クリエーティブ・ビジネス塾16「マクドナルドの快進撃」(2012.5.9)塾長・大沢達男
1)1週間の出来事から気になる話題を取り上げました。2)新しい仕事へのヒントがあります。3)就活の武器になります。4)知らず知らずに創る力が生まれます。5)ご意見とご質問を歓迎します。
1、最高の売上高
日本のマクドナルドが8年連続して売上高をプラスにしました。しかも2011年12月の全店売上高は518億9400万円で創業以来の月間売上高最高記録を達成しています
これは恐るべき偉業です。なぜなら日本の総人口は2011年に最大の25.9万人の減少をしている(総人口1億2779万9千人、自然減過去最大18万に、外国人5万1千人国外転出、福島県は過去最大1.93%減。日経4/18)。しかも日本経済は停滞の20年といわれ、米国への輸出で中国に負け、韓国にスマホで負け、すべてで元気がないからです。
日本マクドナルドを率いているのは、原田泳幸代表取締役会長兼社長兼CEOです。
原田はかつてアップルコンピュージャパン社長でした。パソコンの「マック」からハンバーガーの「マック」へ転身した話題の経営者です。
2、ハンバーガー
1850年代・・・米国人が、ドイツの都市ハンブルグで食べられていた挽肉状牛肉をハンバーグ・ステーキと名づけ、食べ始めます。米国人は豚肉から牛肉に食習慣を変えます。
1920年代・・・ハンバーガーの先祖を作ったのはレストランのホワイト・キャッスル。たいらに押しつぶしたハンバーグを四角いバンズ(パン)ではさみました。働き者のアメリカ人はレストランで30分も待たないで、おなかが空いたらすぐに熱々のハンバーガーを食べられるようになります(『ハンバーガーの世紀』P.40 ジョッシュ・オザースキー 市川恵理訳 河出書房新社)。
1950年代・・・マクドナルド兄弟が、ナイフとフォークとスプーンのいらない、クルマで買いに行け、クルマの中でも食べらる「ファストフード」のレストランを始めます。「シンプル・メニュー」でハンバーガーだけ、「フィンガー・フード」で食器がいらない、「セルフサービス」で客を働かせる、マクドナルドのハンバーガーが誕生します。
1960年代・・・ミキサーのセールスマン、レイ・クロックがマクドナルドの経営権を買い取ります。マクドナルドの快進撃が米国で始まり、世界に広がります。
1970年代・・・藤田田(ふじたでん)が1971年に、銀座中央通り三越デパート1階に日本マクドナルドの1号店をオープンさせます。郊外店ではなく、都会のど真ん中での出店を成功させます。
3、新しい挑戦
新しい商品「Big America」・・・原田は、マクドナルドらしさとはアメリカらしさである、と言い切ります。「オーガニックでヘルシーなメニューをそろえてほしい」の声には答えない(『マクドナルドの経済学」P.49 原田泳幸×伊藤元重 PHP研究所)。お客さまの声に迎合しないのです。ビッグアメリカはそのシンボルです。2011年には「テキサス2バーガー」、「アイダホバーガー」、「マイアミバーガー」、「マンハッタンバーガー」。そして2012年には、「グランドキャニオンバーガー」、「ラスベガスバーガー」、「ブローウェイバーガー」、「ビバリーヒルズバーガー」と米国を旅するように巡りました。
新しい流通「マックデリバリー」・・・原田は、コンビニもマックの競争相手だと言います(前掲P.29)。外食産業ではなく中食、つまり弁当や総菜をターゲットにしています。さらには内食も(家庭内での食事)。市場を大きく捉えています。まずドライブスルーが便利になり売り上げが伸びています。「マックデリバリー」(宅配)は、東京と神奈川でテストが始まっています。1500円以上で配達料は300円、24時間受付をしているところもあります。ピザのように自宅でもマックの時代になります。
新しい勤務「ノー残業」・・・原田は、マクドナルドのブランドにとって一番重要なのはお客様と接する16万人のクルー(アルバイト)だといいます(前掲P.102)。彼らのモティベーションは時給ではなくやりがい。マクドナルドで働いたことが、礼儀やおもてなしへのしつけで、将来にわたっての貴重な財産になるといいます。そして原田は、6時以降の残業を禁止し、自らも残業をしません(前掲P.156)。残業をしないという意味は、限られた時間内で目的を達成する、売上を上げるためにです。
原田はすぐれたリーダーです。改めてマックのファンになりました。お腹だけでなく、学ぶ気持ちも満たしてくれます。