本論』を書いたのは徳川末期、明治維新の前年に『資本論』は出版されています。マルクスは訪日していません。なのに日本は、生活水準の劣悪の標準として描かれています。「封建制」の日本で類推した違いありません。不用意です。
資本論が描く労働者はホラームービーです。
「彼ら(プトレタリアート)は群をなして、乞食となり、盗賊となり、浮浪人となった。」(p.373)。
「(1547年の第一法規では労働を拒む者は奴隷と宣言された、主人は)いかに厭わしい労働でも、鞭と鎖で奴隷に強要する権利を有する。逃亡14日間に及べば、終身奴隷の宣告を受けて、額か背に、S字を烙印され、逃亡3回目には、国家の反逆者として死刑に処せられる。」(p.373)。
「(7歳から13、14歳までの寄るべのない労働者)彼らは選りに選った残酷さで、鞭打たれ、しばられ、責められた。・・・彼らは多くのばあい、鞭で労働を強いられながら、骨まで飢えていた。・・・・・・じつに、幾つかのばあいには、自殺へ駆り立てられた!」(p.408)。
2、西欧社会
問題1「階級」。・・・ホラームービーのような労働者の状態は、資本主義の矛盾なのでしょうか。21世紀の現在でも、英国をはじめヨーロッパは階級社会として知られています。上流階級、中流階級、労働者階級。それぞれの階級は話す言葉も、通う学校も、生活習慣も違います。階級は固定的で、労働者階級が上流階級になることはあり得ません。サッカーのデヴィッド・バッカムは、コックニーという東ロンドンの労働者階級の言葉を話します。そもそもサッカー自体が労働者階級の楽しみ。良家のお嬢さまがサッカー場に行くことはありません。マルクスが描いている矛盾の多くは、英国の階級社会の矛盾ではないでしょうか。
問題2「麦作牧畜文明」。・・・なぜ人間が人間に対して、残虐な扱いをするか。それは欧米文明の特徴です。スペイン人は南アメリカの原住民を全滅させました。英国人は北アメリカのネイティブアメリカンを全滅させ、アメリカ合衆国をつくりました。さらに米国人は黒人をアフリカ大陸から移送し、奴隷として使ってきました。人間を蔑視し、人間として扱わっていません。それは自然に対する態度でも同じです。西欧人はヨーロッパ大陸の森林を80%破壊し、米国人は北米大陸の60%の森林を破壊しています。
なぜそんなことをするのか。「一神教」・「麦作牧畜文明」だからです。1)自然支配の世界観 2)異なるものとの対決と不寛容 3)直線的な終末の世界観 4)森の徹底的破壊と家畜以外の生物存在の拒否。対して私たちの「多神教」「稲作漁労文明」とは、1)自然への畏敬の念 2)異なるものの共生と融合 3) 命あるものの再生と循環の世界観 4)自然にやさしく生物多様性の維持(『龍の文明 太陽の原理』 p.171~6 保田喜憲 PHP新書)。マルクスの労働者階級の描写は、「麦作牧畜文明」の人間観の矛盾です。
3、憎悪
マルクスが世界の若者を魅了してきたのは、その正義感です。こんな不平等許せるか。労働者を救え。
「非熟練労働者によって熟練労働者を、未成熟労働者によって成熟労働者を、女子労働者によって男子労働者を、少年または幼年労働者によって青年労働力を次第に多く駆逐することにより、資本家は同じ資本価値をもって、より多くの労働力を買う」(p.216)
マルクスの資本主義批判は鮮烈です。しかし社会批判は痛快であればあるほど、要注意です。
マルクス哲学の根底には、深い人間に対する憎悪があります。(中略)その憎悪が、唯物弁証法というマルクスのつくった哲学の根底に厳然として存在しているのです」(『森の思想が人類を救う』p.131~2 梅原猛 小学館)。
資本家は極悪非道な人間、プロレタリアートは神のような人間。梅原猛の指摘は鋭い。初めてマルクス主義主義に出会い、学習、論争、集会、デモ。青春の日々を、深い疑念とともに、振りかえざるをえません。

