渡辺淳一先生も白河法皇には、負けた!負けた!

コンテンツ・ビジネス塾「平安の恋愛」(2011-41) 10/25塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、白河法皇
白河法皇(1053~1129)は日本の歴史上まれな専制君主として知られています。まず白河「天皇」として1072年〜1086年まで君臨、そして退位、「上皇」(96年に出家し「法皇」)として堀河天皇鳥羽天皇崇徳天皇の3代43年にわたり院政をしき、実質の権力者として行動しました。天皇時代を含めると57年間、日本の支配者であったことになります。
うつつとも夢ともいまだ分きかねてただたしかなる君のやわ肌(本当か夢かわからないけど、僕が没頭した君のいたいけなからだをいまも忘れられないんだ。白河法皇=『天上紅蓮』から引用)
渡辺淳一の小説『天上紅蓮』(文芸春秋)は、歴史的な事実に基づいた白河法皇恋物語です。
相手の女は、待賢門院璋子(たいけんもんいんたまこ)=藤原璋子。雅(おさ)なさとと成熟が入り交じった、幼気(いたいけ)さと大人の気配と、ふたつ兼ね備えた女体(前掲P.30)の持ち主でした。法皇が璋子を翻弄(ほんろう)したのか、いや逆に魔性の少女が史上最強の専制君主を操ったのか。小説のタイトル『天上紅蓮』(てんじょうぐれん)とは、陶酔の果ての天国は、真っ赤な炎が燃える地獄でもある、というような意味です。
2、恋愛と性愛
1)不道徳の恋
男は、女を5才の頃から知っていました。妻の養女でした。男は女の添い寝をしてやったり、女は足を男の懐(ふところ)に入れたまま寝てしまったりしていました。しかし二人は、男62才女14才の時に、男女の関係になります。男は女の「可憐と成熟」に感動します。
2)禁断の愛
男は64才の時に、16才になった女を14才の若者(鳥羽天皇)と結婚させる、ことにします。しかしこれは男と女の関係の終わりを意味しませんでした。結婚後も男は女と交際を続けました。そして男は自分の子を女に産ませ、次の天皇に即位させることを計画します。結婚はしたものの女は夫との性交渉はせずに、男とだけ性関係を続けます。夫は不満ではありませんでした。なぜなら、女は男直伝の技術で夫を喜ばすことができたからです。そして男は女に自分の子を天皇の子(崇徳天皇)として生ませることに成功します。
3)悦楽の性
男は死ぬまで女を愛し続けました。70才を過ぎると直接的な性的交渉は難しくなりますが、それでも女を愛し続け、女も男を愛し続けました。女は快楽の天上に導かれ、男は77才でこの世を去ります。女は夫である天皇とのごくふつうの生活に戻ります。
4)みだらな情欲
白河法皇の性の伝説はもうひとつ大きな物語を持っていました。男色(同性愛)です。さすがの渡辺淳一もここまでは筆が及びませんでした。白河法皇平清盛の父親でもあります。妊娠させた女を同性愛仲間の平忠盛に娶(め)らせたのです(『平安の春』 角田文衛 講談社学術文庫)。
3、新古今集
なぜ平安なのか。平安のあと日本は、鎌倉・江戸と700年以上も武士の世の中になります。その結果、下らない道徳や倫理が人々を縛り付ける、男性中心男尊女卑の社会が続くことになります。『万葉集』の時代から平安まで続いた、自由でおおらかな恋愛は抑圧さます。(「平安の恋愛 平成の色恋」の渡辺淳一 『文芸春秋』10月号 P.201)。平安の時代は、鎌倉幕府の成立で終わる(1192)、と教科書は教えます。しかし後鳥羽院(1180~1239)は「承久の乱」(1221)で、武家政治に最後の抵抗をしています。この風雅の反抗は、無粋で野蛮な東男(あずまおとこ)の前に破れ、後鳥羽院島流しで、終わります。こうして平安は終わりますが、後鳥羽院は不滅の恋歌がある『新古今集』を残します。白河法皇から100年、奔放な恋愛は詩歌となって、永遠の自由を獲得しています。
白妙のそでのわかれに露おちて身にしむ色のあきかぜぞ吹く(別れの朝、すれ違うふたりのシャツに涙が落ちたね。紅に染まったその水滴の上を通り過ぎた風は冷たく、いまはもう秋)藤原定家