ドラッカー、それは保守とは何かを教えてくれます。

コンテンツ・ビジネス塾「ドラッカー5」(2010-37) 10/11塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、マルクス主義
1960年代、70年代の日本の大学の経済学部では、近代経済学と並んでマルクス経済学が大きな位置を占め、講義が行われていました。当時のマルクス主義は経済学にとどまらず、日本の思想、政治、文化に大きな影響を与えていました。マルクス主義を学び自由と平等を語ることは青春そのものでした。
「1914年以前は、マルクス主義に完全に魅せられていた知的エリートたちも1918年以降すっかり足を洗い、新しい指導者、新しい思想に群がっていた」(『経済人の終わり』p.272 ピーター・F・ドラッカー ダイアモンド社)。不肖にも21世紀のなってからこのドラッカーの言葉に、始めて触れた私たちは唖然とし、俺たちの青春を返せ、と絶叫を繰り返しています。クラブ活動の部室で史的唯物論を語り、喫茶店で資本主義から社会主義への歴史的必然を語り、下宿でプロレタリア独裁を語ったことは、すべて時代遅れで見当違いな言葉の遊びでしかなかったのです。
ドラッカーのよればマルクス主義は今から100年近く前に思想としての使命を終えていました。そればかりではありません。ドラッカーは、ヒトラーファシズム全体主義スターリンマルクス社会主義について「この二つの政権は理念的にも社会的にも似てるがゆえに手を結ぶ」(前掲書 p.228)と恐るべき分析をします。そして歴史はその通りに歩みます。マルクス主義は、貧富の差をなくし人間疎外を克服し自由の王国を築く思想ではなく、不平等を生み出し思想を取り締まり軍拡と戦争を進める悪魔の理論であることが、すでに証明されていたのです。
2、リベラリズム
ドラッカーは21世紀の私たちにも警告を発します。それは現在の主流であるリベラリズム自由主義進歩主義)対してです。理性的なリベラルはファシズム全体主義に発展せざるを得ない、という恐ろしい指摘をします。
1)「あるものが絶対真理を有するとするなら(中略)絶対真理に対して自由はあり得ない」(『産業人の未来』p.141 ピーター・F・ドラッカー ダイアモンド社)理性主義のリベラルの本質は自らを間違いのない絶対理性とするところにあります。
2)「(理性主義者は)理論について過激、行動では遅疑逡巡、反対するときは強硬、権力を握れば無力、机上においては正しく、政治においては無能である」(『産業人の未来』p.191)。ドラッカーはあたかも現在の日本のリベラリストについて語っているようではありませんか。
3)「理性主義者やリベラルに善意や良心がないということではない(中略)ファッシズム全体主義の最初の犠牲になるのは、決まって彼ら理性主義のリベラルである」(『産業人の未来』p.185)ここまで言われると、私たちの未来を見るようで、背筋がゾクゾクしてきます。
そしてドラッカーは近代史の書き換えを要求します。自由のルーツは啓蒙思想フランス革命でない。フランス人は自由に悪影響しか与えていない(『産業人の未来』p.180)。そして理想をアメリカの独立とイギリスの憲法にあるとし「保守主義」を提案します。「正統保守主義とは、明日のために、すでに存在するもの基盤とし、すでに知られている方法を使い、(中略)具体的な問題を解決していくという原理である」(前掲書p.271~p.272)。保守主義は壮大なイデオロギーでも社会への特効薬ではない。現在の問題を解決し、結果を積み重ねていく、という地道な生活態度です。
3、経済人
ドラッカーの新しさと生涯を貫くテーマは、イギリスのチャーチルが絶賛しイギリス軍兵士に配布した、処女作『経済人の終わり』(1939年発表)の「経済人」にあります。経済人とは、人間を経済的動物(エコノミック・アニマル)とし、経済的自由が実現すれば自由と平等がもたれされる、という考え方です。「いかなる社会保障といえども社会の構成員に対して社会的な位置と役割を与えることはできない」(『産業人の未来』p.106)。ドラッカーは、まず経済人を卒業し産業人へ、さらにより普遍的に組織人へ、と問題を展開させます。そしてそれは経済だけを頼りにしない自由と平等への長い戦いとなり、壮大な著作となり展開されるようになります。