大量生産、大量消費の終わり、ワン・トゥ・ワン・マーケティングの始

クリエーティブ・ビジネス塾32「デジタルマーケティング」(2018.8.6)塾長・大沢達男

大量生産、大量消費の終わり、ワン・トゥ・ワン・マーケティングの始まり。

1、大量消費時代
マーケティングとは市場(market)を動かす(ing)ことです。なぜ市場を動かすか。金儲けをする「商売」のためにです。「商売」とは「三方よし」です。店よし、客よし、世間よしです。
トヨタ創立の「産業報国」の精神からすれば、産業活動を通して祖国の発展に貢献することです。ユニクロの「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」からすれば、ファッションで世界に革命を起こすです。
マーケティングとは4P、Product(何を作り)、Price(いくらで)、Place(どこで)、Promotion(誰に売るか)です。Promotionのなかに、セグメンテーション(市場の細分化)、ターゲティング(標的市場の選択)、ポジショニング(競合商品との位置づけ)が、そして広告があります。
大量消費時代のマーケティングはおおらかでした。洗濯機、掃除機、冷蔵庫の時代、そしてクルマ、クーラー、カラーテレビの思い出せば明らかです。同じ商品を大量に作り、テレビを通じて大量に広告を打ち、商品は大量に売れる、大量生産・大量消費時代です。
2、アマゾン・ゴー
デジタル・マーケティングを実践する店舗として「アマゾン・ゴー」が2018年1月にオープンしました。EC(電子商取引)のアマゾンがついに、消費者データを集めるために、実店舗の経営に乗り出しました(「デジタル時代のマーケティング戦略」牧田幸裕 日経7/5~7/16)。
1)ノーライン、ノーチェクアウトです。レジがなく、レジ待ちの行列がありません。利用客は専用アプリをダウンロードしたスマートフォンを駅の自動改札のようなゲートにかざして入店し、欲しい商品を自分のバッグに要れ、そのままゲートから出れば買物の支払いは完了しています。
2)狙いは利便性だけではありません。「購買前行動データ」の蓄積です。店内の天井に設置された無数のカメラで客の行動データを蓄積しています。購買前に客は何と何を比較したかです。客によって違う競合をワン・ツゥ・ワン(1対1)で取得することが目的です。
3)さらには「購買前心理データ」の獲得も狙っています。客の表情認識で、商品を手にしたときに、プラスの感情を持ったかマイナスの感情を持ったか、をデータ化します。
「アマゾン・ゴー」で見られることが「デジタル・マーケティング」で、その要点は以下の3つです。
1)「ワン・トゥ・ワン・マーケティング」。セグメンテーションとターゲティングの進化です。個人個人の購買行動を把握して対応するマーケティングです。
2)「データドリブン」。消費者理解を勘や経験ではなく、データに基づいて行います。
3)「次世代チャンネル」。実店舗でもEC(電子商取引)と同じような購買体験が可能で、消費者の購買データ取得の場にします。
「デジタル・マーケティング」の目的は、消費者行動データの分析でお客さまを理解しよい提案をし、競合企業と差別化し、お客さまから信頼を獲得することにあります。
3、ゾゾスーツ
「ゾゾスーツ」をご存知ですか。水玉模様の採寸用のボディースーツです。無料配布されています。私たちは自宅でボディスーツを着てスマートフォンのカメラで撮影すれば採寸されます。採寸データは衣料品通販サイト「ゾゾタウン」で管理され、最適サイズのファッションが検索できるようになります。
またユニクロでは電子商取引(EC)の比率を現在の7%から30%に引き上げる目標を掲げています。実店舗の機能は採寸と試着になります。採寸データの蓄積は、購買前行動データの蓄積と同じです。消費者に最適の提案ができます。着ればジャストサイズ。店舗数は減り、在庫も減少します。
さらにレナウンは「シェア・エコノミー」に針路をとっています。「服は買うから利用する時代になる」。衣料品のレンタルサービス「着ルダケ」です。たとえば月額4800円の6ヶ月契約だと、春夏物と秋冬物のそれぞれ2着のスーツを利用できます。貸し出されるスーツは1着6万円。4着購入だと24万円、それを年間6万円で利用できることになります。
商売(ビジネス)を前進させ大きくするものは、イノベーションマーケティングです。デジタル・マーケティングは、ビジネスを革新するでしょうか。あくまでも補助手段です。新しい商品は消費者データから生まれません。マーケティングから小説や映画が生まれないのと同じです。発明のみが新しい商売を生みます。

