コンテンツ・ビジネス塾「マクドナルド」(2010-19) 5/25塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、閉店
お気に入りのレストランはどこですか。2009年の飲食業の売り上げ高ランキングが発表されました。1位日本マクドナルド 2位すかいらーく 3位ゼンショー(すき家)。この飲食業界に驚きのニュースが報じられました。2年連続チャンピオンの日本マクドナルドが、2010年中に全店舗の1割に相当する433店舗を閉鎖する、と発表したからです。儲からない店舗を閉鎖するのではありません。新しい出発のためにです。1)厨房を拡大できるスペースがあるか。2)家族や子供向けの店舗としてふさわしい立地にあるか。3)すべてのメニューを提供できる設備をもっているか。閉鎖の対象には黒字のの店舗が100店以上も含まれています。
そのためマクドナルドは、新型店舗の展開も始めています。1)100円メニューはなし。既存店よりメニューの価格は10~50円高く設定。2)席をゆったり、ソファ席も、そして全席禁煙。欧州マクドナルドで新店舗を手掛けたデザイナーを採用。3)ビジネスパースン、家族向けなどの5種類の店舗デザインを用意。「おしゃれマック」です(『日経ビジネス』「勝つための撤退」2010.4.26)。
2、ハンバーガー
1)ハンバーグ・ステーキ・・・ハンバーグの語源はドイツの都市ハンブルグ。ハンブルグでよく食べられていた挽肉状牛肉をハンバーグ・ステーキと言うようになりました。もちろん命名したのは米国の米国人、1850年代のことです。当時の米国人は豚肉を食べていましたが、ハンバーグ・ステーキの流行により牛肉を食べるようになります(『ハンバーガーの世紀』ジョシュ・オザースキー 市川恵理訳 河出書房新社)。
2)ホワイト・キャッスル・・・現在のハンバーガーの先祖を作ったのは、1926年のレストラン、ホワイト・キャッスルです。平に押しつぶしたハンバーグをバンズで挟みました(ただし四角)。レストランで30分待つ代わりに、忙しく働く米国人は即座に熱々のハンバーガーを食べられるようになります。
3)マクドナルド兄弟・・・マクドナルド兄弟はレストラン事業で成功していましたが、従業員を解雇し、ナイフ、フォーク、スプーンを捨て、店を閉めます(1949年)。そしてクルマ産業のような流れ作業にしたハンバーガーショップをオープンします。○ハンバーガー中心の「シンプル・メニュー」、○食器のいらない「フィンガー・フード」、○客を働かせる「セルフ・サービス」。駐車場に入ろうとするクルマが長蛇の列を作り、利益を生む機械が誕生します。そしてミキサーのセールスマンだったレイ・クロックがマクドナルドの店を見て驚き、やがてマクドナルドの経営権を手に入れます(1961年)。
4)レイ・クロック・・・レイはピアノ弾きでしたから仕事もトリオ。総務ジューン・マルティーノ、財務ハリー・ソナボーン、店舗管理レイ・クロック。そして仕事にはジャズのように「規律(マニュアル)と創造(アドリブ)」がありました。ビッグマック、エッグマフィン、ロナルド・マクドナルド(日本はドナルド)、これらはみなフランチャイズ加盟者のアイディアです。
3、日本マクドナルド
「日本人が背が低く、黄色い肌をしているのは、二千年間魚と米しか食べてこなかったからだ。マクドナルドのハンバーガーとポテトを千年食べ続ければ、背は高くなり、肌は白くなり、金髪になるだろう」(藤田田=ふじたでん、日本マクドナルド創業者。前掲『ハンバーガーの世紀』)。
現在からすると問題発言ですが、藤田の意気込みは米国人を驚かせました。1971年藤田は米国の反対を押し切り、クルマで行く郊外店ではなく、銀座の中央通り三越デパートに日本マクドナルドの1号店をオープンしました。藤田は成功し、ソフトバンクの孫正義やユニクロの柳内正が尊敬する、伝説の経営者になります。
現在の日本マクドナルドを率いているのは、コンピューターのマック(アップル社長)を売っていた原田永幸です。藤田の時代とは違い世の中は、肉食から魚食へ、牛乳から豆乳へ、脂肪から野菜へと動いています。しかしマックの精神は変わりません。マックは働くものたちの食べ物です。マックには「規律と創造」があります。マックはアイディアで新しい時代を切り開いてきました。
だから、僕たちは「おしゃれマック」で、新しいクリエイティブの企画会議を開きます。