そうさ、僕らは、ビート族さ。

コンテンツ・ビジネス塾「ビートニク(beatnik)」(2011-44) 11/9塾長・大沢達男
1)1週間分の日経が、3分間で読めます。2)営業での話題に困りません。3)学生のみなさんは、就活の武器になります。4)毎週ひとつのキーワードで、知らず知らず実力がつきます。5)ご意見とご質問を歓迎します。

1、リード大学
スティーブ・ジョブズは1972年17才のときに、オレゴン州ポートランドにあるリード大学に入学します。すぐに退学しますが、大学自体にはしばらく通い続けました。リード大学は、ビートニク(ビート族)の養成所のような学校でした。「ターンオン(麻薬を吸って)、チューンイン(意識を解放し)、ドロップアウト(社会に背を向けよ)」(『スティーブ・ジョブズ1』(P.72 ウォルター・アイザックリン 講談社)が、先輩からの教えでした。リード大学の70年代の中退率は3分の1を超えていました。スティーブも退学します。そしてビートニクとしての青春を送ることになります。
ビートニク(beatnik, beat generation)とは何か。その思想の特徴として考えられるのは、1)文明批判と自然環境の重視、2)先住民と東洋文化の発見、3)性のエネルギーの解放、です。
ビートニクの教祖といえる、3人の詩人、小説家がいます。ゲーリー・スナイダーアレン・ギンズバーグジャック・ケルアックです。そのうちのひとり、ゲーリー・スナイダーが10/29に、東京新宿明治安田生命ホールで、日本の詩人谷川俊太郎とポエトリー・リーディング(詩の朗読会)を開きました。ゲーリーは、なんとジョブズの先輩、リード大学出身。1930年生まれですから81才、ジョブズの二世代前の人ですが、ゲーリーを手がかりにビートニクとは何かを考えてみます。
2、ゲーリー・スナイダー
1)生きとし生けるもののために。「ぼくは忠誠を誓う 亀の島の土に そしてそこに住む生き物たちに 太陽の下 多様性にあふれ すべてのものが喜ばしい相互浸透を生きる 一つの生態系」
(『斧の柄』より。注:「亀の島」とは北米大陸
原典は、米国の公立学校や政府の式典で唱和される「国家への忠誠の誓い」(The Pledge of Allegiance)です。「私は忠誠を誓う アメリカ合衆国の国旗とそれが象徴する共和国に 神の下にある 不可分の すべての人間に自由と公平を与える 一つの国」
(『場所を生きる ゲーリー・スナイダーの世界』P.174~P.175 山里勝己 山と渓谷社
2)この土地で起こったこと。「空軍のジェット機が北東に向かう、轟音を立て、いつも夜明けに  あのひとたちは誰なの、と息子たちがたずねる  いつかわかるさ いかに生きるべきかを だれがそれを知っているかを」(『亀の島』より。前掲P.195)
3)四弘誓願(しぐせいがん)の英訳
「Being are numberless. I vow to enlighten them. Obstacles are countless. I vow to cut them down.Dharma gates are limitless. I vow to master them. The Buddha-way is endless. I vow to follow through.」
衆生無辺誓願度(すべての生きとし生けるものを救いたい) 煩悩無数誓願断(煩悩はまだいっぱいあるそれを断ちたい)法門無尽誓願学(学問はむすうにあるがそれをすべて学びたい)仏道無上誓願成(この上もない仏の悟りをなしとげたい)」
(四弘誓願=あらゆる菩薩の共通の願い。Dharma=戒律、仏陀の教え。) 
3、シェラネバダ
いまから44年の1967年にゲーリーは、新宿の安田生命ホールで、詩の朗読会をやっています。
そのとき会場には、「部族」、日本版のビートニク「ふうてん」がいました。2011年、明治安田生命ホールに集まった人々も、「平成のふうてん」でした。
ステージの上の、ゲーリー谷川俊太郎の対談で、谷川がゲーリーに話しかけました。
「1971年に、シェラネバダの森の中の、ゲーリーの家にお邪魔したとき、みなさん、すっぽんぽんで、いましたよね。ゲーリー!あれはなんだったんですか(笑い)」
ゲーリーの家は、先住民、日本の農家そして米国の建築様式が、ミックスされ設計された家。ゲーリーは、自宅まで、町や通りの名前ではなく、自然の特徴だけで案内できなければ、と言います。
ビートニクは、風に吹かれ、水と遊び、大地ともに生きています。
さて、亡くなったスティーブ・ジョブズの、ビートニクとしての夢は、実現したのでしょうか。