『グッバイ・ゴダール』ではない。『ゴダール、わが愛』がいい。

クリエーティブ・ビジネス塾31「グッバイ・ゴダール」(2018.7.30)塾長・大沢達男

『グッバイ・ゴダール』ではない。『ゴダール、わが愛』がいい。

1、ステイシー・マーチィン
37歳の映画監督が映画に出演した19歳の女優に恋をした。そしてふたりは結婚し、愛の生活を始める。舞台は1968年のパリ、監督の名前はジャン・リュック・ゴダール、女優の名前はアンヌ・ヴィアゼムスキー。彼女の自伝的な小説『ゴダール、わが愛』を原作にして、映画『グッパイ・ゴダール』が作られました。
パリのアパート暮らし、若い彼女はショーツ一枚でベッドから起き上がり、全裸のまま胸に枕を抱え、朝食のテーブルにつき、バケットをひきちぎり、口に持って行きます。監督の彼はきちんとワイシャツを着て新聞を読んでいました。「モーツアルトは35歳で死んだ。37歳になってまだ生きている僕はクソだ」。
彼女の身体はきれいです(演じたのはステイシー・マーティン)。お尻の位置が高い。そして乳は巨乳ではない、ストイックで手のひらにちょうど収まるくらい。映画は全裸の彼女を姿を惜しみなく映してくれます。印象的なのはベッドの上の全裸の彼女が上半身だけ映り、悶(もだ)えているシーンです。彼女の全身を映すようになると、なんとシーツをかぶった監督が女優の下半身にむしゃぶりついています。いーな。見ていてくやしくなります。僕だって若い彼女に、映画や芸術を語り、奔放に愛し合えたはずだ。
ふたりはパリの町を歩き回ります。カフェに行き、食事をし、学生集会に出て、デモに参加し、警察官と対決する。そして、監督と女優はケンカをし、別れることになる。そして映画も終わります。
2、1968年
映画が舞台にしたのは、1968年。とんでもない年でした。パリの五月革命がありました。パリ大学のソルボンヌに警官隊が導入され学生が逮捕され、ソルボンヌは閉鎖されます。学生はカルチェラタンを解放区にすると宣言。呼応した教職員、労働者を巻き込み、フランス全土のゼネストに発展します。そしてゴダールたちはカンヌ映画祭粉砕を叫び、映画祭を開催不可能に追い込みます。
革命が起きたのはパリ・フランスだけではありません。米国では、ベトナム反戦運動マーチン・ルーサー・キングが暗殺され、イタリア、西ドイツ、日本でも学生たちが反権力の運動を起こしました。中国では文化大革命がありました。安田講堂の機動隊と全共闘が対決があったのは、1969年の1月でした。
