クリエーティブ・ビジネス塾31「グッバイ・ゴダール」(2018.7.30)塾長・大沢達男
『グッバイ・ゴダール』ではない。『ゴダール、わが愛』がいい。
1、ステイシー・マーチィン
37歳の映画監督が映画に出演した19歳の女優に恋をした。そしてふたりは結婚し、愛の生活を始める。舞台は1968年のパリ、監督の名前はジャン・リュック・ゴダール、女優の名前はアンヌ・ヴィアゼムスキー。彼女の自伝的な小説『ゴダール、わが愛』を原作にして、映画『グッパイ・ゴダール』が作られました。
パリのアパート暮らし、若い彼女はショーツ一枚でベッドから起き上がり、全裸のまま胸に枕を抱え、朝食のテーブルにつき、バケットをひきちぎり、口に持って行きます。監督の彼はきちんとワイシャツを着て新聞を読んでいました。「モーツアルトは35歳で死んだ。37歳になってまだ生きている僕はクソだ」。
彼女の身体はきれいです(演じたのはステイシー・マーティン)。お尻の位置が高い。そして乳は巨乳ではない、ストイックで手のひらにちょうど収まるくらい。映画は全裸の彼女を姿を惜しみなく映してくれます。印象的なのはベッドの上の全裸の彼女が上半身だけ映り、悶(もだ)えているシーンです。彼女の全身を映すようになると、なんとシーツをかぶった監督が女優の下半身にむしゃぶりついています。いーな。見ていてくやしくなります。僕だって若い彼女に、映画や芸術を語り、奔放に愛し合えたはずだ。
ふたりはパリの町を歩き回ります。カフェに行き、食事をし、学生集会に出て、デモに参加し、警察官と対決する。そして、監督と女優はケンカをし、別れることになる。そして映画も終わります。
2、1968年
映画が舞台にしたのは、1968年。とんでもない年でした。パリの五月革命がありました。パリ大学のソルボンヌに警官隊が導入され学生が逮捕され、ソルボンヌは閉鎖されます。学生はカルチェラタンを解放区にすると宣言。呼応した教職員、労働者を巻き込み、フランス全土のゼネストに発展します。そしてゴダールたちはカンヌ映画祭粉砕を叫び、映画祭を開催不可能に追い込みます。
革命が起きたのはパリ・フランスだけではありません。米国では、ベトナム反戦運動、マーチン・ルーサー・キングが暗殺され、イタリア、西ドイツ、日本でも学生たちが反権力の運動を起こしました。中国では文化大革命がありました。安田講堂の機動隊と全共闘が対決があったのは、1969年の1月でした。
1968年はなぜこんな年になったのか。1968年で世界はどう変わったのか。だれも説明できません。
世界は社会主義に向かったのか。ブルジョワジーは粉砕されたのか。ノン!ノン!
答は、戦後生まれのベビーブーマーが青春を迎えたから。この人口学的な説明が、いまでは、いちばん妥当性があり、説得力があります。映画が描き、ゴダールが生きたのは、まさにこの時代でした。
3、アンヌ・ヴィアゼムスキー
監督のジャン・リュック・ゴダールと女優のアンヌ・ヴィアゼムスキーが出会った映画『中国女』(1967)はどんな映画だったのでしょうか。
映画のテーマはフランスの若者たちの「毛沢東語録」勉強会です。
ゴダールは映画の革命を起こし、映画を超えた「メタ映画」を作ろうとしています。ドラマは否定され、カメラは動きません。人物のアジテーション、朗読、演説、討論が、繰り返されます。いま中国で起こっている文化大革命、そして社会主義に人類の未来があるか。
そして結論は簡単。革命とはテロ。映画も勉強会も、自殺と暗殺の銃声で終わります。青春のバカンスの終わり、学生の夏休みの終わりです。
ゴダールは映画のテロリストです。絶えず映画を壊そうとしています。うんざりするほど。しかし趣味がいいから、何とも文句のつけようがない。画像と音のマッチング、映像がいい。音楽の使い方、音の使い方が絶妙です。北野武監督と共通します。趣味の悪い有名監督は、名前をあげませんが、いくらでもいます。
さて問題は、『中国女』に出演し、ゴダールと結婚したアンヌ・ヴィアゼムスキー(1947~2017)です。母方の祖父がノーベル賞作家のフランソワ・モーリャックというロシア人です。アンヌは19歳のゴダールに出会い、恋に落ちています。『グッバイ・ゴダール』のステイシーに負けず、『中国女』のアンヌもいい。アンヌはカメラにむかって女を売っています、つまりカメラの後ろにいる彼氏、監督のゴダールを挑発しています。文化大革命や社会主義なんて関係ありません。
結論。ステイシーやアンヌのような19歳をナンパしたゴダールがくやしい。ただそれだけです。だから芸術をやりたい、芸術家は何をしても許される。もちろん才能があれば、の話ですが。