クリエーティブ・ビジネス塾46「椿姫」(2017.11.13)塾長・大沢達男
「ソフィア・コッポラの『椿姫』にブラボー!」
1、第1幕(ヴィオレッタ家のサロン)
オペラ『椿姫』の原題は”La Traviata"(道を踏み外した女)です。なぜそうなのか。ジュゼッペ・ヴェルディ(1813~1901)が小説と戯曲の『椿の花をつけた淑女』(デュマ・フィス=小デュマ)を原作にしたからです。
物語の舞台は1850年代のパリとその郊外。そこで繰り広げられる、まれに見る美人の高級娼婦ヴィオレッタ・ヴァレリー(ソプラノ)と田舎の旧家のお坊ちゃんアルフレード・ジェルモンの、悲恋物語です。
ヴィオレッタは実在の人物。本名アルフォンシーヌ・プレシ(1824~1847)、ノルマンディーの寒村で行商人の娘として生まれ、10歳で母を失い、酒乱の父にパリに出される。15歳で安レストランの亭主の囲いものになる。間もなく公爵家の子息に見初められ、パリでの屈指の高級娼婦に。天使のような美貌と気品で、17歳にして裏社交界のスターに、マンション、馬車、パーティー、贅沢三昧の生活。しかし生まれつきの結核で、わずか23歳でこの世を去る。
高級ブランドのエルメスの母体が馬具商として誕生したのは1837年、ルイ・ヴィトンが旅行鞄屋として創業したのが1854年です。"La Traviata"「道を踏み外した女」を愛したのは、まず彼女をモデルに小説家を書いたデュマ・フィス(1824~1895)本人、そしてピアニストのフランツ・リスト(1811~1886)です。
2、第2幕(田舎の家、フローラの館)
映画『椿姫』は、ローマ歌劇場でソフィアが演出した”La Traviata"をソフィアが映画監督として撮ったものです。
ソフィア・コッポラ(1971~)は一番注目しなければならない監督のひとりです。2003年『ロストイントランスレーション』でアカデミー賞脚本賞、2010年『SOMEWHERE』でヴェネツィア国際映画祭金獅子賞、2017年『The Beguiled』でカンヌ国際映画祭監督賞、出す映画すべてがすべて国際的な注目を集めています。
『椿姫』は衣裳をヴァレンティノ・ガラヴァーニ(1932~)が担当することで、見たい映画ではなく見なくてはならない映画なりました。映画はローマ歌劇場に集まってきた客の表情から始まります。
黒のタキシード、黒の蝶ネクタイ。レディはそれぞれのカクテルドレスに身を包み現れます。
オーケストラボックスに指揮者がやって来て、オペラが始まります。確かなカメラワークとライティング、オペラの進行を邪魔しないように、どうして撮ったのかわかりません。劇場で観るより、ずっといい、感じすらします。
しかし残念ながらヴィオレッタのフランチェスカ・ドットはマリア・カラスではありません。ただ二幕の赤のドレスはいいです。衣裳に下にどんな肢体が我を待っているのか。そして二幕アルフレードの父ジェルモンの歌がいいです。
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プロヴァンスの海と大地を、誰がお前の心から消し去ったのだ?/故郷の輝く太陽から、どのような運命がお前を奪ったのだ?/おお、苦しみあっても思い出すがよい、そこではお前の喜びが輝いていたことを。/そして、そこでだけ、平和はお前の上で変わることなく輝きうるのだということを(思い出すがよい)。/神が私をお導きくださったのだ。
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(『椿姫』坂本鉄男訳 音楽の友社)道を踏み外した女に夢中になっている息子を父が憂いています。
3、第3幕(ヴィオレッタの寝室)
『椿姫』を観ていて不思議な感覚に捕われます。なんとなく、なつかしい。いくつかのアリアを聞いたことがある・・・そう、幼いころ、母がうたっていたからです。大正年間の東京の下町は、オペラブームでした。「金龍館」での「浅草オペラ」です。1922年(大正11)には根岸歌劇団が『椿姫』を初演しています。
日本のオペラのスーパースター(もちろん当時はこんな言葉はありませんでしたが)は、「我等のテナー」の「藤原義江」です。藤原はスコットランド人と日本の芸者の間に生まれた二世です。そしてヴィオレッタのように、あるいはアルフレードのように生きました。莫大な金を浪費し、凄まじい女性遍歴をしました。
まず1918年に根岸歌劇団に入り、年上のプリマドンナ安藤文子に溺愛されます。そして結婚。
1920年、父親リードの巨額の遺産を元手に、ミラノに留学。ロンドンでは当時外交官だった吉田茂に出会っています。ヨーロッパでの女性関係の醜聞から逃れるためにニューヨークへ。1923年帰国。
1930年医師の妻宮下アキと大恋愛の末に結婚します。藤原あきです。1930年『椿姫』にアルフレード役で、山田耕筰指揮の本格的なオペラ出演を果たします。
1931年欧州へ。イタリアの地方小歌劇場を転々。パリではオペラ=コミック座のオーディションに合格。32年帰国。
1939年藤原歌劇団の旗揚げ公演を歌舞伎座で開く。『カルメン』、『椿姫』、『リゴレット』。
1946年帝国劇場の『椿姫』で舞台公演再開。1957年激しい女性遍歴に愛想をつかされ、藤原あきと離婚。
1964年東宝ミュージカル『ノーストリングス』を最後に舞台から引退。晩年は、脳血栓症、パーキンソン病を患い。帝国ホテル社長犬丸徹三の厚意で帝国ホテルに住み、レストランで食事をする生活を送ります。
1976年77歳で死去(略歴についてはウィキパディアを参考にしました)。
藤原義江はまさしく快楽ために「道を踏み外した男」でした。ブラボー!
そして「道を踏み外した女」に感情移入し、美しく描いたソフィア・コッポラに、ブラボー!