1968年はなぜこんな年になったのか。1968年で世界はどう変わったのか。だれも説明できません。
世界は社会主義に向かったのか。ブルジョワジーは粉砕されたのか。ノン!ノン!
答は、戦後生まれのベビーブーマーが青春を迎えたから。この人口学的な説明が、いまでは、いちばん妥当性があり、説得力があります。映画が描き、ゴダールが生きたのは、まさにこの時代でした。
3、アンヌ・ヴィアゼムスキー
監督のジャン・リュック・ゴダールと女優のアンヌ・ヴィアゼムスキーが出会った映画『中国女』(1967)はどんな映画だったのでしょうか。
映画のテーマはフランスの若者たちの「毛沢東語録」勉強会です。
ゴダールは映画の革命を起こし、映画を超えた「メタ映画」を作ろうとしています。ドラマは否定され、カメラは動きません。人物のアジテーション、朗読、演説、討論が、繰り返されます。いま中国で起こっている文化大革命、そして社会主義に人類の未来があるか。
そして結論は簡単。革命とはテロ。映画も勉強会も、自殺と暗殺の銃声で終わります。青春のバカンスの終わり、学生の夏休みの終わりです。
ゴダールは映画のテロリストです。絶えず映画を壊そうとしています。うんざりするほど。しかし趣味がいいから、何とも文句のつけようがない。画像と音のマッチング、映像がいい。音楽の使い方、音の使い方が絶妙です。北野武監督と共通します。趣味の悪い有名監督は、名前をあげませんが、いくらでもいます。
さて問題は、『中国女』に出演し、ゴダールと結婚したアンヌ・ヴィアゼムスキー(1947~2017)です。母方の祖父がノーベル賞作家のフランソワ・モーリャックというロシア人です。アンヌは19歳のゴダールに出会い、恋に落ちています。『グッバイ・ゴダール』のステイシーに負けず、『中国女』のアンヌもいい。アンヌはカメラにむかって女を売っています、つまりカメラの後ろにいる彼氏、監督のゴダールを挑発しています。文化大革命社会主義なんて関係ありません。
結論。ステイシーやアンヌのような19歳をナンパしたゴダールがくやしい。ただそれだけです。だから芸術をやりたい、芸術家は何をしても許される。もちろん才能があれば、の話ですが。

ライトで始まった青春は、丹下健三を経て、伊勢に向かう。

クリエーティブ・ビジネス塾30「伊勢神宮」(2018.7.23)塾長・大沢達男

ライトで始まった青春は、丹下健三を経て、伊勢に向かう。

1、フランクライド・ライト
僕たちは銀座が好きでした。なかでもフランクロイド・ライトが設計をした旧帝国ホテルはデートコースに中心にありました。池の囲まれた庭を通り、ホテルのフロントに入って行く、粗末な身なりの学生はいかにも奇妙でした。それでも青春はそんなことを知りません、気にしません。僕たちは堂々とロビーに座ったものでした。そこでは帝国ホテルを住居にしていたオペラ歌手藤原義江も呆然と天井を見上げていました。
僕は1968年に広告会社電通にクリエーターとして入社します。新入社員はグループに分かれ社長と帝国ホテルで会食をします。悲しいかな休館はすでになく新館でした。そして電通社員の僕たちは帝国ホテルの新館で昼食をとりお茶を飲み、レインボーラウンジで打ち合わせをするようになります。
もうひとつあります。駒沢の電通社員寮とグランドがある「八星苑」です。そこは旧帝国ホテルの設計をライトに依頼した帝国ホテルのオーナー林愛作の自邸でした。「八星苑」もライトが設計しました。僕たちは休日になると「八星苑」に出掛け、野球をし、ライトが設計したリビングルームでビールを飲みました。
「建築の日本展」(森美術館4.25~9.17)には、旧帝国ホテルのた大谷石の柱の一部が展示されていました。それは建造物の一部ではなく、彫刻、芸術品でした。僕たちは青春に再会しました。
2、丹下健三
1968年に電通入社に僕たちは丹下健三設計「電通築地ビル」の第1期生でした。ビルは傑作でした。
まず造形。細胞を横に縦に並べたような構成になっています。ビルは生命体として、左右に上下に、発達し成長して行くように構想されています。情報通信のネットワークを増殖させて行くイメージの具現化です。
そして発展性。電通築地ビルは「東京計画1960」という都市計画の一部として設計されています。皇居から東京湾に伸びる未来東京の都市軸、その一部の築地再開発計画のなかに電通築地ビルがあります。
さらに日本列島での東京の位置づけ。東京は名古屋から大阪へとつながる東海道メガロポリスの東の起点に位置づけられています。その東京の細胞の一部としての電通築地ビルが位置づけられています。
丹下健三の評価はすでに1964年の東京オリンピック、代々木体育館で決定づけられていました。巨大な吊り天井を持つ二つの生命体のような建造物は、東京のランドマークとして世界に評価されていました。
ただこの実現には田中角栄という政治家を忘れることができません。建築予算オーバー、設計変更を求められた丹下健三田中角栄に泣きつきます。設計変更などできない。電話を受けた田中角栄はただひと言「よっしゃ!」で、建設を実現させます。2020年東京オリンピックの新国立競技場の設計コンペの体たらくを見よ。ザハ・ハディト案はコンペに勝ちながら予算オーバーで実現していません。日本は革命ではなく滅亡を選びました。隈研吾案は、美しい。しかしそれが何の意味を持つというのでしょう。
丹下健三はその後、東京都庁新庁舎の設計コンペで勝利し(1986年)、再び時の人になります。しかしこの設計コンペの真の勝利者磯崎新です。丹下を始め各社が超高層ビルを提案した中で磯崎はただひとり100m以下の低層ビルを提案しました。上から目線の行政は終わり。磯崎は時代の寵児になりました。
「建築の日本展」では、現存しない丹下健三自邸(1953年)の巨大模型が展示されています。僕はなんどか成城の自宅の周辺をうろついたものです。境界線のない築地(ついじ)越しに建物の様子をうかがっていました。これが丹下健三の家だ。そして今回その全貌を見て、直感、これは酋長の館だ。その通り。丹下は戦後の日本をけん引したリーダーでした。丹下の登場で、歴史的決定論マルクス主義は粉砕されました。社会の運動法則などはない。人間は未来を設計する。丹下はまさに日本の青春のリーダーでした。
3、伊勢神宮
丹下健三の代々木体育館のとなりに明治神宮があります。二つの地域は何の違和感もなく共存しています。丹下作品はパンクで、アグレッシブ。しかし伝統的な何かがあります。もちろん明治神宮も同じです。米国からの旅行者ふたり案内し、明治神宮の玉砂利を歩いたとき、饒舌な彼らが黙りました。ここにはどなたかがいらっしゃる。神聖ななにかがある。
「建築の日本展」の白眉は、伊勢神宮です。ドイツ人の建築家ブルーノ・タウトは、伊勢神宮は神からの賜り物だ、と表現しました。武士の後、出家し、仏の道にあった西行は、伊勢神宮に参り、感動します。僕たちもまた、新しい青春のために、伊勢神宮にお参りします。
「なにごとのおわしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」西行(1118~1190)

「鈍感力」、「老人力」、そして「病人力」で、生き抜こう。

クリエーティブ・ビジネス塾29「健康格差」(2018.7.16)塾長・大沢達男

「鈍感力」、「老人力」、そして「病人力」で、生き抜こう。

1、健康格差
「『仕事をしていて、一戸建てに住んでいて、結婚している人』は、『無職で、集合住宅に住んでいて、結婚していない人』に比べると、骨折が6割も少ない」(『健康格差社会』を生き抜く」p.18 近藤克則 朝日新書)。
なぜそうなるのか。健康格差は社会経済的格差から生まれる。「社会疫学」は、健康の社会的決定要因に関する科学で、それを明らかにする。健康格差をなくすためには、社会環境を変えなければならない。
なるほどねえ、と思います。マルクス資本論です。労働者の貧困の原因は、社会経済のしくみに問題がある、従って革命によって社会経済を変えなければならない。
2、鈍感力、老人力、病人力
高齢化社会の議論は、人は年齢とともに衰え死んでいく自然の摂理を、無視しています。老人を認知症という病人にして大騒ぎをし、厄介者、邪魔者にしています。老人は社会の財産です。それも日本社会の文化的財産です。老人の力を見直すべきです。
1)鈍感力(『鈍感力』渡辺淳一 集英社文庫
鈍感力とは老人のしたたか力です。『鈍感力』は、平成19年(2007)に100万部のベストセラーになり、流行語になりました。鈍感力とは、自律神経の副交感神経を働かせる、恋愛力です。鈍感力は日本文芸の中心にありました。世界最古の長編小説『源氏物語』は恋愛のあれこれを描いたいわば「鈍感力文芸」です。
2)老人力(『老人力赤瀬川原平 筑摩書房
老人力は、耄碌として忌避されてきた現象に潜むとされる未知の力、です。1997年に赤瀬川原平らによって発見されました。赤瀬川らは、日本美術の美意識「わびさび」が老人力によって形づくられた、と主張します。言われるまでもなくピカソマチスより、東山魁夷平山郁夫の画の方がはるかに枯れています。日本美術は「老人力美術」です。
3)病人力
「友とするに悪き者、(中略)病なく、身強き人。」(『徒然草』 旺文社文庫 p.192)。14世紀の吉田兼好は、友達にするのによくない人に、病気知らずの健康な人をあげています。思いやり、感謝の気持ち、我慢を知らないからです。そして病人は、必ず病院のベッドの中で神仏への祈りに目覚め、祖先を思います。病人力によって、日本人は日本人になります。
3、ユマニチュード
「ユマニチュード」と呼ばれる認知症ケア技術があります。フランス人のイヴ・ジネストとロゼット・マレスコッティが、40年かかり哲学と技術体系を作り上げたものです。ユマニチュードとは「人間らしくある」という意味のフランス語です(「フランス発『奇跡の認知症ケア技術』本田美和子 『文芸春秋』7月号)。
ユマニチュードは、認知症がある人々の人権と自由を守り、ポジティブな人間関係を結ぶ、という根本的な哲学を持っています。老人と会話がほとんど成立しなくなっても、感情豊かで、文化的にも歴史的にも背景を持つ人格者ということを忘れません。
まず「見る」。同じ目の高さで、近くから、長く見つめるアイコンタクトをとります。ケアをする人は相手の瞳を見つめることはまずない。それでは相手にとって存在を認められていないのと同じです。
第2に「話す」。ゆっくりと、優しく歌うような抑揚のある調子で、前向きな語彙を用いて話します。「ありがとう」、「楽しい」、「うれしい」。言葉だけでなく、非言語的なメッセージもケアでは必要です。
第3に「触れる」。触れるという行為が無造作に行われています。触れるは攻撃を意味することもある。優しさを伝えるために、広く大きな面積で包み込むように触り、下から支えて、ゆっくり動かす必要があります。
そして第4に「立つ」。立つということは人間にとって根源的なことです。ユマニチュードでは1日20分ほどあえて立つ機会をつくります。寝たきりにならないで済むからです。ユマニチュードにより、ケアが困難な者が、受け入れてくれるようになり、「奇跡だ」、「魔法のようだ」と驚かれています。
本田美和子東京医療センター総合内科医長は、「患者」という言葉を意図的に使いません。つまり高齢者を邪魔者にしていません。高齢者の未知の力を認めています。2024年には3人に1人が65歳以上の超高齢化社会になります。そこで、健康礼賛社会と高齢者軽視社会に決別をします。
○平成「老」人権宣言「すべての老人は、耄碌し、病弱になり、そして老いて死ぬ権利を有する」

「米国は核保有国とだけは交渉する、ゆえに日本も核武装すべし。」E

クリエーティブ・ビジネス塾28「米朝会談」(2018.7.9)塾長・大沢達男

「米国は核保有国とだけは交渉する、ゆえに日本も核武装すべし。」E・トッド

1、米朝会談
2018年6月12日にシンガポールで世界史を変えるような歴史的会談がおこなわれました。米国トランプ大統領北朝鮮金正恩委員長の「北朝鮮の非核化」を巡る会談です。共同声明は以下の内容です。
1)"establish new U.S.-DPRK relations"米朝は新たな関係を構築する。
2)"build a lasting and stable peace regime on the Korean Peninsula."米朝は永続的で安定した朝鮮半島の平和体制構築に努力する。
3)"work toward complete denuclearization of the Korean Peninsula."北朝鮮朝鮮半島の完全な非核化に取り組む。
4)"recovering POW/MIA remains"北朝鮮は(朝鮮戦争の米国人)捕虜や行方不明の兵士の遺体収容をする。
世界が注目してきたCVID(complete,verifiable,irreversible,dismantlement=完全で検証可能かつ不可逆的な非核化」)は実現しませんでした(日経6/13)。
2、核保有
フランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドは会談が始まる前から、「米朝首脳会談は茶番劇にしかならない」(「日本は核を持つべきだ」エマニュエル・トッド文芸春秋2018.7 p.99)、と予言していました。
なぜなのか。第1。米国は敗北を続け、病的なナショナリズムを発現しています。
米国は欧州でドイツに覇権を奪われて、中東でも負けています。シリアの軍事情勢をコントロールしているのは、ロシアです。アジアでも、中国の東シナ海での動きを止めることが、できませんでした。
米国は、共和党(高等教育を受けていない白人)と民主党(高学歴の白人とヒスパニックと黒人)に分裂しています。ヒラリー・クリントンの「帝国としてのアメリカ」、「グローバリズムアメリカ」、「自由貿易アメリカ」とトランプの「孤立主義アメリカ」、「アメリカ・ファースト」、「保護貿易アメリカ」のふたりの主張があります。エリート主義(エスタブリッシュメント)とポピュリズム(トランプ支持層)の対立です。
しかし「二つのアメリカ」は、恣意的で冒険的な外交政策で、分裂を解消します。
第2。その代表的な例が、「イラン核合意破棄」です。米国は「二つのアメリカ」がひとつになって、最悪の選択をしました。イランは核開発活動を制限し、米英仏独中露およびEUは金融制裁を解除する。米国は2015年(オバマ政権)の合意を破棄し、最高レベルの経済制裁を科すことにしました。
第3。米国は、このことにより和平交渉をしたいなら核兵器を持て、のメッセージを世界に向けて発信しました。核兵器を諦めたイランには攻撃的に出て、核兵器を持った北朝鮮とは交渉する。米国は核拡散を奨励する外交を展開しています。
米朝会談は茶番に終わる。つまり、核兵器のおかげで米朝のテーブルにつくことができた北朝鮮が、核兵器を廃絶することなどあり得ないからです。
3、核の傘
エマニュエル・トッドは議論を進めます。
まず、「核の傘」は幻想である。まず核は例外的な兵器で使用するリスクは極大。核を自国防衛「以外」に使うことはない。米国が自国の核を使って日本を護ることは「絶対に」あり得ない。中国や北朝鮮は、米本土を攻撃できる力を持っているからです。「米国の核の傘」はフィクションで、実は存在しません。
だから、日本は核を持つべきである。中国と北朝鮮。核の不均衡は国際関係の不安定にしている。ヒロシマナガサキの悲劇は、世界で唯一米国だけが核保有国であったとき起こっている。
さらに、核とは戦争の終わり。戦争を不可能にするものである。相互破壊の戦争はできない。
その通りです。反論できません。しかし、日本で核武装すべきの主張をすることは、それ以上に難しい。
           ***
核問題を離れ、エマニュエル・トッドは貴重な提言をします。国家が思い切った少子化対策をすること。これが安全保障政策以上に日本の存亡に直結する最優先課題である。これは実行可能です。
いまのままでは日本民族は30世紀の滅びます。私は神々と祖先を大切にする日本人として生きます。

W・アレン(82) vs R・ポランスキー(85)。

クリエーティブ・ビジネス塾27「アレンvsポランスキー」(2018.7.2)塾長・大沢達男

W・アレン(82) vs R・ポランスキー(85)。

映画『男と女の観覧車』(W・アレン、以下「観覧車」と略す)と映画『告白小説、その結末』(R・ポランスキー、以下「告白小説」と略す)の2作が東京で同時期に上映されています。W・アレン(82歳)、R・ポランスキー(85歳)、両監督の活躍は、高齢化社会のお手本です。さて、どちらの監督が勝っているでしょうか。映画芸術に勝ち負けなどありませんが。下衆の興味はやはり勝負です。
1、ストーリー
「観覧車」は、恋物語です。ニューヨーク近郊のコニーアイランド遊園地の食堂で働く主人公のジニーは再婚の夫と暮らしています。ある日、海水浴場の若い監視員に恋をし、デートを重ねます。そこに夫の娘が父を訪ねてやってきます。娘はギャングと結婚し別れていましたが、ギャングの手下に追われる身でした。そして娘は、こともあろうに、ジニーが付き合っている若い監視員を、そんなこととも知らずに、好きになってしまいます。三角関係。しかしその果ては、誰にもわかっています。若いピチピチした女と、パツイチ女・・・。
「告白小説」は、心理サスペンスドラマです。
私小説の出版で成功した小説家デルフィーヌの物語です。ベストセラー作家のサイン会場に美しい女性ファン「エル」(彼女)が現れます。エルは初対面にも関わらずすぐに小説家と仲良しなります。スランプの小説家にアドバイスを与え気に入られ、秘書の様な役割を果たすようになり、小説家と同居するようになります。しかし「エル」はくせ者でした。小説家のパソコンを使い、小説家の友人に偽メールを送るようになります。そして小説家が不注意で足を骨折すると、別荘に連れ込み、殺害を計画します。
×W・アレン vs ○R・ポランスキー
ストーリーで、R・ポランスキーの勝ちです。「観覧車」はW・アレンの創作、「告白小説」は現代のヒット小説が原作。酒と観覧車の映画と、薬物とパソコンの映画、リアリティが違いすぎます。
2、キャリア
W・アレン(1935.12.1~)は、米国の映画監督、俳優、脚本家、小説家、クラリネット奏者です。アカデミー賞に史上最多24回ノミネートされています。『アニー・ホール』(1977年)で、脚本賞と監督賞を受けています。ユダヤ人です。監督、脚本、主演の三役をこなして成功することができたのは、北野武、チャールス・チャップリンオーソン・ウェルズ、そしてウディ・アレンの4人だけだといわれています。
R・ポランスキー(1933.8.18~)は、ポーランド出身ですが、ポーランドとフランスの二重国籍を持っています。『戦場のピアニスト』(2002年)でアカデミー賞監督賞カンヌ国際映画祭パルム・ドール賞、『袋小路』(1966年)でヴェネチア国際映画祭金獅子賞、ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞。デビューは『水の中のナイフ』(1962年)です。
×W・アレン vs ○R・ポランスキー
共に超一流の戦績を誇っていますが、R・ポランスキーの国際映画祭での存在感は格が違います。
3、シネマトグラフィー
「観覧車」では1950年代のコニーアイランドが再現されています。
1)何の違和感もなく、50年代に連れて行ってくれる撮影技術と特撮技術は素晴らしい。ドラマも完璧です。再婚相手の夫には問題児の連れ子がいます。それが問題児です。いいプロットです。若い監視員もいい。ギャングに追われている若い娘もいい。そして妙齢の主人公ジニーの夢と現実もいい。
2)ドラマの筋立てはすべてOK!ジグソーパズルのピースはすべて収まるべき所に収まっています。
3)さらに音楽もいい。50年代のベストヒットが流れてきます。もちろん50年代のファンションも趣味がいい。破綻がない。完璧なアメリカ映画。それ故に新しい映画の発明はありません。
「告白小説」の主人公は小説家です。
1)何をどう書くか。なぜ書くか。なぜ書けないか。何のため生きるのか。実存的な問いがあります。
2)そしてサスペンスです。生きるか死ぬか。見るものは絶えず生存の危機にされされます。観念で映画を見ることは許されません。生存本能が呼びされ、本能が総動員されます。巧みな映像のモンタージュにより、観客は生き残るために、なにをしなければならないか、決断を求められます。
3)映像がシャープ。キャメラがいい。オープニングがいい。エンディングがいい。
×W・アレン vs ○R・ポランスキー
ふたりともいい映画を作りました。ただどちらが映画を発明しているか、となるとR・ポランスキーです。
80歳代のふたりの映画人に乾杯!生涯現役、生涯新人です。